過去ログ No.1 〜 No.349
2001/05/17 - 2001/08/07


[1] 新装?でもないか、開店!
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月17日 21時52分
という訳で新規開店で す。

旧来通りごひいきにおねがいします。

大三元

[2] 前の掲示板は
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月17日 22時08分
1月31日だったかか ら5月17日までの110日ほどの間に
投稿数 :1109
アクセス:4334 回
を頂きました。ありがとうございます。

引 き続きよろしくお願いします。

[3] 「はやと海道」から
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年5月17日 22時45分
南日本新聞で隼人の特 集「はやと海道」第2部が始まりました。
(勤務先の先輩からコピーをいただいて知ったのですが・・・。)

隼人の呼称のなぞについ て、「中国の原初的な四神思想の《鳥隼》に
由来する。鳥隼は南を守護する鳥と言う意味で、下に人を付けたのだ
ろう。隼人が住む南九州は辺 境でべっ視されていたが、朝廷の守護人
としての役割との二面性をもっていた。」とありました。

[4] Re: 新装?でもないか、開店!
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月18日 08時30分
> という訳で新規開店です。
>
> 旧来通りごひいきにおねがいします。
>
> 大三元

ま たクラッシュしてしまったのかと思いました。(笑)
古い方も稼動可能なんですか?

[5] Re: 新装?でもないか、開店!
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月18日 08時43分
ハードの異常だったの ですか。知ってびっくり^^;

[6] 露が雲と訳せれば・・・
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月18日 16時26分
出雲の語源を再々読し て思ったのですが、八が引っかかっております。

tope乳 san 流れ出る pe 樹液とするとTOPENIでイタヤカエデ。
と ても甘い汁のようですね。出雲にもありました。
本当は乳濁色の温泉水が流れていてくれたらいいのですが、透明のようです。

この peに昔、雲の意味があったら、八雲=出雲でピッタリなのですが、問屋は卸してくれるでしょうか。汁、露、水気という意味からたどれないかなあ。

[7] Re: 露が雲と訳せれば・・・
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月18日 16時38分
鳥取に天木、岡山に甘 木、「甘木」は九州に圧倒的に多いですね。
これはTOPENIなのでしょうか。馬木は出雲地方に2件ありますね。
関係ないかなあ。

[8] Re: 露が雲と訳せれば・・・
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月18日 16時44分
馬木はキビ、安芸、四 国、出雲のみに14箇所もありますね。
なんだろう・・・?

[9] 八咫烏
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月18日 18時46分
久々に、登場。

や たがらす。
咫のみなら あた になり、
八の阿多の烏が 八咫烏???

[10] Re: 露が雲と訳せれば・・・
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月18日 22時21分
> このpeに昔、雲の意味があったら、八雲=出雲でピッタリなのですが、問屋は卸してくれるでしょうか。汁、露、水気という意味からたどれないかなあ。

そ れが見あたらないし、強弁するのもいやなので、pe=kur のステップを介在させたのでした。おっしゃるような事例が出てくればバンバンザイでしょうね

[11] Re: 露が雲と訳せれば・・・
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月19日 07時36分
今のところ、バンザイ ということですね。
駄洒落がさえません^^;

今日から北海道です。まさにフーテンの寅さん。
どんなコイが生まれましょう か。

[12] 潤い2^^;
投稿者名: ビュ−ネkituno (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月19日 23時41分
私にとっての一番の潤 いは、やっぱり「音楽」ですね。
疲れているときも、朝の目覚めも、穏やかな音楽を聴くことで心が和み、
音楽を聴きながらなら大変だなと思 う仕事も苦にならないのです。

古代の人も音楽は聴いていたのでしょうね。
埴輪の中にも琴を演奏している姿を形取ったものがある し、巫女が神懸かりになるときは、琴を弾いていたみたいだし。
そうそう、神功皇后だって武内宿禰に琴を奏でさせていました。

アイ ヌの人たちも、ビヨ〜ンって弦を弾いてユ−カラを歌って(?)いますよね。
あれも古代からの風習なのでしょう?

私のHPでは「聖 徳太子の怨霊説」を肯定・否定双方の立場から取り上げてみました。それから、掲示板では「平和」について話題になっています。
大三元さんも遊びに 来てね〜。(おねだり〜)

[13] Re: 露が雲と訳せれば・・・
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月20日 17時20分
> 出雲の語源を再々読して思ったのですが、八が引っかかっております。

そうなんです。出雲神話に良く出てくる「8」がアイヌ語だと tupe-san-pe (あるいは短縮形の tupes)が幾つかの意味を持ちうるのがミソだと思います。
その一つが「八雲」と「出雲」のミッ シング・リンクをつないだ、ということ。
もう一つが
> tope乳 san 流れ出る pe 樹液とするとTOPENIでイタヤカエデ。
> とても甘い汁のようですね。出雲にもありました。

戸 弁、などと書かれる「トベ」(記紀などでは「女酋」みたいな捉えかた)も関係しそうですし、
tope と totto(母)という語の連想から、ハハキ、トットニ(totto-ni 母木)、鳥取、なんかのつながりも「8」つながりで整理出来そうですね。

> 本当は乳濁色の温泉水が流れていてくれたらいいのですが、透明のようです。

どうなんでしょう、こういう温泉水の流れる川は、 nupuri pet (登別)みたいな言い方になるような印象が強いのですが。

[14] Re: 潤い2^^;
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月20日 17時25分
> アイヌの人たちも、ビヨ〜ンって弦を弾いてユ−カラを歌って(?)いますよね。
> あれも古代からの風習なのでしょう?

あ れは「口琴」(ムックリ)というもののようです。私も現物見てないのではっきりお答えできませんが。
また、これが出てくるユーカラも未見なんで す。どなたか御存知でしたらご教示下さい。

> 私のHPでは「聖徳太子の怨霊説」を肯定・否定双方の立場から取り上げてみました。それから、掲示板では「平和」について話題になっています。
> 大三元さんも遊びに来てね〜。(おねだり〜)

「平和」のお話ですかぁ。。。主義の領域になっちゃったりしませんかぁ。BBSの平和の為 には、どうなんかな??? 私のしゅぎ、というか、趣味じゃないなぁ。。。(^^ゞ 覗いてみますがね。

[15] Re: 潤い2^^;
投稿者名: 勇者ロト (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月20日 20時37分
> 「平和」のお話ですかぁ。。。

やっぱり、メン、タン、ドラつけてマンガン成就といきたいところですね!

失礼しまし た)))))))))))(**)/すたた

[16] Re: 潤い2^^;
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月20日 20時41分
> やっぱり、メン、タン、ドラつけてマンガン成就といきたいところですね!

つもって、裏も乗って・・・わぁいハネ満だぁい、、、、失 礼・・・すたこら

[17] Re: 露が雲と訳せれば・・・
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月21日 16時20分
RESを頂くと、いい 勉強になります。

いま札幌から戻ってまいりました。
千歳へタクシーで向かう途中、飛行機が沢山の赤ちゃんを産んでおりました。
こ んなの、初めて見たのでびっくりしました。

近づくにつれ、落下傘部隊の降下訓練と分りました。

これって、縄文人の発想に 近いんでしょうね^^;

[18] Re: 露が雲と訳せれば・・・
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月21日 17時15分
> いま札幌から戻ってまいりました。

御帰りなさい、お疲れさんでした。

> 千歳へタクシーで向かう途中、飛行機が沢山の赤ちゃんを産んでおりました。
> こんなの、初めて見たのでびっくりしました。

な にごと!と思いましたら、

> 近づくにつれ、落下傘部隊の降下訓練と分りました。

でしたか。。。あぁ、びっく り・・・

> これって、縄文人の発想に近いんでしょうね^^;

po-kar ho-puni-pe なんちゃって・・・(^^)
それとも、落下地点に桂の木でもなかったでしょうか。あははは。

[19] Re: 露が雲と訳せれば・・・
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月21日 17時37分
戦争ランコ反対とかい いますから、桂はないでしょう^^;

寒いギャグですね。でも座布団はいりません。

さて、まもなく21世紀を代表する本が 出来るんですね。(シミジミ)

んで、予約リストを消して・・・。これって縄文時代の予祝神事に
ありそうな(^^ゞ

ウ ズメに頼めば、また現れるように思います。

[20] Re: 露が雲と訳せれば・・・
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月21日 17時51分
> 寒いギャグですね。でも座布団はいりません。

今日は暑かったから受忍しましょう、(^_^;)

> さて、まもなく21世紀を代表する本が出来るんですね。(シミジミ)

わお、なんという凄いお言葉・・・

> んで、予約リストを消して・・・。これって縄文時代の予祝神事に
> ありそうな(^^ゞ

へ? 聞いた事無いけどぉぉぉ。。。

[21] 旧BBSから転載
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月21日 21時20分
[1111] Re: 本の題名、知ってびっくり!

投稿者名: きんたろう (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月18日 13時31分

> 大三元さんの本は、むしろ出すことに意義があると思います。
私も全く同感ですv(^o^)


[1110] Re: 本の題名、知ってびっくり!

投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月18日 11時20分

大三元さんの本は、むしろ出すことに意義があると思います。
むろん、売れたほうがいいでしょうが、学者の目にとまるだけでも
偉大な第二歩です。

[22] Re: 旧BBSから転載
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月21日 21時26分
きんたろうさ ん、(^^ゞさん、

御激励有り難うございます。ただいま、ふうふう言いながら第二校を直しています。
6月20日前後の刊行になる ようです。

> むろん、売れたほうがいいでしょうが、学者の目にとまるだけでも
> 偉大な第二歩です。

い やぁ、ほんと、素人仕事ですから、専門家の方々にぜひとも追いかけて
頂きたいジャンルです。

[23] 出雲郷
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月23日 19時12分
あだかえ、以前疑問に 感じた当て字。
今回もさらなるトンデモ。

出雲なる地名の前はこの地方はあだかえ、あたかや、あらかや、と
呼ばれていたの ではないか?

もちろん半島の伽耶から、きているのではないか。
そしてこの「かや」に金属系、鉄、銅などの意味も感じます。
も ちろんこの出雲郷も銅山があったようです。

他の「かや」地名地も、もしかして金属あるのかも!

[24] Re: 出雲郷
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月23日 20時59分
> 出雲なる地名の前はこの地方はあだかえ、あたかや、あらかや、と
> 呼ばれていたのではないか?

阿太加夜社が出雲風土記に 載ってますから あだかや という地名だったかも
しれませんね。しかし、「阿太加夜努志多伎吉比売命」ってのが神門郡に
出てくるので、よ くわからなくなる、、、んですわ。

> 他の「かや」地名地も、もしかして金属あるのかも!

どうも私はペギラさんの (かな?)、カヤと金属をつなげるのが
理解できてないんですが。。。

[25] 「稲積王」と「八本角の大蛇」
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年5月23日 22時52分
姶良郡牧園町に「稲積 王」の伝承があり、「スサノオとクシナダヒメ」の
お話に似ているそうです。
姶良町・牧園町・国分市一帯には、奈良時代に豊前国から200 戸移住
させられています。

稲積王の「稲積」なんですが、大分県の宇佐に「稲積山」があります。
辛島氏の神山が「香春岳」 の他に「稲積山」もそうであったと、どなたか
のHPに載っていたようです。
大浪池の「八本角の大蛇」伝承も、宇佐がらみで持ち込まれたの では?
大浪池にはいろんな伝承があって、「八本角の大蛇」もそのうちの一つの
ようです。

出雲神話って、本当に「出雲」で のことなんでしょうか?
北九州に「出雲」地名があったような。
このあたりから宇佐にかけては「秦氏王国」といわれるくらい、「秦氏一族」
が 多かったといろんな本に紹介されていたようです。

姶良郡溝辺町には「丹生附」という地名があり、ここも移住者と関係がある
とみら れているそうです。豊前国の移住者とは「職能集団」?

[26] 神の系譜について
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年5月23日 23時05分
いくつかある私論の仮 説のひとつで
一度、見てやって頂けますか

まず
可美=カミ=神とはならないのでしょうか 
可美→甘(カミ)→甘 (ウマシ)→宇麻志、味と変わっていったと考えられませんか
つまり、万葉文字は単なる当て字であるとして考えて、
本来同じものを意味する ものを違う文字に意図的に変えられていると
当然、これは物部氏系譜の可美真手命と味饒田命の父子を意味するのですが
面白いことに、尊称に 神が付く神武と綏靖が同時期に存在している。
つまり、ウマシを神とすると
その部分だけは神武父子と一致します。(無理やりだ〜)
そ して、味饒田命の弟に彦湯支がいますが
物部氏の系譜で彼だけに頭彦が付いている。
神武の息子にも、日子八井命がいる。
ひょっとす ると、神武と可美真手命は同一人物かと思ってしまいます。
この場合、味饒田命は綏靖ではなく神八井耳命とも考えられますが
一方、可美真手 命は各地を征伐された後
石見の物部神社で亡くなられ、この地にお墓もあります。
また、味饒田命は尾張の地にお墓があるようです。
す ると、神武、綏靖とは別人と考えるべきなのか
それとも、これは
初期の天皇が各地を討伐されている途中で
亡くなられているという証 拠なのでしょうか
更に、神武と物部氏の関係もよくわからない
この時期のニギハヤヒ一族の大物たちは彦湯支を除き
全て、大和以外の 地に赴かれているようです。
旧事記を見ると彦湯支の子孫だけが高い地位に就いている。
これも何か理由があるのでしょうか

[27] 彦の系譜について
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年5月23日 23時07分
次に
頭彦の系 譜は皇統において比較的連続性が認められます。
しかし、他の氏族にも頭彦がいるため
この部分の説明が出来ないのです。
多分、本来 は血縁関係の無い養子や猶子が系譜に組み込まれているので
そのようになっていると推測しているのですが
系譜自体の書き換えも行われている ようなので
この解読を難しくしています。
自分は皇統の頭彦の連続性から
日向3代から彦五瀬命、彦八井命と続いて
安寧から 仲哀まで続いていますので
天孫族の継承権が関係していると思っています。
皇統を考えると、神武・綏靖と断絶しますが
これは、神武 は天孫族ではなくスサノオの子孫と云う説があり
また、神武即位による皇統の頭彦系譜の断絶が説明でき
そして、神武系から天孫族系の彦系に 皇統は戻ることになるので
頭彦の系譜の連続性が繋がります。
但し、この説はそのまま使うには相当無理があるので
補強と修正が必要 ですけど

[28] Re: 神の系譜について
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月23日 23時20分
あきんどさん、いらっ しゃませ。
あきんどさんとはメールのやりとりが始まっていたのですが内容が面白いので是非このBBSにおいで下さるようにお願いしていたのでし た>各位への説明

> 可美=カミ=神とはならないのでしょうか 

常識的には「美」は甲類のミ、で「神」に使われる 事はない。神、という時の
ミは必ず乙類、というのが障害になります。

しかし、私は今度の本で一個所甲乙を無視すると宣言して 「上」(このミは甲
類)を「神」と解釈してます。それは、縄文語には甲乙分別がなかった、とい
う、これも仮説ですが、前提を入れて、縄文 語の かみ を漢字に置いた物だか
ら甲乙の囚われる必要ない、という主張をしました。

> ウマシを神とすると

ウ マシアシカビのヒコヂ、も同類っぽいですよね

> 味饒田命の弟に彦湯支
> 物部氏の系譜で彼だけに頭彦が付いている。

私の「神PREFIX」を御覧いただきましたでしょうか。 https://dai3gen.net/kami_pre.htm
頭神はどうも土着でいて、体制側に服従した人が多い。。。
だけど、神ヤマトイハレビコ、神ムスビがそうだ、とも言い切れないのです が、なんか怪しいです。。。(^_^;)

頭彦、もやってみたいと思ってました。意見の交換をさせて頂けるようになったら、よろしくお願い しますね。

> 欠史8代を多方面から検証しているんですが

私は、高ミムスビが対出雲戦勝により、ミホツ姫を大物主 に娶わせた、こと。
ミホススミというのが越の出自、ということ。の二点から、高ミムスビ、フツ
ヌシ、ミカヅチ勢力が越なのではないか、と いうところから欠史8代を見よう
としています。これも序曲?をHPにあげてあります。
https://dai3gen.net/kessi8-2.htm から。

> 何とか融合、削除したいのですが
> 材料が足りません。(TOT)

はは。良く分かりま す。自分の中にも諸説が出来て、どう整合させるのか苦労
しますよね。

ごゆっくり、各位とも談話なさっていらしてくださいね。

[29] Re: 彦の系譜について
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月23日 23時36分
> 次に
> 頭彦の系譜は皇統において比較的連続性が認められます。

気になっていたのですが手をつけてないんです。頭彦のリストから
作ろう と思ってはいるのですが、出来合いを頂戴できるようでしたら
有り難いです。

> 皇統を考えると、神武・綏靖と断絶しますが

神 武はサヌの命で古事記では亦名、若御毛沼命、亦名
豊御毛沼命 があり、熊野のクシミケヌと同じ語を含む
よって出雲系の匂いが強い。

ヌ ナカハミミ命はヌナカハ姫と結婚した大国主じゃないのか。
(川派ヒメとヌナカハ姫は同じ、ってことになるが・・)
そして、しばらく葉江さ んの娘達がミトコンドリアを供給し続ける

この辺と以降の(全部やんけぇ?)展開がこれからです・・・

[30] ウマシ、味、アヂについて
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月24日 13時32分
既に「アヂ」に就いて 小文を上げていましたが、

https://dai3gen.net/aji.htm

アイヌ語との関連について書いてい るものを上げておきます。
未熟ですが、あきんどさんの書き込みもあったので、とりあえず
、、、ってところです。

https://dai3gen.net/aji2.htm

[31] Re: 旧BBSから転載
投稿者名: きんたろう (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月24日 23時41分
ところで今までの BBSは一杯になってしまったのですか??^^

[32] Re: 旧BBSから転載
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月24日 23時43分
> ところで今までのBBSは一杯になってしまったのですか??^^

一杯、というか、こちらのサーバに移行したので、向こうは Read−onlyにした、ってことです。

[33] メアドは二年で20%摩耗する
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月25日 14時49分
今朝は今までメールを 頂いた方の中で私の本に興味を持っていただけそうな方に御案内メールを送ってました。約150のアドレス(3年前から最近まで)に送信した、その中で約 30がメアドが変わっていて送達出来ませんでした。
ということで、平均的に約2年で20%のメアドが摩耗する、という言語年代学風な観察をしてみ たわけです。
皆さんのご経験ではどうですか?

[34] Re: ウマシ、味、アヂについて
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月25日 15時22分
ひさびさの鯵ネタ。 やっぱりタタキで、さっぱりと。(笑)

葦とかの草類にも関連してくるのかな?とも思い始め、
前回の「かや」でもぶっ飛んでいまし たが、
今回も。さらにかっ飛び。

あぢすき=葦と鋤ならば(すばらしい農具)
かやなるみ=萱と「なるみ」
草と金属 つながりを考えて(最近こんなんばっかりですいません)
このナルミは、鳴る身。
そうです。銅鐸です。
そしてその意味は、神聖な音 ぐらいでどうでしょうか?
こんなこと考える人いませんよね。

みなさ〜ん、石をなげるのはやめてください!危険です(爆)

[35] Re: ウマシ、味、アヂについて
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月25日 15時37分
> このナルミは、鳴る身。
> そうです。銅鐸です。

これはまずいです。
身ではなく水です。
身の方がわかりや すいけどな。
水だと説明が面倒なんですよね。

[36] Re: メアドは二年で20%摩耗する
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月25日 16時30分
HPの方が磨耗が早い かも?

[37] CHAT ソフトを変更しました
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月25日 17時11分
つもり、としては、ど なたかが入室されたら30秒前後でベルが鳴るような機能を持ったものに変えてみました。
どなたか、HPのチャット入り口から入って試してみて頂け ませんか?

[38] Re: メアドは二年で20%摩耗する
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月25日 17時12分
> HPの方が磨耗が早いかも?

あ、そんな感じですかぁ。。。
世の中の回転って早いんですねぇ。。

[39] Re: メアドは二年で20%摩耗する
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月26日 09時47分
ハウスリスト10万件 の住所を一年後に、再度郵送しますと、2万通が返却されてきます。相当なロスです。

[40] Re: メアドは二年で20%摩耗する
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月26日 09時52分
> ハウスリスト10万件の住所を一年後に、再度郵送しますと、2万通が返却されてきます。相当なロスです。

ほう。サンプル数の多いデータで は一年で20%、ですかぁ。

[41] 延縄
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月26日 15時46分
延縄がどうして「はえ なわ」というのか不思議でした。
延に「ハエ」なる読みはありません。
当て字なんだろうかと思っていましたら、
どうも正確には、南 方延縄と書いて「はえなわ」というようです。
これは当て字というか、省略形なんですね。
本当は「はええなわ」なんでしょうね。
言 葉は字があると、ドンドン変化してしまうのですね。

[42] Re: 延縄
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月26日 16時32分
> 延縄がどうして「はえなわ」というのか不思議でした。

そういえばそうですねぇ。。。

> どうも正確には、南方延縄と書いて「はえなわ」というようです。

神武記に県主「波延」という用字がありますね。
この人に関して他 では「葉江」なんかもあります。
ミナカタさん、ヒカタさん、も同類語でしょうか。。。

> 言葉は字があると、ドンドン変化してしまうのですね。

ふむ。面白いコメントですが、字がなくてもドンドン変化するような
気もしま すが、どうでしょう? 要するに、言葉はドンドン変化する
のかな、と。

[43] 無念
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月27日 10時56分
メールがパンクしまし た。二つとも。(涙)

[44] Re: 無念
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月27日 12時01分
> メールがパンクしました。二つとも。(涙)

原因は何なんですか?

[45] Re: 無念
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月27日 13時03分
原因がわからないうち に回復しました。
なんなんでしょう・・・。

[46] ムム
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月27日 14時15分
どうも通信機能が、勝 手に・・・。HALみたい。

[47] Re: 露が雲と訳せれば・・・
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月27日 17時04分
こんな記述がありまし た。
「アイヌの世界観」山田孝子。講談社選書95p

『「水の神の下された乳をみな飲んで大きくなっている。水の神が乳を絞って、
そ れが流れ、それをわれわれは飲んで育ち、とてもありがたいのだと言いながら
この神に祈る。」

水は人間にとってなくてはならないも のであり、この神(peorsikamuy、wakkausikamuy)の聖なる乳と考えられるのである。』

としますと、まず最初は topesanで、それがtupesanと解釈された、という
考え方はどうでしょうか。まだ、表面的なことしか理解していませんが^^;

[48] Re: 露が雲と訳せれば・・・
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月27日 17時56分
> こんな記述がありました。
> 「アイヌの世界観」山田孝子。講談社選書95p

この本は天の多重構造が参考になったのです が、そこだけ図書館でコピーしてきてました。
神水・乳水、がありましたか。それは、蔵書に加えなければなりませんな。

> としますと、まず最初はtopesanで、それがtupesanと解釈された、という
> 考え方はどうでしょうか。まだ、表面的なことしか理解していませんが^^;

いいよねぇ。。。出雲は八雲、八雲はtupesan kur,
同 義語が tupesan pe, それは tope san pe 神水、聖なる乳、が流れ出る、に溯る。。。
ううん、、、いいなぁ。

[49] Re: 露が雲と訳せれば・・・
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月27日 18時49分
> peorsikamuy、wakkausikamuy)の聖なる乳と考えられるのである。』
10.甕主日子神=比那良志毘賣←オカミの神(出雲系 図より)

比那良志=? pena or us ? (川上 のところ にいる)
オカミ=? wakka (us) (ka)muy ???

[50] Re: ウマシ、味、アヂについて
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年5月27日 20時10分
ウマシを今度はウマシ マヂの異名である味間見命で考えてみる。
田原本町に味間(アジマ)という地名がある。
味間がこの地名から来ているとすることはできないか
ま た、
味間がアジマからミマと読み替えるとすると
孝昭帝は御真津彦と崇神帝は御真城入彦、その妃の御真津比売の
御真と言う字も何か 関係があるのでは

[51] Re: ウマシ、味、アヂについて
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月27日 20時25分
> 味間がアジマからミマと読み替えるとすると

味をミに使うのは甲乙の分別では乙類。
御をミに使うのは??? 手元資料では直接的には判らない。

ミマツヒコのミが「御」とも「観」とも書かれている事からすると
「見」の「ミ」が甲類だから 「観」も甲類で、したがって「御」の「ミ」
も甲類か???

[52] 読者談話室・準備中
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月28日 00時27分
『知ってびっくり! 古代日本史と縄文語の謎に迫る』の読者談話室開設の準備をしています。
バグ取りにご協力願えるようでしたら、遊んでみてください。

[53] Re: ウマシ、味、アヂについて
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月28日 08時58分
U…自…TE 皆で… する。(田村747)としますと、
u-ma-te みんなで泳ぐ
umate-as-i みんなで泳ぐ声がする。 フルハタ頑張れ!  ^^;

[54] Re: ウマシ、味、アヂについて
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月28日 16時04分
うちのあたりの可美真 手さんは
味鋺(あじま)です。(神奈備さんちにのってます)
この一帯、古墳があり、みな物部関連と思われます。

味鋺の鋺 なんですか、金属なんでしょうか?
味鋤と同じような理屈なんでしょうか?
「かなまり」と出てるので、鉛なのかな。
そんな青銅器か 鉄器があるのかな?
また変な方向にずれていく。。。。

[55] Re: ウマシ、味、アヂについて
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月28日 16時10分
銅鋺が埼玉の将軍塚か らも出土していました。

[56] rokかrorか
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月28日 17時51分
「ロキ」はアイヌ語の rok-i =座る・処ゆえ、
カムロキ、スメロキと思っていたのですが、
カムロミ、スメロミの説明がつきません。

そこ でror(上座)としたところ、suma-rorki、
suma-rormi、kamuy-rorki、kamy-rormiとなり、
ス メラ、スメロもsuma-rorで生かされます。

で、このkiやmiは性別の接尾辞としての和語では
ないかと思うのです が・・・、どうでしょうか。
上座だから丁度いいとも思うんですが^^;

[57] Re: rokかrorか
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月28日 18時08分
> 「ロキ」はアイヌ語の rok-i =座る・処ゆえ、
> カムロキ、スメロキと思っていたのですが、
> カムロミ、スメロミの説明がつきません。

ror にしたところで、-ki, -mi の説明を「和語の接尾辞」とせねばならないのが、”気に入っていない”のでした。
「和語の接尾辞」ということであれば、 rok-ki, rok-mi でもいいかもしれない。

rok-i の魅力は現にアイヌ地名があることですね。
-ki, -mi に関しては kur, mat が k-, m- で対応???していて呉れていて、なんとかならんかなぁ、とは思ってるのですが。。。いまのところ、なんともなりませんです。。。

ror を採る場合のもう一つの問題は suma ror で「石・の上座」とすると所属形にしたいだろうから、suma rorke になる筈、というのもあります。

イワクラは、磐座、などと書くので、rok=座る、がすわりがよろしい,,,うん??

[58] Re: rokかrorか
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月28日 21時29分
スキだらけでした ^^;

kimiで悩むにはまだ早いのですが、早熟でして(^^ゞ
カムロキ地名は北海道に多いですから、rokの方が証拠能力は
高 いので、迷ったのですが・・・。

やはり、一週間ばかり熟成させてから書くべきでしたね。
閃いた! と思ったんですが^^;

[59] Re: 露が雲と訳せれば・・・
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年5月28日 22時29分
> 『「水の神の下された乳をみな飲んで大きくなっている。水の神が乳を絞って、
> それが流れ、それをわれわれは飲んで育ち、とてもありがたいのだと言いながら
> この神に祈る。」

これを読んで、思わず宮 崎県の鵜戸神宮が浮かびました。
海岸沿いの大きな洞窟にある神社ですが、「お乳岩」といわれる岩から
したたる水をお乳がわりにウガヤフキ アエズは育てられたと伝えられて
います。

[60] Re: rokかrorか
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月29日 15時07分
知里「地名」にkur は昔は神の意味だったらしいとありますね。
matはもともとアペメルコヤンコヤンマットゆえ、女神的意味があった
のでしょうけれど。

[61] Re: rokかrorか
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月29日 15時23分
> 知里「地名」にkurは昔は神の意味だったらしいとありますね。

そうですね。人と神と区別してなかったんでしょうか。
というよ り、今の日本語の神と書く「かみ」は一体なんなんでしょう。
ヤハウェ(も良く知らないけど)とは全然違いますよねぇ。
神鳥谷、と書いて、 ヒトトノヤ、と読む位に人・神渾然としてるのか。
(栃木県宇都宮のそばの地名。KDDのゴルフ場がある)

> matはもともとアペメルコヤンコヤンマットゆえ、女神的意味があった
> のでしょうけれど。

男:女 = k:m =イザナギ:イザナミ =彦:姫=子:女
オキナ:オミナ なんて語中と思しき場所でも対立してる
これは オキ:オミ だったんか? すると 八束水臣津野命 の オミは?
「彼は」女性だったか???

[62] Re: rokかrorか
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月29日 15時35分
> これは オキ:オミ だったんか? すると 八束水臣津野命 の オミは?

八穂爾杵築・八雲・八島・八束水臣津野命・・・・・オミで女性?
美 穂/三保・三雲・三島・三島水オクィ?>溝咋?・オキで男性?

上段:tupesanpe これは tope からの転訛/語呂合わせとみる?
下段:rep (san も対比したいが漢語なのが苦しい)は、3と(オキ)沖

ううむ。。。

[63] 「阿多」「阿田」〜はやと海道から〜
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年5月29日 22時15分
南日本新聞(5月19 日)「はやと海道第2部・まつろわぬ民5」は、
奈良県五条市阿田地区の話題。

「自分たちと同じ字名のアダと呼ばれる所が九州のど こかにある。
そこには海があり自分たちの言葉が通じるが、他の地域では通じない。」
 古老から古老へ幾世代もの間、そんな伝承を受け継ぐ 集落がある。
奈良県南部、紀伊山地に源を発した吉野川が紀ノ川に名を変えようと
する、五条市阿田地区。畿内と畿外の境目ともいわれる。
・・・(中 略)・・・
「私たちは、古事記や日本書紀の神武東征神話に登場する贄持族(吉野
川の魚など主に食料品を朝廷に献上した人々)の末えいだと 思っていた。
でも隼人の畿内移住や古老の話をあらためて思い出すと、鹿児島の阿多
隼人と関係があるようだし、隼人抜きにここの歴史は語れ ない」(以下略)

・・・とありました。
ペギラさんの「阿多と鵜飼」を思い出しました。
隼人には「日向隼人」「大隅隼人」 「阿多隼人」「甑隼人」があります。
居住地によっても、近海や錦江湾内での漁労中心・陸稲や五穀の畑作中心・
沖縄から九州北部や大陸まで の広い範囲で交易中心など、「隼人」といっ
てもいろんなイメージがあります。
鹿児島県内の大きな川といえば、雨降川(隼人町周辺)、川内 川(北薩・
川内市周辺)、万之瀬川(阿多周辺)でしょうか?現在では鵜飼は見られ
ませんが、鮎は健在です。鵜飼関係の遺物がもっと出てく るといいですね。

[64] Re: 「阿多」「阿田」〜はやと海道から〜
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月29日 22時44分
> 南日本新聞(5月19日)「はやと海道第2部・まつろわぬ民5」は、
> 奈良県五条市阿田地区の話題。

大変興味有る伝承で すね、お知らせ有り難うございました。
南日本新聞のHPに行って全部プリントしてこれから読みます。

http://www.minaminippon.co.jp/

[65] Re: 「阿多」「阿田」〜はやと海道から〜
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月30日 09時39分
「もともと隼人は中国 の原初的な四神思想の『鳥隼(ちょうしゅん)』に由来する。鳥隼は南を守護する鳥という意味で、下に人を付けたのだろう。」ともありますね。

hawe- pito論が危うくなった^^;

[66] Re: 「阿多」「阿田」〜はやと海道から〜
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月30日 09時50分
とっても面白い情報あ りがとうございます。

小泉さんが薩摩隼人とは、知らなかったな〜。

熊襲の記述もありましたが、
最近、春秋・戦国 の中国の楚の熊さんが、
関係するのでは?と思っています。
かなり存在があやしい穀璧が、
どうしてもひっかかるのです。自分は。

阿 多と鵜飼いにヒットするものがあるとうれしいですが、
それよりも、
南九州ですごい青銅器の出土が欲しいです。
とくに編鐘なんての があったなら、
長江文明の入り口が証明されるんだけどな。
これもまた夢のまた夢。。。。

[67] 仮説の叩き台としての持衰=si-sere
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月30日 11時24分
卑弥呼の時代に、渡航 する際、一人の男を選んで、頭髪にくしを入れず、
しらみを取らず、肉を食わず、婦人を近づけない状態にしておき、航海の安全を願ったという例の持 衰ですが・・・。

うまく無事に航海できたときは、生口・財物を持衰に与え、失敗したときは殺したという解除条件付き贄。

こ の持衰はその意味を漢訳したものとする説もありますが、和語を音訳したとする説もあります。
漢訳の場合、もともと中国語にその単語がなければなら ないが、発見されていないようです。

そこで、これを今でいうアイヌ語、当時の列島縄文語に当てはめてみました。

シセrマ クsテ(si-sermak-us-te)という言葉があります。
si(自分の)sermak-us-te(守護をつけさせる)。

sermak とは魂という意味で、このser-はsereとして「背負わす」という意味があるそうで・・・。

とすると、si-sereで「自ら背負わ す」。
このシセレが音訳されたのではと疑っているのですが、「レ」がちょっと邪魔なような。
上古アイヌ語を推定しないとマッチしないかも しれません。

[68] Re: 仮説の叩き台としての持衰=si-sere
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月30日 11時45分
si-sere-i か・・・。

[69] Re: 仮説の叩き台としての持衰=si-sere
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月30日 11時50分
> 卑弥呼の時代に、渡航する際、一人の男を選んで、頭髪にくしを入れず、
> しらみを取らず、肉を食わず、婦人を近づけない状態にしておき、航海の安全を願ったという例の持衰ですが・・・。

語呂合わせのお遊びです が・・・
kor muy 持つ・蓑
komuy 虱取りをする
kuy mim 噛む・肉

> 上古アイヌ語を推定しないとマッチしないかもしれません。

なんとなくですが、魏志倭人伝の記述内容って、縄文を感じる事が出来ないのです が。
唯一(?)の例外になるかもしれないのが、ミミナリと景行記などの耳垂たち。

https://dai3gen.net/mimitari.htm

[70] Re: 仮説の叩き台としての持衰=si-sere
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月30日 14時09分
> kor muy 持つ・蓑

これはウソでした、(^_^;) この行、取消します。

[71] 目、鼻、耳そして
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月30日 14時42分
大三元さんのところで たくさん勉強させていただきました、
目、鼻、耳の謎の数々。
これって五感ですよね。
そうすると、
あと 舌と皮膚ですよ ね。
こんなところの説話も、あるんでしょうか?
外見的構造物しかお話にはならないのでしょうか?

[72] Re: 目、鼻、耳そして
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月30日 14時45分
> あと 舌と皮膚ですよね。

象を撫でているような気はしますが、舐めてみたいとは思わない。
ありゃ、そんなこと聞いてな い!、、、って。。。ごめんなさい

[73] Re: 目、鼻、耳そして
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月30日 14時50分
> あと 舌と皮膚ですよね。
> こんなところの説話も、あるんでしょうか?

淫女に舌を噛み切られた話とか、恋の悩みで骨と皮 ばかりに痩せた話が
思い出されますが、記紀・風土記との接点は見つけておりません。

> 外見的構造物しかお話にはならないのでしょうか?

さて。sampe が心臓と精神的ハートと両方意味する、なんて
スペイン語っぽ いものもありますが、そういうことでしょうか?

[74] Re: 目、鼻、耳そして
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月30日 15時22分
> 淫女に舌を噛み切られた話とか、恋の悩みで骨と皮ばかりに痩せた話が
> 思い出されますが、記紀・風土記との接点は見つけておりません。
>
あるんですか、やっぱり。
いつか、接点が見つかったら面白いですね。

> さて。sampe が心臓と精神的ハートと両方意味する、なんて
> スペイン語っぽいものもありますが、そういうことでしょうか?

なかなかロ マンチックな言葉もあるんだ。
「心」というのと同じなのかな。
少し違うかな。

[75] Re: 目、鼻、耳そして
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月30日 15時30分
> 「心」というのと同じなのかな。
> 少し違うかな。

「こころ」という和語に「心臓」の意味はありませんね。
アイヌ 語の sampe は「こころ」と「心臓」の両方を意味します。
スペイン語の corazon も「こころ」と「心臓」

なんちゃ らかんちゃら、mi corazon! (私の・心臓{おっと恋人}よ!)
ってのはラテン歌謡の常套句です。(^_^)

[76] Re: 目、鼻、耳そして
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月30日 22時01分
sampe に関してユーカラの実例を一つ:
金成まつユーカラ集所収「耳輪の巻」p54より:
和訳は金田一京助

"Popo sambe." ari 「おお子よ、大事なひとよ」と
itak kane 言いながら

余談ながら下記URL での、「火火出見」命の「ホホ」は
こういう例もあり popo san nu と解析しているわけ。。。

https://dai3gen.net/jinmuki2.htm

[77] 天之御中主、高御産巣日、神御巣日は星、太陽、月かの試論
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月30日 22時27分
古事記の口承を漢字に 変えた人は、相当苦労したでしょうね。

古事記冒頭にでてくる概念的神と言われる三神がどうも気になりますので、
アタックしてみま した。

天之御中主は、最初、天のo-ciw-cirオチューチリ→オチューシュ(鶺鴒)では
と考えましたが、高御産巣日、神御巣 日の試解から、これは
御中をオチューと読ませて、nociwの意味じゃないかと、仮説を立てました。

天の星とあらば、「中」で中 心を暗喩していると見て、北極星あたり。

以下、ムスヒなんて日本語はないはずですので、

高御産巣日はtokap-un- chup(i)=太陽。トカプンチュピ→タカピムスピ
→タカミムスヒ

神御巣日はkunne-un-chup(i)=月。クンネン チュピ→カヌンチュピ→
カムムスヒ。

こうすると、星、太陽、月三役揃い踏みになるのですが、別のところにでてくるワカムスヒがど うも・・・。
wakka-un-chup(i)=水星。まさか。水玉?

[78] Re: 「阿多」「阿田」〜はやと海道から〜
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年5月30日 22時49分
> 熊襲の記述もありましたが、
> 最近、春秋・戦国の中国の楚の熊さんが、
> 関係するのでは?と思っています。
> かなり存在があやしい穀璧が、
> どうしてもひっかかるのです。自分は。

「穀璧」とは宮崎県の遺跡からの出土物のことで しょうか?
私も興味があります。いくつか出土しているみたいですね。
「日本の古代遺跡 25 宮崎 保育社」にも載ってます。

> 南九州ですごい青銅器の出土が欲しいです。
> とくに編鐘なんてのがあったなら、
> 長江文明の入り口が証明されるんだけどな。
> これもまた夢のまた夢。。。。

青銅器はあまり聞きませんが、南九州の遺跡で は、「貝文化」
に特徴があるような気がします。
まず、阿多隼人は南島の貝を加工して、北部九州へと交易品
として持ち込んでいまし た。「縄文時代」からです。

種子島の広田遺跡の貝製品は、大陸の影響を受けた彫画のある
ものが大量に副葬されています。最近では 沖縄の遺跡にも、
広田遺跡の貝札によく似た模様の貝製品が出土したという話も
聞いたように思います。

中国南部〜沖縄〜奄 美諸島から、種子島経由・大隅半島、宮崎の
ルート。種子島経由・薩摩半島、熊本、長崎、北部九州のルート。
で、貝文化が伝わったのでは? と思います。
貝文化が伝わる中で、いつの時代か、穀璧を持った人々が渡来した
こともあった、というのは充分考えられるのでは?
種 子島の広田遺跡は、中国古代の青銅器に見られる文様に酷似
しているそうです。

[79] Re: 天之御中主、高御産巣日、神産巣日は星、太陽、月かの試論
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月30日 22時54分
×神御巣日
○ 神産巣日

[80] Re: 天之御中主、高御産巣日、神御巣日は星、太陽、月かの試論
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年5月30日 23時01分
> 天之御中主は、最初、天のo-ciw-cirオチューチリ→オチューシュ(鶺鴒)では
> と考えましたが、高御産巣日、神御巣日の試解から、これは
> 御中をオチューと読ませて、nociwの意味じゃないかと、仮説を立てました。
>
> 天の星とあらば、「中」で中心を暗喩していると見て、北極星あたり。

天之御中主神社では北辰(北斗七星・北極星・妙見様)として祀られて
い るので、「星」のイメージですね。
八代市、妙見神社の妙見大祭は九州ではわりと有名な祭りらしいのですが、
ここの妙見様は、中国福建から 渡ってきたらしい。(福建からの渡来者が
伝えた祭り?)

[81] 教えて頂けませんか?
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年5月31日 01時41分
鴨資料04・事代主系 図・陶津耳を観ていて思ったのですが

渟中底姫命の父が天日方奇日方命となっていますね
すると、天日方奇日方命が紀に云う鴨王とい うことなりますね
鴨王は紀によると事代主の子か孫かどちらともとれる記述になっています。
一方、天日方奇日方命は、三輪叢書所蔵の系譜に
「事 代主神と、大陶祇命の娘活玉依比賣命の 御子」とあり、
姓氏録に「石部公、大物主命子久斯比賀多命之後也」とある。
これも記録が混在して いて子であるか、孫であるかわかりません。
また、渟中底姫命ですが
一般に安寧皇后とされているのに
懿徳皇后(多くは安寧皇后とす る)となっています
このあたりの記述が大変気になります。
これは、先代旧事本紀の事代主の系図とありますが
自分はこのあたりの記 述を見落としていたようで
記憶に全くありません。
できましたら
先代旧事本紀のどのあたりに記述があるか教えて頂けませんか

[82] Re: 天之御中主、高御産巣日、神産巣日は星、太陽、月かの試論
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年5月31日 01時42分
天之とわざわざ「の」 を入れたのは、ノォチューと読ませたかった?

「出雲国造神賀詞」では高天のカムロキは高御魂となっていて、高御産巣日と
入れ替 わっていますが、魂を玉と見るとchup。とすると、これはtokapi-cup
(トカピ→タカピ→タカミ)と活かしてchupだけ和語に置き換 えた?
いずものやり方(^^ゞ

とすると、産巣日の巣日(スヒ→チュピ)と高御魂のタマは同義ということに
なりますが、こ れだけは俗解たりうる条件も揃っていますね。

高御産巣日=高木なので、pi、mi、gi相通であるならいいんですが。

と すると、高御産巣日=高御魂=高木が、縄文の最高神で、あとから、
まるっきり和語の天照大神が弥生人の最高神として加わった、とみると、
あ るときは高御産巣日と天照大神は並列、あるときは後者が単独、
あるときは前者が単独という神話の乱れ、混乱が生じた、と見るべきでしょうか。

天 照大神は機織していたゆえ、これは誰の衣を作っていたのか、一番近いのは
高御産巣日の衣とするのが正しければ、高御産巣日というのは太陽そのもの で、
天照大神は「太陽の作用」的神、乃至太陽に憑依する巫女と言いうるかどうか。

あれ、もう月末か。神産巣日末と言いうる日は果 たしてやって来るか?^^;

[83] Re: 教えて頂けませんか?
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月31日 12時01分
> これは、先代旧事本紀の事代主の系図とありますが

> 先代旧事本紀のどのあたりに記述があるか教えて頂けませんか

巻 4・地祇本紀 の中ほど(いい加減だなぁ)です。
大野七三編著の版ではp96の15行目から事代主の系譜が始まってます。
とりいそ ぎ・・・

[84] Re: 「阿多」「阿田」〜はやと海道から〜
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月31日 12時37分
穀璧に関しては、これ は中味を知れば知るほどすごいです。
現代になってから、中国から盗んできたのではないかと
思われても仕方がないようなものです。
北 九州の穀璧の破片などのようなガラスものではなく玉です。
といって興奮しても、とてもあやしい品物です。

> 種子島の広田遺跡は、中国古代の青銅器に見られる文様に酷似
> しているそうです。

貝なのが、とても残念なんです。
山 の文字も青銅器にあるなら、すごいことになるんだけどな〜。
国と国としての交流は、やはりないのだろうか。
民間レベルの交流だったので しょうか。
青銅器か玉器が南九州に欲しい!!!

[85] Re: 教えて頂けませんか?
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月31日 12時47分
あきんどさん、加茂の 迷宮にようこそ!(笑)
この迷宮に入ったもので、出てきた人はまだいません。

たっぷりと楽しんでください。(爆)

櫛 について内緒(小声)で編集したもの、
私の掲示板にあります。見ますか?(小声)
ますますわからなくなりますよ。ヾ(- -;)

[86] Re: 教えて頂けませんか?
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年5月31日 15時28分
> 巻4・地祇本紀 の中ほど(いい加減だなぁ)です。
> 大野七三編著の版ではp96の15行目から事代主の系譜が始まってます。
> とりいそぎ・・・

出版社わかりますか
それと
これって現代訳がついてるのでしょうか
実は
自分が読んだの は
神道体系 古典編 先代旧事本紀と
先代旧事本紀の研究 研究の部
鎌田純一著 吉川弘文館
の二冊なんです。
神道 体系は原文の写本形式の本なので
読むのが大変で(^^;
しかも、広辞苑より分厚いし
次に
先代旧事本紀の研究は各種の先代 旧事本紀を相互比較した研究書なんで
結構良い物なんですが
古い書籍ですから読みにくい読みにくい
だから
現代翻訳した書籍 があれば一度読みたいのですけど
無かったら
これを再度借りてきて読みます。

[87] Re: 教えて頂けませんか?
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月31日 15時31分
> > 大野七三編著の版ではp96の15行目から事代主の系譜が始まってます。

> 出版社わかりますか
> これって現代訳がついてるのでしょうか

新人物往来社です。以前、売り切れ、再版見通し無し、だったんですが
ついこないだ新聞広告 出てましたので再版したんでしょう。
記憶では¥8000だったと思います。
出版社の電話は・・・ありゃぁ古いな
03−212−3931
多 分:
03−3212−3931 で行くんじゃないかな?

[88] Re: 教えて頂けませんか?
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月31日 16時05分
> > これって現代訳がついてるのでしょうか

おっと、積み残した・・・ついてます
脚注も一杯ありますが、原田常治さん、でしたっけ、あ の方の説みたいなものも入っていて注意が必要です。

[89] Re: 教えて頂けませんか?
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月31日 16時41分
先代旧事本紀 訓註
大 野七三
批評社
\8,000+税
発 行 日 2001年3月10日

ネットでも販売してました。

[90]
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月31日 16時51分
出雲国風土記で変なも のを発見。
大穴持命の子、牛を護る武神の和加布都努志命。

牛を護る??ちょっと変!!!
日本の神様では、ないのかな。

[91] Re: 牛
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月31日 17時01分
> 出雲国風土記で変なものを発見。
> 大穴持命の子、牛を護る武神の和加布都努志命。

それって、本文じゃなくって、岩波古典 文学大系本の頭注でしょ?

[92] Re: 教えて頂けませんか?
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月31日 17時02分
> > > これって現代訳がついてるのでしょうか
>
> おっと、積み残した・・・ついてます

おっと、現代 訳じゃなく、読み下しがついています。
訂正、訂正!

[93] Re: 教えて頂けませんか?
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月31日 17時07分
ありゃ、出版社も変 わってたんですね>ペギラさん、ありがとうございました
アンド、あきんどさん、失礼しました。

批評社の同書のページは:

http://hihyosya.co.jp/NewBooks/NBT0103.htm

[94] Re: 牛
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月31日 17時35分
> それって、本文じゃなくって、岩波古典文学大系本の頭注でしょ?

さすがに本までわかってるんですね。(驚愕)
現地の説話でも、い つあたりの話なんでしょうか?

牛頭さんあたりが入ったころでしょうか?

[95] Re: 牛
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年5月31日 21時31分
> さすがに本までわかってるんですね。(驚愕)

いやぁ、私もその頭注の内容読んでるんで。。。それだけですが。。

> 現地の説話でも、いつあたりの話なんでしょうか?

古老の曰く、ったって、今となっては室町時代の話なんかを取材しちゃってもこまるんで すよね。

> 牛頭さんあたりが入ったころでしょうか?

なんとも見当がつきませんよね。

[96] Re: 「阿多」「阿田」〜はやと海道から〜
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年5月31日 23時14分
> 穀璧に関しては、これは中味を知れば知るほどすごいです。

「中国の周ー漢代の玉器のうち、皇帝が諸侯にあたえた。」
「宮崎県串間 市王ノ山で江戸時代に出土」
「国宝 硬玉製 径33.3cm 重さ1.6kg」
・・・と、「日本の古代遺跡 25 宮崎」に紹介されてい ますね。

> 現代になってから、中国から盗んできたのではないかと
> 思われても仕方がないようなものです。
> 北九州の穀璧の破片などのようなガラスものではなく玉です。
> といって興奮しても、とてもあやしい品物です。

大隅半島 の姶良郡福山町に松下美術館があり、創設者松下兼知先生
(福山病院の院長だったらしい)著の「精神医学的にみた邪馬台国論」
にも、穀璧の ことが記載されていました。
宮崎県の日向持田古墳からは、「前漢鏡5個、貨泉2個、後漢鏡4個
穀璧3個」と書かれています。

「精 神医学的に・・・」の本に、穀璧3個の写真が掲載されていますが、
この3個は、王ノ山出土の国宝のように三区に文様帯が分かれている
もの ではなく、中央の文様帯部分と同じ、カゴメ模様のなかに穀粒文
のみのもの直径90ミリ、カゴメ模様はなく穀粒文のみのもの直径64
ミリと 47ミリ。3個とも松下美術館にあるものと思います。
十年くらい前に購入しましたが、この本は昭和54年発行で、「南九州
出土 松下児童 館蔵」と記載されています。

ここから先はとってもあやしい話なのですが、私が小学生の頃、祖母の
家で「松下児童館蔵のほうの穀 璧」に似たものを見たことがあります。
中間に孔があったかどうかよく覚えていませんが*カゴメ模様に穀粒文
で、100円玉くらいの大き さ。少し厚みがあったように思います。
今ではどこにあるのかわかりませんが・・・。

祖父は婿養子で、祖父の家系は「鹿児島県姓氏 家系大辞典・角川書店」
によると大伴氏系。祖母の家系はよくわかりませんが、先祖代々婿養子
をもらうことが多かったらしく、同族かもしれ ません。
代々伝わっていたものなのか?
あるいは、祖母は台湾生まれなので、台湾にいたころに、そこで入手した
ものかもしれませ ん。
「穀璧」については、もっと詳しい情報があるといいのですが・・・。

> 貝なのが、とても残念なんです。
> 山の文字も青銅

[97] Re: 「阿多」「阿田」〜はやと海道から〜
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年5月31日 23時25分
> 貝なのが、とても残念なんです。
> 山の文字も青銅器にあるなら、すごいことになるんだけどな〜。
> 国と国としての交流は、やはりないのだろうか。
> 民間レベルの交流だったのでしょうか。
> 青銅器か玉器が南九州に欲しい!!!

「貝製品を鉄と交換していた」というのはありますが・・・。
「鉄」は生活に密着しています が、「青銅器」はどうなんでしょう?
権力者のシンボルであれば、権力者が北上する際に持ち去ってしまうのでは?
南島・南九州の祭祀等に青 銅器がつかわれていたかどうか・・・?
でも、「宮崎」なら、何かすごいのが出てきそうな気がします。

[98] カバーサンプル
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月1日 09時34分
いよいよですね。(^ ^)
それにしても、重い。。。。
本の中味にように???

このバックは、なんですか?
石?(・・?)...ン?
石 に彫った文字のイメージかな?

[99] Re: カバーサンプル
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月1日 09時40分
> いよいよですね。(^ ^)

はい。先ほど第三校の見直しを出してきました。いよいよです(^^)

> このバックは、なんですか?
> 石?(・・?)...ン?
> 石に彫った文字のイメージかな?

そうですね。 石碑ですね。なぁるほどぉ、と思いましたよ。
なかなかクリエーチブ! ですね>デザイナー(っていうのかな)

[100] 五御魂速狭騰
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月1日 14時19分
向匱・男聞襲大歴・五 御魂・速狭騰

速は上代辞で「うな(がす)」とありますので、「灰」の方かとも
思えます。もっともここだけ音写というのが今一です ね。

どうもこの「五御tama」が「五御tane=五タネ」に読めて、asike-piで
アシカビになるようにも思えるのです が、そもそも5の種自体がさっぱり
分かりません。ただ五はユーカラによく出てきますね。

[101] Re: 「阿多」「阿田」〜はやと海道から〜
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月1日 14時29分
持田古墳の璧は初めて 知りました。
あるんじゃないですか!
でも景初四年の鏡同様、「伝」の世界になってしまうのですね。

宮崎の自治体もシーガ イヤとかではなく
遺跡関連にお金を使ってくれれば、
すごいもの出たかもしれないのにな。
やっぱり目先の利益を追うのではなく、
米 百俵の精神が、その時あったなら、、、(残念)

いまからでも、遅くない!
吉野ヶ里よりもビックなものがあるかもしれない。
い やどこかにあるはずだ!!!

[102] Re: 五御魂速狭騰
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月1日 14時31分
> 向匱・男聞襲大歴・五御魂・速狭騰
>
> 速は上代辞で「うな(がす)」とありますので、「灰」の方かとも
> 思えます。もっともここだけ音写というのが今一ですね。

はぁ、そんな読みがありましたか。。。
婦人が口にする言葉じゃない、な んて、仲哀天皇がおっしゃってるので
狭騰をサカリと理解してのことか、とは思った事がありますが、サカリ
という語の古さが未解決です。

> どうもこの「五御tama」が「五御tane=五タネ」に読めて、asike-piで
> アシカビになるようにも思えるのですが、そもそも5の種自体がさっぱり
> 分かりません。ただ五はユーカラによく出てきますね。

あ りゃ、そうですか、「五」。2や3は多いですが。。。

今回の本の締め切り間際にポイヤウンペ、スクナヒコ、絡みで
住吉三神の「中 津少童命」などの「少童」を「ワタツミ」と読むのを
再認識して、幼少な男子・海神、というモチーフがありそうだと
思いました。

す なわち、「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」「向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊」を住吉系の光を当ててみるのが良いのかもしれません。

[103] Re: 五御魂速狭騰
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月1日 14時42分
>住吉系

怖 いですね^^;

[104] 先代旧事本紀を調べてきました。
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年6月1日 16時12分
ありがとうこざいま す。
折角、教えて頂いたのですが
価格が8000円ということで二の足を踏んでしまいました。
そこで
用事あったので
図 書館へ行き
先代旧事本紀を調べてきました。
結果、面白ことがいろいろ発見できました。
え〜と
まず、
渟中底姫命の 件ですが
複数の書籍の第四巻地祗本紀、第七巻天皇本紀を調べましたが
どれも安寧皇后となっており、懿徳皇后とはなっていませんでした。
次 に
天日方奇日方命の件ですが
第四巻地祗本紀には鴨王の記述はないのですが
第七巻天皇本紀の懿徳天皇のところを見ると
紀の 記述と同じですが、2人とも渟中底姫命の父という事なので
この辺りは間違いないと思います。
補強材料として、大和国神社関連資料を読むと
天 日方奇日方命の別名が鴨主命と呼ばれていたそうなので
多分、間違いないでしょう。
他に、面白いところとして
神武と五十鈴姫の間の 子供は、第四巻地祗本紀を読むと
神渟名河耳命、彦八井耳命の2人しか記述されていません。
この彦八井耳命は、神八井耳命又は日子八井命と どちらかだと思うのですが
日子八井命だとすると、面白いことになります。
何故なら、記には日子八井命と名前の後ろに耳の字が無いのですが
第 七巻天皇本紀では、日子八井命を彦八井耳命と記述しており
彼にも耳が付いています。すると、彦八井耳命は日子八井命という事になります。
も う1つ面白いところは
孝昭天皇が2人いることです。
記述からして重複だと思うのですが
この重複部分の記述の一部は正しいような気 もします。
次に
孝昭天皇から以降の天皇には名前の頭に諱が付いているが
懿徳以前には無い。
これも何か意味があるような気 がします。

[105] Re: 先代旧事本紀を調べてきました。
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月1日 16時20分
あきんどさん、こんに ちは。

今、手が離せない(のにレスつけてる、、、)ので内容的には後刻コメント
したいと思いますが、御覧になった先代旧事本紀 は、どの版なのか、
お知らせねがえませんか。重複あたり、大野七三版と他では違っていた
例の記憶もあるもんですから。。。

[106] Re: 先代旧事本紀を調べてきました。
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月1日 18時13分
あきんどさん

> 渟中底姫命の件ですが
> 複数の書籍の第四巻地祗本紀、第七巻天皇本紀を調べましたが
> どれも安寧皇后となっており、懿徳皇后とはなっていませんでした。

はい。御疑義はごもっともです。
第四巻地祗本紀の当該部分をコ ピしますと:

三世孫天日方奇日方命 亦名阿田都久志尼命・・・
児 健飯勝命
妹 渟中底姫命
此命 軽地曲峡宮御宇天皇立て皇后と為し・・・

ってあるので「軽地曲峡宮御宇天皇」ってのは懿徳天皇だから
渟中底姫命は懿徳皇后と言っ てる、と理解して他と違う、と
書きました。

しかし、この記事の直後に:

四児誕生 すなわち 大日本根子彦スキ友天皇・・・ってのがあり
大日本根子彦スキ友天皇とは懿徳天皇のことだから、変なんですよね。

つまり、先代旧事 本紀のこの部分に錯綜がある、と考えて
渟中底姫命は安寧皇后、でいいんだと思います。

御覧になった先代旧事本紀のこの部分は上記 とは違いますか?

[107] Re: 先代旧事本紀を調べてきました。
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年6月1日 18時29分
> あきんどさん、こんにちは。
>
> 今、手が離せない(のにレスつけてる、、、)ので内容的には後刻コメント
> したいと思いますが、御覧になった先代旧事本紀は、どの版なのか、
> お知らせねがえませんか。重複あたり、大野七三版と他では違っていた
> 例の記憶もあるもんですから。。。

前記の
神 道体系 古典編 先代旧事本紀と
先代旧事本紀の研究 コウ本の部
鎌田純一著 吉川弘文館
です。
二つとも同じような内容で す。
神道体系は漢文そのまま(読みにくい)
もう1つは
一部にカナと返り点などあるのでまだ読みやすいです。
内容は、天理 大学にある
現在確認できる最古のト部兼永自筆本を底本として
右系、石系、山系、三系の各書籍で補填しているようです。
基本的に原 文をそのまま記述して
削除をしないことにしているとなっています。
但し
欠落部分や誤謬が明確なところは補填しているようです。
改 補部分と私見等は全て注釈に記述されています。

[108] Re: 先代旧事本紀を調べてきました。
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年6月1日 18時43分
> 三世孫天日方奇日方命 亦名阿田都久志尼命・・・
> 児 健飯勝命
> 妹 渟中底姫命
> 此命 軽地曲峡宮御宇天皇立て皇后と為し・・・
>
> ってあるので「軽地曲峡宮御宇天皇」ってのは懿徳天皇だから
> 渟中底姫命は懿徳皇后と言ってる、と理解して他と違う、と
> 書きました。
>
> しかし、この記事の直後に:
>
> 四児誕生 すなわち 大日本根子彦スキ友天皇・・・ってのがあり
> 大日本根子彦スキ友天皇とは懿徳天皇のことだから、変なんですよね。
>
> つまり、先代旧事本紀のこの部分に錯綜がある、と考えて
> 渟中底姫命は安寧皇后、でいいんだと思います。
>
> 御覧になった先代旧事本紀のこの部分は上記とは違いますか?

え〜と
本を借りて来ていたんで
再度、細かくチェックをして みました。
すると、ト部兼永本などの底本では
この部分は軽地曲峡宮となっていると註解に記されていました。
申し訳ない。
延 本等の記述を元に訂正したと記述されていました。

[109] 十市県主の系譜
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年6月1日 19時12分
大三元さんに頼まれて た十市県主の系譜です。

神道体系の和州神社編を借りてきました。
書き記すと次のようになります。

http://k-server.org/akindo/kodaisi/toichikeihu.htm

十 市県主が事代主の子孫ということ
特に天日方命の子が大日諸のところは問題があると思いますが
それ以外の系譜には紀を基準に考えると矛盾は ないです。
しかも
これにより、紀の一書の妃は全て、妾妃ということがわかります。
すなわち、この系譜は紀の補填関係にあると思う のですが
だから、この系譜には、疑問が生まれてくるんですけどね

[110] Re: 十市県主の系譜
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月1日 21時30分
> 大三元さんに頼まれてた十市県主の系譜です。

有り難うございました。拝見しております。

> 十市県主が事代主の子孫ということ

色んな伝承があるもんですね。

> 特に天日方命の子が大日諸のところは問題があると思いますが

天日方と奇日方と二人居るのか、とか。。。
武研貴彦友比命 なんてスペルは始めてみましたが考昭同母弟の
武石彦奇友背命 とどことなく似てますが他人の空似???

> だから、この系譜には、疑問が生まれてくるんですけどね

ここらの欠史8代は古代史の中でも特に面白いですね。
ヌナカハミミの后/ 妃がヌナカハヒメだとしたら、その前後がどういう
ことになるのか興味持ってます。

[111] Re: 天之御中主、高御産巣日、神産巣日は星、太陽、月かの試論
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年6月1日 23時35分
> とすると、高御産巣日=高御魂=高木が、縄文の最高神で、あとから、
> まるっきり和語の天照大神が弥生人の最高神として加わった、とみると、

天照とは、もともと男性神で「ニギハヤヒ」だったが、記紀編纂の際 に、
「女性神・天照大神」が最高神とされたという説を読んだことがあります。

> 天照大神は機織していたゆえ、これは誰の衣を作っていたのか、一番近いのは
> 高御産巣日の衣とするのが正しければ、高御産巣日というのは太陽そのもので、
> 天照大神は「太陽の作用」的神、乃至太陽に憑依する巫女と言いうるかどうか。

南島では「姉妹が兄弟の守り神(オナリ神)」という信仰があ りますが、按司等
の有力者が「太陽」で、その姉妹が「オナリ神」。祭祀の際には、「オナリ神」
が「神」的な存在になります。
天照 大神と同じように機織をしますが、「太陽」=「按司」のための衣だと思い
ます。(もちろん、按司だけではないでしょうが)
東北にあるス トーンサークルに似た祭祀跡が、大隅半島に(石ではなく貝でつく
られていますが)あり、さらに、沖縄海底遺跡にも発見されていたようです(こ
ち らは石)。

私は、「高御産巣日」とは北部九州の人々の最高神ではなかったか?と思ってい
ます。東海地方から東北にかけての先住民 の信仰って、どういうものだったので
しょう?もし南島と似たような信仰を持っていたのだとしたら、按司のオナリ神
「ノロ」のイメージがあ る「女性神・天照」という存在をみたてて皇祖にしたほ
うが、従わせやすい?という気がするのですが、違う信仰を持っていたら、あん
まり意 味がありませんね・・・。

[112] Re: 天之御中主、高御産巣日、神産巣日は星、太陽、月かの試論
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月2日 00時36分
北極星をchi- nukar-nochiwといいますが、この「チヌカッノチュウ」は
「ミナカヌシ」に音が類似していますね。

チ・ヌカッ・ノチュ ウと別けてみると、類似は一層際立って、
チ・ヌカッ・ノチュウ→ミ・ナカ・ノチ→ミ・ナカ・ヌシとなる・・・?

[113] Re: 天之御中主、高御産巣日、神産巣日は星、太陽、月かの試論
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月2日 07時40分
> 北極星をchi-nukar-nochiwといいますが、この「チヌカッノチュウ」は
> 「ミナカヌシ」に音が類似していますね。

古 代の倭の人が、航海民族ならば、星に関する神話があってもいいはず。
しかし、カカセオさんぐらいしかないということは、
どこかに、隠され ている可能性はあるでしょう。
北極星=御中主は、いい線行ってるんではないでしょうか。

[114] Re: 天之御中主、高御産巣日、神産巣日は星、太陽、月かの試論
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月2日 10時44分
ここらも面白そうだけ どイイガカリポイントが殆どないのが辛いですね
関連調査の途次、久しぶりに星の民話に立ち寄ってきました。

http://www.city.yokohama.jp/yhspot/ysc/izumo/nihon2.html

妙 見・北斗の関係、と、住吉・筒男の関係など復習できます。

> > 北極星をchi-nukar-nochiwといいますが、この「チヌカッノチュウ」は
> > 「ミナカヌシ」に音が類似していますね。

このアイヌ語の意味は「われら・見る・星」ですよね。この手の語彙って
どうもコワイんで す。それは多分、、、多分ですが、古いコトバがタブー
になっての言い換えなのではないか、と。sak somo ye p 夏に・言わない・
も の =>蛇(「ヘビ」というと出てくるから・・・)みたいなのって
どうもコワイ。。。言い換えが古〜くからされてたのかもしれないけど。

[115] Re: 先代旧事本紀を調べてきました。
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月2日 10時49分
> 延本等の記述を元に訂正したと記述されていました。

その訂正、って的を得ているんだと思います。既述のように、直後の
記事と矛盾 しているし、書式からみても、安寧天皇の記事がぬけて
いそうですから。

私のページはどうしておこうかな。本にはそうあるが、実は
こ う、の筈、位にしておきましょうかね。

[116] Re: 五御魂速狭騰
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月2日 10時56分
別に掲げた星の民話の HPで「速星神社」の祭神が「五十筒男と住吉三神」
神功紀でも「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」「向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊」は
表/中 /底筒雄の別名、とあるので、エイヤッと、頑張って
「厳之」とか「五」は「つつ」と通じているとでも考えましょうか?

[117] Re: 天之御中主、高御産巣日、神産巣日は星、太陽、月かの試論
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月2日 11時33分
>どうもコワイ

おっ しゃるとおりで^^;

何かの本で、アイヌは星には無関心、と書いてありました。
したがって、北極星という言葉などないものと思っ ておりました。

ただ、それは北海道に定住してからの話ではないか、列島全域に
いたときは航海にも農耕にも不可欠なので、星に関心 を持たざるを得ない。

したがって、北極星を指す言葉もあったはずなので、ゴロの良さから
採用してみました。

鶺鴒 ochiu-chirは、上天の神が国土を創らせるために遣わした神鳥で、
したがって、鶺鴒は創造神話の最初に登場する当然の権利を持っていると 思いまして、まず、
北極星の重要性を知っている人物が、"ochiu"から想像をたくましくして、"nochiw"に引っ掛け、このう一つの単語 で、なんとか、天の代表的な星、
北極星を表現したかったものと想像しました。

そこで「オチュウチッ」を「御中主」と音写し、「ミ ナカヌシ」と読ませたことが
考えられるのではないかと。
が、本来は「鶺鴒」の神ではなかったかと推定していますが、
問題は多くあ り、特に○○ムスヒがこれですべて解けるのか、という難関が
控えています。

試論の域から抜け出られればいいのですが・・・^^;

[119] Re: 五御魂速狭騰
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月2日 12時00分
>エイヤッと、 頑張って
>「厳之」とか「五」は「つつ」と通じているとでも考えましょうか?

清水の舞台の下で、クッションを持ってお待ち しております(^^ゞ

>表/中/底筒雄

こういう直列系の神はやはり海士と関係あるのでしょうか。
猿田彦 も、泡3柱の神に変じておりますが、これはどうみてもアマの
信奉神のように思われて・・・。

そうそう、ウズメの話の中で、ナマコ の口を切り裂く、というのがありましたが、
ナマコ(uta)の口(char)を突いて(=搗いて)(uta)切る(cha)とすると、
「uta のcharをutaしてcha」などといった感じの縄文語の神謡が元にやはりあった様な思いに捉われました。

捉われる、といえば、まつろ わぬ者を俘囚(ふしう)にした、と紀に出てきますが、
召使い・奴婢は"ussiw"ですので、漢語の俘囚に引っ掛けたのじゃないかと
関心 を持っています。

というのは、だとしますとウズメussiw-matは普通名詞であり、
原住民の巫女首長であったのが、天孫賊 ^^;(ヤバイ)に取り込まれたのを、
在の人々が貶して言ったアザナがそのまま残ったようにも思われます。

そりゃ、降臨時には閣 僚の一人になっているんですから、榎本武揚もこれには負ける?

[121] 訂正
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月2日 12時05分
118に一文字間違い がありましたので、投稿途中で書き直したところ、
二つとも送られてしまいました。
119が言わんとするところでありますm(__)m

消 せますでしょうかm(__)m

[122] Re: 五御魂速狭騰
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月2日 12時09分
> ナマコ(uta)の口(char)を突いて(=搗いて)(uta)切る(cha)とすると、
> 「utaのcharをutaしてcha」などといった感じの縄文語の神謡が元にやはりあった様な思いに捉われました。

いいです ねぇ、(^_^)。私もこれ解こうと思った事があったんですが、どっかで躓いたままになってました。

> 捉われる、といえば、まつろわぬ者を俘囚(ふしう)にした、と紀に出てきますが、
> 召使い・奴婢は"ussiw"ですので、漢語の俘囚に引っ掛けたのじゃないかと
> 関心を持っています。

ふむ。アイヌ語と 漢語ですね。新機軸!

#118消しますね。

[123] なまこ
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月2日 12時21分
> > ナマコ(uta)の口(char)を突いて(=搗いて)(uta)切る(cha)とすると、
> > 「utaのcharをutaしてcha」などといった感じの縄文語の神謡が元にやはりあった様な思いに捉われました。
>
> いいですねぇ、(^_^)。私もこれ解こうと思った事があったんですが、どっかで躓いたままになってました。

私の書きかけ(削りか け?)です
https://dai3gen.net/namako.htm

[124] うずめ
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月2日 12時35分
> 原住民の巫女首長であったのが、天孫賊^^;(ヤバイ)に取り込まれたのを、
> 在の人々が貶して言ったアザナがそのまま残ったようにも思われます。

そうか。だから、猿田彦に「おまえが先導するか、私が先に行こうか」 なんて言えるんだぁ。
西も東も判ってたんだ、うずめさんは。。。

[125] アイヌの星!
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月2日 13時46分
書きかけメモをかき集 めてきました。アイヌの「星」に関する語彙集です。

https://dai3gen.net/ainu-hoshi.htm

[126] Re: なまこ
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月2日 14時33分
utaというのは、要 するにアマ族の一員で、ウズメの指示に従わなかった、
と言うことなんでしょうか。猿田彦は貝という記号の人々によって殺され、
後継ぎは三 つに分家した・・・。論証不能ですね^^;

でも猿田が実際にsara-ta→sara-chiだとしたら、道祖神的で、
しかもこ れも普通名詞。

猿田大神と大田命の子孫は宇治土公なので、oho-ta tanne-po、tokoは
tok(突起物)だとしま すと、もうヘビだらけです。
オシラ様信仰も、o-sara様だとすると、もう、土着も土着という感じがします。

で、たまたまウズ メがho-sura-sura(おお、とても和訳を載せられない)を
専売としていたので、sura-suraとsaraと、いい乗りになるので、
話 の中で、結び付けられたのか。これは神婚ではなく話婚というべきか? (^^ゞ

[127] Re: アイヌの星!
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月2日 14時36分
>wakkakup nociw

おおおお〜、ワカムスヒ(^^ゞ

[128] 春日をカスガと読むわけ
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月3日 08時52分
粕:米が白くなる
舂: 搗く
春:

???

[129] Re: 春日をカスガと読むわけ
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月3日 09時23分
> 粕:米が白くなる
> 舂:搗く
> 春:
>
> ???

春日部はもと粕壁ですか ら、臭いますね。

[130] Re: 春日をカスガと読むわけ
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月3日 09時59分
> > 粕:米が白くなる
> > 舂:搗く
> > 春:
> >
> > ???
>
> 春日部はもと粕壁ですから、臭いますね。

して、その原義は:
kas 漁小屋 ka の上
casi 柵・家・とりで ka の上
kas(i)ke(he) その上の所
などが候補でしょうか。

疑問: 漢和大字典(学研)では「粕」の「白」は音は表すが「白い」の
意味はないだろう、としてるのが弱い。。。

[131] Re: 春日をカスガと読むわけ
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月3日 10時27分
春日*というのは、比 較的海岸の側に多いですね。殊に九州では。
縄文海進の後期の地形を考えると、さらに該当箇所が多くなるように思えます。

ただ、長 野に一本線で繋がるカス地名は、単なる河川名の重複か・・・?

ムチャシの国ゆえ、このチャシが例のチャシだとすると、この線もあります ね。
北海道は特徴ななさそうな分布ですが、これは和人開拓民が付けたのもあるからでしょうか。

[132] Re: 春日をカスガと読むわけ
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月3日 11時15分
> 北海道は特徴ななさそうな分布ですが、これは和人開拓民が付けたのもあるからでしょうか。

そうでしょうね。一つ面白い(のかな?)ことは
山 田秀三著「北海道の地名」(北海道新聞社)P230で
根室の春刈古丹川近くの春日町について sum kar kotan 鱒の油・を取る・コタン、としている。
そして「春日町は春刈古丹の一字を採った名か」と書いている。
ま、多分そういう方向・順番なんだろ うけど、sum kar が春日の語源だ、なんて逆方向はどうやったら否定できるだろう・・・

[133] 牛 再び
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月3日 16時38分
またしても、変なとこ ろで牛を発見。
今度は先代旧事本紀です。
久米歌の前
宇陀の饗宴のところに、
「牛酒」 「しし」とあります。
「猪」  「宍」のことを牛と書いたのでしょうか。

平安のころは、牛を食べることあったのかな?

[134] 無謀な挑戦
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年6月3日 16時43分
無謀にも日本古語で語 源を調べてみました。

「かすが」は、「か−す−が」、「か=くゎ」音が付いていまるので、
「かすが=くゎ−す−くゎ」となる。
と すると
くゎ=囲む*覆う*守る*占領する*場所
す=より見えない*すぐに見えなくなる*透きとおった
だから
「より見えな くなるように囲まれ囲まれたところ」となる。
これを
「かすむ」とすると
むぅ=真に**する*真に**になる
となるので
「真 に見えなくするように覆う」となる。

春日の語源は、春日の滓鹿(はるひのかすが)
亦は
春日の霞(はるひのかすむ)を春日 (かすが)と読んだと云われているので
そうすると意味的には通ると思うのですが

[135] Re: 無謀な挑戦
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月3日 17時17分
> 無謀にも日本古語で語源を調べてみました。

それって、出典は何ですか? 鈴木・・さんの本?
全部一音節に還元しちゃう説?

[136] Re: 牛 再び
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月3日 17時19分
> またしても、変なところで牛を発見。
> 今度は先代旧事本紀です。

神武紀にもありますよ。へぇ牛肉を食べてたんだ、とやけ に
新鮮に思ったものでした。

[137] Re: 牛 再び
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月3日 18時03分
(^^ゞはブタで行き 詰まっております。
新撰字鏡に示編に比で「ヒ」と読み、和語で「ウムスヒマツリ」と言うのだそうでして、これはウムスヒ祭りといって、ブタを天帝 に供えるのだとか。

したがって、ムスヒはウムスヒであり、ウムスヒ祭りは天帝祭りゆえ、
ヒ=ウムスヒ=天帝とか。

概 念神ゆえ、中国的なのか・・・。まあ、天帝で少しは救われるかなあ(^^ゞ

[138] イヨマンテと黄泉との類比試論
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月3日 22時30分
ヨミの国の入り口を萱 野辞書はoman-ru-par(行く・道・口)としておりましが、
このomanの前になんとか「i」を付ければ「ioma-」で「yomi」に 近づくのでは
ないかと思っていたところ、i-y-oman-teでイヨマンテ、これは熊を天国に
行かせるわけですが、要するに「殺してし まう」わけですから、「ヨミに行かせる」
のと同じではないか、と、フと思いました。

田村辞書によりますと、「y」は挿入辞とのこ とですので、
i-y-oman-sirで「黄泉路」ではないかと・・・。出雲風土記に「夜見嶋」とあるので、連想しました。

https://dai3gen.net/nenokuni.htmに お書きになられたように、根国とは
明らかに異なるsirです。

i-y-oman-iとしてもいいのかもしれませんが、前にアクセ ントがある場合、
ni音は詰まった音になりますので、ヨミと聞こえうる? と、
妄想を逞しくしております。

[139] Re: イヨマンテと黄泉との類比試論
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月3日 23時09分
aniのnが消失した としますと、i-y-omaiの二つの重母音(連母音)iyo(io)と
aiのうち、iyoはyo、aiはoに近く聞こえるとすれば、ヨモ(つ) ともなりそうな・・・。

[140] Re: 春日をカスガと読むわけ
投稿者名: (^^ゞ←暇人
投稿日時: 2001年6月3日 23時58分
かす(加須)=磨 (と)ぐ=pirke(精白した)≒paykar=春あたりでしょうか。

[141] はじめまして
投稿者名: ina
投稿日時: 2001年6月4日 00時07分
はじめましてinaと いいます。
姫神の曲で縄文語に興味を持ち検索したらここに来ました。
言語学的なことは素人ですが國學院で昔神職免許を取った関係で
古 事記や日本書紀とかが好きです。
たまに遊びに来ますのでよろしくお願いします。

[142] Re: イヨマンテと黄泉との類比試論
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月4日 00時38分
ヨミも読めそうです かぁ。(^_^)

i-omante をもっと分解すると、i-oma-an-te に行けそうですね。
田村辞書に omanan = oman-an (行く・ある/いる)と解しているのと、an-te (いる・させる)という語があるによる。
oma-an という語は見つからないが、二重母音回避のため n を挿入して oma[n]-an としたのだろうか。それとも oma-ran 行き・下る から oma-nan になったのだろうか。(n→rの例はある)
挿入辞の「y」は書かずもがな、という気がする。語構成としては邪魔。i-oの発音が yo に近づく為に入れたのだろうが。。。
i-oma-an-te の語義は「それを・行く(逝く?)・居る・させる」あたりでしょうか。

> ヨミの国の入り口を萱野辞書はoman-ru-par(行く・道・口)としておりましが、

そうですね。これによって上記の「行く」が 「逝く」の意味を持てる。

この説話の他のイイガカリ事項として:
イザナミはヨモツヘグイを済ませて「寝」mokor ようとする。イザナミが結果的に目覚めて mos しまう。見ると蛆虫 mosospe がたかっている。
「桃」moma (すもも)を投げる。この伝承は「m」シリーズ?

[143] Re: はじめまして
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月4日 00時59分
ina さん、いらっしゃいませ。

> 言語学的なことは素人ですが國學院で昔神職免許を取った関係で
> 古事記や日本書紀とかが好きです。
> たまに遊びに来ますのでよろしくお願いします。

たまに、などとおっしゃらず入り浸っ て下さい。
皆さんアイデア豊富な方ばかりですから、少なくとも御楽しみになれるでしょう。
どちらかで神職なさったことがおありでしょう か。その関連でもお尋ねしたい事がありそうなメンツもおりますので、はい。(^_^)

[144] Re: イヨマンテと黄泉との類比試論
投稿者名: (^^ゞ←暇人
投稿日時: 2001年6月4日 08時23分
>an-te (いる・させる)という語があるによる。

これは知りませんでした。そうすると、簡単にi-omaで
ヨミにもヨモにも繋がります ね。

モモからの連想ですが、「千引のイワを」が、ちょっと雑ですが、
cipuy-hi-ne-i-paro-hoに見えまし て・・・、これは考えすぎでしょうね。


>この伝承は「m」シリーズ?

喪シリーズとか^^;

mu・・・ 通り道を塞ぐ、あたりも入りそうですね。

この場面、CGをふんだんに使って映画を作ったら、迫力ありますね(^^ゞ

[145] Re: イヨマンテと黄泉との類比試論
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月4日 09時30分
> これは知りませんでした。そうすると、簡単にi-omaで
> ヨミにもヨモにも繋がりますね。

そうですね。
(1) ヨミ・ヨモの母音交代を良く知る上で、和語で他に理想的には Xmi Xmo とか X_i X_o という語群を見つけて
(2)アイヌ語の -a に対応する例を求めてゆくのでしょうか。

和語-和語-Ainu
Xmi-Xmo
yomi-yomo-yoma というモデルに対して(yoma=i-oma)
kami-kamo-kama とでもなれば麗しいのだが・・・kamuy かあ。

> モモからの連想ですが、「千引のイワを」が、ちょっと雑ですが、
> cipuy-hi-ne-i-paro-hoに見えまして・・・、これは考えすぎでしょうね。

岩手の壷の(坪だったっけ?)の石文あたり の千引き岩を考えていた時なんですが「日本」とのつながりもあったので chup pok i あたりをバッファメモリーに入れておりました。

> 喪シリーズとか^^;

なるほど(^_^;)。もう!

> mu・・・通り道を塞ぐ、あたりも入りそうですね。

こ の説話に岐神(クナトノカミ)が出てくるんですよね。これと国譲りのあとの岐神との関係が全然良めないんです。
「杖」(kuwa)がキーワードら しい。

> この場面、CGをふんだんに使って映画を作ったら、迫力ありますね(^^ゞ

宮崎アニメ? (^_^)

[146] Re: はじめまして
投稿者名: (^^ゞ←暇人
投稿日時: 2001年6月4日 09時59分
神道は一回生の必須科 目でした。西田テッチョウ氏だったか。
何を喋っているのか、よく分らなかったです^^;

[147] こういう考えでいいのでしょうか?
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月4日 11時45分
海原と書いて「ウナハ ラ」と読みますが、この海の「ウナ」は「una(灰)」のこと
だと思うのですが、自信がありません。

アイヌは囲炉裏 (apeoi)を元に、沖(奥)と辺を考え、ape(火)が中心にあって、
周囲はunaですね。
よく海から熾き盛る火を(ame mer  ko yan)持ってやってくる、などの
記述を見かけますが、これは、囲炉裏が前提にあって、中心の火を手前に引き寄せる
というイメー ジを、読んでいて持つのですが、火が中心から手元に来るまで、
unaを経て来るわけですから、このunaがある領域はウナパラで、海に擬制した、
と 思えるのですが・・・。

とすると、瓢箪に灰を入れて海に流す、といった記述が記紀のどこかにあったように思えますが、これは浮き袋をウ ナ=海に浮かべる、と言った感じに近い意味に
なるような気がします。

[148] Re: こういう考えでいいのでしょうか?
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月4日 11時56分
> 海原と書いて「ウナハラ」と読みますが、この海の「ウナ」は「una(灰)」のこと
> だと思うのですが、自信がありません。

な あるほどぉ。。。日本語方言は「ヨナ」もあるけど、

> アイヌは囲炉裏(apeoi)を元に、沖(奥)と辺を考え、ape(火)が中心にあって、
> 周囲はunaですね。

これが 面白いですねぇ。

> よく海から熾き盛る火を(ame mer ko yan)持ってやってくる、などの
私の知ってるのは ape mer ko yan で、アメに解してみてはいるのですが
ame mer ってのもありますか?

> 記述を見かけますが、これは、囲炉裏が前提にあって、中心の火を手前に引き寄せる
> というイメージを、読んでいて持つのですが、火が中心から手元に来るまで、
> unaを経て来るわけですから、このunaがある領域はウナパラで、海に擬制した、
> と思えるのですが・・・。

囲炉裏の 周辺の話をもう一度、そういう視点で読み直さないといけないな。。。

> とすると、瓢箪に灰を入れて海に流す、といった記述が記紀のどこかにあったように思えますが、これは浮き袋をウナ=海に浮かべる、と言った感じに近い意味 に
> なるような気がします。

はい。古事記ですが、自分のサイトからコピしておきます:
このアイヌの神名の後半 は、これほど直接的には解釈は出来ないのですが、それでも、仲哀記(岩波だと
p231)には、天照大神と住吉三神の要求として「真木の灰を瓠に入 れ・・・・・大海に散らし浮かべて渡
りますべし」という謎めいた託宣があります。岩波の頭注では、意味不明の呪術であろう、としてます。

[149] Re: こういう考えでいいのでしょうか?
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月4日 12時04分
ame merはape-merの打ち間違いでした^^;
フロイトの「精神分析論」に出てきますね。あれは言い間違いの例ですが。
願望が無意識に 出ちゃうんですねえ。


[150] Re: こういう考えでいいのでしょうか?
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月4日 12時08分
> 願望が無意識に出ちゃうんですねえ。

出ますねぇ、、、(^_^;) 自戒自戒

なお、今お話している事は アマサカルムカヒツ姫 に関連していまして
関連ページは:

https://dai3gen.net/amasakar.htm

です。

[151] Re: こういう考えでいいのでしょうか?
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月4日 12時29分
そうそう、これ。
https://dai3gen.net/amasakar.htm
火 の輝きと共に、灰の輝きと共に上がってくる神。
これが賢木厳之御魂天疎向津媛命と同じだなんて
どうやって分ったのだろう、と思いましたね (^^ゞ

あれ以来、悪い遊びもしなくなり、縄文に鶺鴒するようになっちゃいました^^;

>灰の輝きと共に上がって くる神

いま読み返してみまして、この「灰の輝き」というのは、
もしや「海の輝き」のことを言っているつもりだったのではとも思わ れます。
灰は輝かないから灰ですよね・・・?

[152] Re: こういう考えでいいのでしょうか?
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月4日 14時06分
> 火の輝きと共に、灰の輝きと共に上がってくる神。
> これが賢木厳之御魂天疎向津媛命と同じだなんて
> どうやって分ったのだろう、と思いましたね(^^ゞ

熊襲征伐を主張する仲哀 VS
新羅遠征を主張する神功 の構図
神功っ てもしかして、親熊襲だったのか、なんて考えたりしてたと
思います。

> あれ以来、悪い遊びもしなくなり、縄文に鶺鴒するようになっちゃいました^^;

ほう、人様のお役に立ったのか、道を踏み違えさせてしまっ たのか・・・

> いま読み返してみまして、この「灰の輝き」というのは、
> もしや「海の輝き」のことを言っているつもりだったのではとも思われます。
> 灰は輝かないから灰ですよね・・・?

は い。(これシャレです、笑ってね)
そうすると、ape mer とあるけど、「火」と「灰」のコントラストだと
思ってたけど、「天」と 「海」の対比が原点なのかぁ!

[153] Re: はじめまして
投稿者名: きんたろう (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月4日 19時51分
inaさんて私の知っ ているinaさんですか??^^
もしそうなら久し振りですねv(^o^)
そうでなければ、初めまして(^O^)y

[154] Re: こういう考えでいいのでしょうか?
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年6月4日 22時41分
> なお、今お話している事は アマサカルムカヒツ姫 に関連していまして

姶良郡霧島町と国分市の隣で、宮崎県との県境にある財部町に、
日 光神社の末社で「向津姫神社」と「向津神社」があるそうです。
祭神は「撞賢木厳之御魂天疎向津毘売尊」。
財部町の地名は「吐火羅島」から 「吐火羅人」が移住したことに
よるという伝承があるそうです。

南九州には12000年以上前の地層からも土器片などの遺物や
遺 跡も発見されていますが、6300年ほど前の鬼界島火山の
大爆発で、上野原遺跡の集落なども絶頂期に突如衰えてしまいます。

かろ うじて生き残った人々は、陸路・海路で、新天地を求めたのでは
ないでしょうか?
硫黄島は佐多岬の南西約40キロ。鬼界カルデラの北縁にあ たります。
「吐火羅島」をトカラ列島付近の島とみる説と、外国(大陸)説がある
ようです。
桜島が1万年ほど前に爆発したときの火 山灰を「サツマ層」と呼んで
いて、旧石器時代から縄文時代への移行期をしめす考古学上の重要な
指標だとか。
縄文時代って、火山と ともに生きた時代という気がします。
(灰が降ったり、舞ったりするのはイヤだけど、桜島は好き。開聞岳
も火山なんです。霧島も・・・火 山だらけなのね。)

[155] 國學院の方いらっしゃるのですか?
投稿者名: ina
投稿日時: 2001年6月4日 22時49分
みなさま今晩は國學院 の方いらっしゃるのですか?
ハンドルネームだけでは私の知っている方がいらっしゃるのか
判断ができませんが初めての方でしたら「はじめま して」ですね。
ちなみに僕はいなますといいます。
國學院大學101期で別科神道専修�類で資格は正階を
取りました。私は最終的に は神社で奉職しませんでしたがご存知のかたも
いるとは思いますが2年間は新宿の某社と田園調布の浅間神社で実習しました。
大学の講師で覚 えてるのは祭式の小野先生と倫理学の鎌田東二先生
あと教科は忘れましたが山本正道先生、阿部、茂木、もてぎ先生、大原、
渡部真弓先生くら いです。神道科のほうにも友人はいましたが何分
神社界から離れたもので音沙汰なしになってしまいました。
もし知っている方がいらっしゃっ たらうれしいです。

[156] Re: 國學院の方いらっしゃるのですか?
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月4日 22時56分
> いるとは思いますが2年間は新宿の某社と田園調布の浅間神社で実習しました。

ひょっとして新宿某社って、鬼王さま?
私は国学とは 無縁ですが、三代前がお寺と喧嘩して神道に改宗(?)した
そうで、バァチャンの葬儀をやってもらいました。「あの」大久保さんに。

[157] Re: 國學院の方いらっしゃるのですか?
投稿者名: ina
投稿日時: 2001年6月4日 23時27分
> > いるとは思いますが2年間は新宿の某社と田園調布の浅間神社で実習しました。
>
> ひょっとして新宿某社って、鬼王さま?
> 私は国学とは無縁ですが、三代前がお寺と喧嘩して神道に改宗(?)した
> そうで、バァチャンの葬儀をやってもらいました。「あの」大久保さんに。


残念です。確かきおう神社でしたっけ?
お使いで 行ったことはあったと思うのですが僕がお世話になったのは
伊勢丹の前です。そことは実習上の問題で軋轢があって実習神社を
学校側が変更し ました。(爆)
あまり良い思い出がそこにはないので神社名は差し控えさせていただきます。
でも良い経験をしたと思います。

[158] Re: 國學院の方いらっしゃるのですか?
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月4日 23時32分
> 残念です。確かきおう神社でしたっけ?

そうでしたか。余計な事をお尋ねして失礼しました。
鬼王神社の大久保さんって色々言われて るらしいけど
面白いお人ではある・・・

[159] Re: 國學院の方いらっしゃるのですか?
投稿者名: ina
投稿日時: 2001年6月4日 23時42分
> > 残念です。確かきおう神社でしたっけ?
>
> そうでしたか。余計な事をお尋ねして失礼しました。
> 鬼王神社の大久保さんって色々言われてるらしいけど
> 面白いお人ではある・・・

別にそんな気にしないでくださいね。
大 久保宮司さんご存命なのですか?実習生だったからもう覚えてないと
思いますけど変わり者とわたしも実習神社の人から言われた事があった
と 思います。(爆)
外でやる外祭でヘルプで息子さん(非常にいいひとだったように記憶してます)
(居たと思うけど)よく来られてたような気 がします。
なつかしいです。

[160] Re: 國學院の方いらっしゃるのですか?
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月5日 08時00分
(^^ゞは國學院と 言っても、別学部です。
当時は、日本を放浪しても、神社にただで泊まれるとか言われていました。

[161] まるごと本家取りの怪
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月5日 11時55分
ヒルコは具わざる神と 書かれていますが、pir-po、piro-po(傷ついている)子あたりでしょうか。

そうとすると、国創神話はイザナギ、イザナミ、オ ノゴロ嶋などを含めて、
完璧な翻訳ですね。

しかし、征服者には征服者の神話があるはずで、ということは、
母系社会であっ たという要素と同列ほどの他の要素もあったのでは。と
思いたくもなるのですが、いかがでしょうか。
まるごと★ゆえ。

以下 は論証不能の物語です。

少数の棄民が、利器を持って、縄文語で神話が語られている列島の南部、
すなわち九州南部に(いつのまに か)やってきて、彼らは日本語祖語に縄文語を
交えた言葉を喋り(A)、縄文の国にうまく溶け込んで混血を繰り返し、
のち、九州北部に進出 した。

ところが当時、といってもいつの当時だかわからねど^^;、
縄文語で神話が語られている列島の内、九州北部一帯にはすでに
「古 韓語と漢語を交えた縄文語を話す新モンゴロイド系の血の濃い縄文混血弥生人」
が多くいた。(B)

ここで一戦交えて、日本語祖語に 縄文語を交えた言葉を喋べる方が勝利し、
古韓語を交えた縄文語を話す新モンゴロイド系の血の濃い縄文混血弥生人と
混血した。成り行き上、 古韓語の入った縄文語は、廃れた。(C)

この地域が、後に大きく発展したが、Aのグループの中心がいる国が筆頭に
立っていた。こ れを邪馬台国という。

一方、敗戦国人の一部は中国地方及び近畿に逃れて、葦原中津国を創った。(D)
彼らは九州残留組とも交流が あった。

邪馬台国は当初は縄文色が強いので、重母音は許容され、ヤマタイと言われて
いたとしてもおかしくはないが、ま、ヤマトで あった。

[162] Re: まるごと本家取りの怪(続)
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月5日 11時58分
したがって、半島から 列島に降臨したのではなく、列島内部で、縄文的和語を
喋る一集団が既におり、彼らが九州から列島制覇の野望を抱いた。

ゆえに、彼 らの抱く神話は当然縄文神話であり、しかし言語は縄文的和語を
喋り、縄文人との直接の会話は出来ないほどになっていた・・・。

近 畿を侵略したとき、そこにはかつての仇敵国人のたてた出雲系の国があった。
これはかなりの強敵で、更には縄文色の強い国々もいくつかあったので、
九 州の母国はカラッポになる(ムナクニ)まで、兵士が数次に渡って投入された。

カラッポになったゆえ、近畿進出後、再度九州を征服せざるを 得なかった。

韓半島北部の言葉はズーズー弁であるゆえ、かれらもズーズー弁であったが、
また戦いに敗れ、出雲に逃れたが、のちに ここもやられた。
出雲はしたがって、ズーズー弁である。

近畿大和は積極的に大陸や韓半島から来た人間も登用したが、まだ日本語祖 語に
縄文語を交えた言葉を喋っており、神話も同様で、これが比較的新しい渡来系の人々によって、和風漢文に翻訳かつ音写された。
これが後 に記紀などに転写された。

こんな感じのような感じを抱いていますが(^^ゞ

[163] Re: まるごと本家取りの怪
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月5日 12時07分
> ヒルコは具わざる神と書かれていますが、pir-po、piro-po(傷ついている)子あたりでしょうか。

これ考えるときに オホヒルメノムチ の方はどうしましょう?

> しかし、征服者には征服者の神話があるはずで、ということは、
> 母系社会であったという要素と同列ほどの他の要素もあったのでは。と
> 思いたくもなるのですが、いかがでしょうか。

全然 構いません。どう説明するか・できるか、ということで
> 以下は論証不能の物語です。
後半60年を懸けて(賭けて?)もいいと 思ってます。(^_^)

御説はプリントしてゆっくり拝見します。
> いたとしてもおかしくはないが、ま、ヤマトであった。

[164] Re: まるごと本家取りの怪(終)
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月5日 12時10分
で、ズーズー弁という のは、標準語のようなものの訛りではなく、
本来、ズーズー弁の方が元で、標準語はその訛りではなかったか、
とも感じています。

[165] Re: まるごと本家取りの怪
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月5日 12時17分
>オホヒルメノ ムチ の方はどうしましょう?

・・・ムチで傷つく? 違うか^^;

ヘビで結構巫女は死んでいますので、ヘビで傷められ た、
というのはこれも想像の域を出ませんが、多くの説の一つくらいには・・・ならないかなあ(希望)

[166] 国○郷○と天○国○
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月5日 13時38分
国焼郷焼で思ったので すが、これは紀1段1書第2に「国稚地稚」とある
のに似ていますね。というより、moshir○ kotan○ですから、
kotan○moshir○ にすれば、まったく同じになります。
とすると、これが古形なのでしょうか?

ユーカラに天○国○とある例の有無は分りませんが、も し古形だとすると、
大和時代に、moshirを天に、kotanを国にスライドさせたのでしょうか。

moであるshirというの は天に相応しいので、深読みした人が天と翻訳
したのか・・・。そうすると、天はapeの場合もありmoshirの場合もある
ということに なるのか、それともmoshirを天としたのは特殊例なのか、
気になります。

なんだか、こうしょっちゅう、一日通しで書き込みを するというのも、
十分、気が引けます^^;
暇だなあ・・・。縄文鶺鴒以前は忙しかったのに(^^ゞ

[167] Re: 国○郷○と天○国○
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月5日 13時47分
> 国焼郷焼で思ったのですが、これは紀1段1書第2に「国稚地稚」とある
> のに似ていますね。というより、moshir○ kotan○ですから、

天饒国饒 も旁は「焼」の本字が「燒」だから同じなんですよね。
天譲日天狭霧国禅国狭霧 の「譲」の旁も煩雑!
狭布稚国、ってのもありますね。

> 暇だなあ・・・。縄文鶺鴒以前は忙しかったのに(^^ゞ

今 は縄文が忙しいんでしょ?(^_^)

[168] Re: 国○郷○と天○国○
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月5日 14時04分
>今は縄文が忙 しいんでしょ?(^_^)

縄文中毒です^^;

奈良・平安にさっぱり興味が湧かなくなりました。

[169] Re: まるごと本家取りの怪(続)
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年6月5日 14時42分
>近畿を侵略したと き、そこにはかつての仇敵国人のたてた出雲系の国があった。
これはかなりの強敵で、更には縄文色の強い国々もいくつかあったので、
九州の 母国はカラッポになる(ムナクニ)まで、兵士が数次に渡って投入された。
カラッポになったゆえ、近畿進出後、再度九州を征服せざるを得なかった。

こ の説は面白いです。各地の民族の移動や展開の過程を見れば見事に符合します。
しかし、この時期の日本人は既に農耕民となっていると
する と、根こそぎ移動ができたのかという疑問があります。
また、日向、阿蘇、宇佐などの神話や伝承を見ると
真偽は別として、神武の東征後も九 州の支配と経営は維持されていると見て取れます。
しかし、これは隼人や熊襲を考えると変です。
但し、神武の支配圏は、熊本、宮崎、鹿児 島、大分一帯であり
筑紫一帯は入っていないことも気になりますが
これは単純に熊襲や隼人を討伐した王朝と神武の王朝は別とした方がよいか もしれません。
ただ、先の神話や伝承を世代照合で見ると
神武に該当されている人物は、崇神に該当するような気がします。

[170] Re: まるごと本家取りの怪
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年6月5日 14時44分
>少数の棄民が、利器 を持って、縄文語で神話が語られている列島の南部、
すなわち九州南部に(いつのまにか)やってきて、彼らは日本語祖語に縄文語を
交えた言 葉を喋り(A)、縄文の国にうまく溶け込んで混血を繰り返し、
のち、九州北部に進出した。
ところが当時、といってもいつの当時だかわから ねど^^;、
縄文語で神話が語られている列島の内、九州北部一帯にはすでに
「古韓語と漢語を交えた縄文語を話す新モンゴロイド系の血の濃 い縄文混血弥生人」
が多くいた。(B)
ここで一戦交えて、日本語祖語に縄文語を交えた言葉を喋べる方が勝利し、
古韓語を交えた縄 文語を話す新モンゴロイド系の血の濃い縄文混血弥生人と
混血した。成り行き上、古韓語の入った縄文語は、廃れた。(C)
この地域が、後に 大きく発展したが、Aのグループの中心がいる国が筆頭に
立っていた。これを邪馬台国という。

これは、Aグループ=邪馬台国=天孫 族とされているわけですよね
多分、この感じだとBグループが奴国に該当する。
すると、狗奴国は?

>一方、敗戦国人の一部 は中国地方及び近畿に逃れて、葦原中津国を創った。(D)
彼らは九州残留組とも交流があった。

このグループは、スサノオ系?
こ の場合、
ニギハヤヒもこのグループに含まれるのか

[171] Re: まるごと本家取りの怪
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月5日 15時17分
> 以下は論証不能の物語です。

> 少数の棄民が、利器を持って、縄文語で神話が語られている列島の南部、
> すなわち九州南部に(いつのまにか)やってきて、彼らは日本語祖語に縄文語を
> 交えた言葉を喋り(A)、縄文の国にうまく溶け込んで混血を繰り返し、
> のち、九州北部に進出した。

ここの「縄文語」と

> ところが当時、といってもいつの当時だかわからねど^^;、
> 縄文語で神話が語られている列島の内、九州北部一帯にはすでに
> 「古韓語と漢語を交えた縄文語を話す新モンゴロイド系の血の濃い縄文混血弥生人」
> が多くいた。(B)

ここの「縄文語」 は同じ言語(方言差はあるとしても)という想定ですか?
縄文語1と2みたいに、違うものと考えますか?

[172] Re: まるごと本家取りの怪
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月5日 16時00分
これは、「まるごと本 家取り」の不思議から想像した衝動的記述です^^;

[173] Re: まるごと本家取りの怪
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月5日 16時25分
>ここの「縄文 語」は同じ言語(方言差はあるとしても)という想定ですか?
>縄文語1と2みたいに、違うものと考えますか?

縄文語の裔の アイヌ語で各地の神話が解ける、ということは、
今の日本語と同様に縄文語は分布していたのではないか、という
推定が可能かな、と思ってい ます。

ただ、縄文以前にアルタイ系の言語が、列島の幾つかの領域に入って、
それが基層を成し、恐らく中国周辺の東夷あたりと思い ますが、
流入して来た。

現代の中国語は、その東夷の作った漢字と発音を、あたかも上古の
日本語のように、取り入れたので はないか、という疑問を持っています。

上古漢音のPAT,PAD,PAN,PAR。これらの音が割り当てられている漢字は「別、発、抜、 貝、半、班、反、片、辺」などです。

これらの漢字は「二つに分かれる」≒「二つに分ける」という意味において
共通しています。
こ れに対応する日本語がちゃんとあります。

P音はのち、F音・KF音に転じて、さらにH、あるいはM音、B音に変化しています。

PA      歯(一つでは噛めない…)
PA     刃(二つに分けるもの)
PA     葉(二つに分かれているもの)。
PAD-AKARU  大きく開く(二つに分け開く)
PAD-USU  外す(二つに別れ別れになる)
PAT-I   嘘([方言]二枚舌) 
PAT-URU   皮などを剥ぐ(皮と身を二つに引き裂く)
PAN-ASU  切って壊す([東国方言])
PAN-ARU  間が開く(二つが別れ別れ になる)
PAR-U   新しく土地を開墾する(切り開く)
PAR-U   晴れ(雲がちぎれて空が開ける。
?PAR-U    原(山もなく開かれている場所)。
PIR-U   放つ(屁をひる。左右に鳴き別れ…)
PIR-AKU  開く
FUT-ATU   二つ

アイヌ語との対比は可能性として以下のものがあります。

PA    向こう側(ここから離れた場所)
PAM     葉(双葉もしくは葉脈からの連想?)
PA    年(分けられたyear=冬年、夏年?)
PAR-A   広い。
PAR-O    口(二つに分かれるもの)
PAR-AURE 足(二つに分かれているもの)
PAR-SE  飛び散る(日本語「はぜる」PAS- ERU)
PAR-ATEKU 手(二つに分かれているもの)
PAR-ARU  通り(分岐するもの。
PAR-U   穀物(本体 から取り

[174] Re: まるごと本家取りの怪(終)
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月5日 16時28分
PAR-U   穀物 (本体から取り去った実)
PAR-UR  端。縁(離れているところ) 
PAT-CE  飛び散る
PAT-OY  唇(二つに離 れるもの)
PAT-TAR  炒り豆がはぜる 
PER-KE  破れる。割れる。壊れる。
PET-PA  切る。裂く。破る(二 つに分ける)
PET-U  切る(二つに分ける)
PET-PO  再び。もう一度(二度目)

このアイヌ語と上記日本語は 本来同源で、かつ東夷の言語に
由来しているのではあるまいか?

次に南方系の縄文語がこれをスケルトンとして
肉のように絡 まり付いた・・・。
そして、和語が脂身のように付着した・・・。
こういう思考法はアイヌ的ですね(^^ゞ

で、結局、地勢 的理由から、大陸・半島系の言語要素が含まれた縄文語と、
和語系が含まれた縄文語があり、これらはやがて混ざり合って、
和語が比較的優勢 な縄文語が支配語として残った?

以上、完璧な想像ですが***。

[175] Re: まるごと本家取りの怪
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年6月5日 23時32分
> > ヒルコは具わざる神と書かれていますが、pir-po、piro-po(傷ついている)子あたりでしょうか。
>
> これ考えるときに オホヒルメノムチ の方はどうしましょう?

開聞岳山麓の枚聞神社や指宿市の揖宿神社は、「天照大神」ではなく
「大 日霊女貴尊(オオヒルメノムチノミコト)」です。
古くからある神社では、「大日霊女」になっています。南九州だけな
のでしょうか?

「ソ シシノムナクニ」なんですが、鹿児島では「穴」=「宇都」。
隼人町と国分市にまたがる「姫城」には「宇都」地名が残っています。
「姫城」 からは「韓国岳」を眺めることができます。姫城から韓国岳
一帯が、隼人の反乱以前の曽の君の本拠地とみられています。

琉球の「お もろさうし」に「あた襲い・から襲い」が「聖域」とされて
いて、「から襲い」が「姫城〜韓国岳一帯」ではないかと考えています
が、想像の 域を出ません。
「ソシシノムナクニ」は「やせた不毛の国」とされていすようですが、
確かに、シラス台地で「水田」には向かないかもしれま せんが、台地
では「陸稲などの畑作」が行われていましたし、照葉樹林帯+竹林も
あります。天降川など霧島山系からの水の恵みもあります。
「ソ シシノムナクニ」は「ソ(曽)シシ(穴=宇都→姫城〜韓国岳一帯)
ノ・ムナクニ(空国→韓国・から国)」
「から国」が「から襲い」につな がれば、「聖域」になりそうなんだけど
な〜・・・。

[176] Re: まるごと本家取りの怪
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月6日 00時45分
ムナクニが問題なんで すよね。韓なのかカラッポなのか・・・。
ソシシの解読である程度、分る可能性はありますが・・・。

[177] 縄文語は弥生時代をも支配した?
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月7日 21時33分
縄文時代に続く弥生時 代にあっても、弥生人によって、新たな流入語が
もたらされたとはいえ、基本的に彼らも、かなり濃厚な縄文語を
話していた、としか思えない のですが、どう思われますか。

[178] Re: 縄文語は弥生時代をも支配した?
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年6月7日 22時24分
> 縄文時代に続く弥生時代にあっても、弥生人によって、新たな流入語が
> もたらされたとはいえ、基本的に彼らも、かなり濃厚な縄文語を
> 話していた、としか思えないのですが、どう思われますか。

縄文語・弥生語ではないのですが、私が他県から鹿児島に引越ししてきた
当 時、「女子が方言を使うのは・・・」という雰囲気がありました。
使っている言葉は標準語。でも、話してみるとイントネーションが鹿児島
弁 風なのです。これを「からいも標準語」と地元では呼んでいました。

奄美出身の友人の話では「シマでは方言を使い、本土では標準語を使う」
と いうことで、「TVでおぼえた」という「きれいな標準語」を使って
いました。
本来の鹿児島弁がどういうものなのか、私もよくわからない (聞いたこと
がない)のです。
仮に鹿児島弁を縄文語、標準語を弥生語とすると、標準語(弥生語)の
影響は受けていても、鹿児島弁 (縄文語)は色濃く残るが、環境の変化
(古代なら集団移住等)によって、年月とともに本来の姿を失っていった
というところでしょうか?

[179] Re: 縄文語は弥生時代をも支配した?
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月7日 23時49分
> 縄文時代に続く弥生時代にあっても、弥生人によって、新たな流入語が
> もたらされたとはいえ、基本的に彼らも、かなり濃厚な縄文語を
> 話していた、としか思えないのですが、どう思われますか。

明治以降日本から渡米した家族のことを考えてみますと、一世はほとんど
米 語になじめなかった、日本人同士の婚姻の場合には二世は外部との
つきあいを通じて米語も習得し親から受け継いだ日本語もできる
バイリンガ ル、三世あたりから婚姻面でも混血のケースが増加して
ほとんど米語しか使わなくなる。

ありゃ、この場合は逆でしたね。渡来人が在 地言語に染まる例かぁ。

白人と米国先住民では・・・? 渡来人(白人)の言語が支配的に
なった。地名には先住民語がいまだに使わ れているケースがある。
伝承は? 白人と先住民族との婚姻は多くなかった?
この渡来人は男女とも多数やってきた。

ふむ。 日本列島への渡来人の男女構成比かぁ。。。神話では
ニニギ降臨に伴った女性はアメノウズメ唯一人、それも、実の
出自は先住民かという (^^ゞ説もある。。。

ミトコンドリアDNAの研究成果、これをどう読むべきか。
例えば62人の日本本土人は53種類のパターン を持つ。
そのうち14人が8つのパターンで韓国人と共通だ、という。
つまり23%の日本本土人とは韓国人と同一の母系から出てきている
(な お、韓国サイドからみると27%が日本人と同一パターンとなる)
71%の日本本土人は周辺のどこの人とも12千年の程度では同一母系に
属 さない。

この71%もの本土人が縄文期を通じて今に至るまでミトコンドリア
を継承している、ということかぁ???

な お研究成果のこの部分は、本土人と中国人では一つも共通パターンが
ないのが直感的には大いに疑問がある。おそらくサンプル数が
62と甚だ 少ないせいであろうか。

[180] Re: 縄文語は弥生時代をも支配した?
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年6月8日 01時39分
それは
流入し た人口の比率の違いと思います。
つまり
圧倒的多数派に少数が入ると同化されてしまいます。
多くの人口を持つ先住民の居住地に少数 の人口を持つ民族が流入しても
先住民に飲み込まれて同化します。
逆に
少数の人口を持つ先住民の居住地に多くの人口を持つ民族が流 入します
この場合、先住民の方が同化されてしまいます。
また
先住民と流入して来た民族がそれほど変わらない人口の場合は
両 方の言語が混在します。

弥生人と縄文人は骨格等の形態資質から別の民族と思われます。
しかし
地域性により相当その形態に 差がみられます。
つまり
弥生色の強い地域には短期間に大量の移住者が流入しているために
同化されて縄文語は衰退していると思われ ますが
それほど新規移住者が流入していないので
縄文色の形態が比較的残っている地域は縄文語をそのまま使用していると思います。
但 し
新規の流入が見られ形態的に弥生色が強くても
それほど一度の大規模な流入ではなく時間を掛けて五月雨的に流入した場合は
縄文語 も比較的残こすことになると推測します。
当然
移住者と先住者が比率的に均等な地域と思われるところで
中間色の形態のところにも縄 文語は強く残っていると思います。
よって
地域により
縄文語の残余度と使用度は違うと思います。

[181] Re: 縄文語は弥生時代をも支配した?
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月8日 07時39分
記紀などをみると、上 古は明らかに母系であり、したがって、ミトコンドリアDNAも
母方が続する種族を100%引き継いでいなければなりませんな。

と こらが縄文人と現代日本人は頭骨形態小変異などのデータによれば、明らかに
別種であり、現代日本人は弥生人の直系子孫という結果が出ています。
こ れがどうにも信じがたい・・・。

さらに、宝来氏の300人弱のミトコンDNA分析によれば、中国人と本州日本人は
無関連、中国人 と沖縄人も無関連。アイヌ人と沖縄人も無関連。

本州日本人と対韓国人、対アイヌ人の関係では、対アイヌ人との関係は、対韓国人の
半 分。

韓国人と同一のミトコンDNAを持つアイヌ人が10人、逆にアイヌ人と
同一のミトコンDNAを持つ韓国人は4人。

や はりサンプルが少ないのか、しかしある程度の実体は反映している筈です。

以上のデータが正しいとすると、ある時期、新来半島人がもたらし た疫病により、
縄文人は一時ほとんど死に絶えたか?

しかし、アイヌ人と沖縄人の間に、1万2000年の隔絶があるというのも、
信 じがたいですね〜。

[182] Re: 縄文語は弥生時代をも支配した?
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月8日 07時43分
韓国人と同一のミトコ ンDNAを持つアイヌ人が10人だとすると、アイヌ人は
比較的多く、韓国人の母を祖先に持っていたことになるはずですが・・・。

[183] Re: 縄文語は弥生時代をも支配した?
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月8日 08時26分
> 韓国人と同一のミトコンDNAを持つアイヌ人が10人だとすると、アイヌ人は
> 比較的多く、韓国人の母を祖先に持っていたことになるはずですが・・・。

失礼ながら、こういう言い回しの理解しかたが困る、というか、 ちょっと待って欲しいのです。
多分「アイヌ(の一部)と韓国人(の一部)は母系の系譜を溯ると同じ母体に行き着く」。
ここまでは言えると 思うんですね。さてその母体を何人と呼ぶべきか、また、地理的に何処に居たのか、、、そこまではMtDNAは教えてくれないのではないでしょうか。

[184] Re: 縄文語は弥生時代をも支配した?
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月8日 08時40分
> とこらが縄文人と現代日本人は頭骨形態小変異などのデータによれば、明らかに
> 別種であり、現代日本人は弥生人の直系子孫という結果が出ています。
> これがどうにも信じがたい・・・。

この研究(他に も多いのだが)は「現代日本人」を一くくりにしちゃってるから、自分でわけわかめ、になっちゃってるんじゃないか、と思います。
雑駁に言って弥生 系の現代日本人と縄文系の現代日本人、の少なくとも二種類の遺伝的分別ができるようですから、弥生系現代日本人のサンプルは弥生人に近いんでしょう。その サンプルに縄文系の現代日本人が入っていたのか居なかったのか、、、そういう意識を持つべき事が判る前の研究なんでしょうか。。。

> さらに、宝来氏の300人弱のミトコンDNA分析によれば、中国人と本州日本人は
> 無関連、中国人と沖縄人も無関連。アイヌ人と沖縄人も無関連。

「アイヌと琉球が無関連」というのも不思議なんですが、それは私の都合だけ から不思議だと思うに過ぎないのかも知れない。
しかし「日本本土人と中国人」に一つも共通なパターンがない、というのは恐らく多くの人が不思議に 思わないだろうか。
これはサンプル数が少なく、たまたま見つからなかっただけなんじゃないのか、と思うのですが。

> やはりサンプルが少ないのか、しかしある程度の実体は反映している筈です。

サンプル少ないけど「何かが有った」ことは言える。問題は「何 かが無かった」ことは、まだ言えないのじゃないかなぁ。

> 以上のデータが正しいとすると、ある時期、新来半島人がもたらした疫病により、
> 縄文人は一時ほとんど死に絶えたか?

崇 神紀にも疾病が蔓延して人口の半分が死んだ、というのがありますね。天然痘の可能性がある、ということが書いてありました。
http://www.taishitsu.or.jp/aging/aging6.html
ま た、私の「大年神と疱瘡神」 https://dai3gen.net/izumo3.htm も御参考に。

> しかし、アイヌ人と沖縄人の間に、1万2000年の隔絶があるというのも、
> 信じがたいですね〜。

[185] Re: 縄文語は弥生時代をも支配した?
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月8日 08時45分
> 記紀などをみると、上古は明らかに母系であり、したがって、ミトコンドリアDNAも
> 母方が続する種族を100%引き継いでいなければなりませんな。
(中略)
> しかし、アイヌ人と沖縄人の間に、1万2000年の隔絶があるというのも、
> 信じがたいですね〜。

この12000年、と いう数字の信頼性(統計学上の)ですよね。平均なんだろうけど、分散が書かれてない(見つからない)のでねぇ。。。
ある一つの母系系統に絞ってみ ると、100年かもしれない(その確率は?)100000年かもしれない(その確率?)
これも12000年前、ってことだけが一人歩きしてるん じゃないんでしょうか。

[186] Re: 縄文語は弥生時代をも支配した?
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月8日 09時37分
>> 韓国人と同一のミトコンDNAを持つアイヌ人が10人だとすると、アイヌ人は
>>比較的多く、韓国人の母を祖先に持っていたことにな るはずですが・・・。

これは文末を省略したため、曖昧な文章になってしまいましたが、
「韓国人の母を祖先に持っていたことになる はずですが」、これはちょっとおかしいんじゃないか、という意味です^^;

いや、本当に(^^ゞ

>12000年 前、ってことだけが一人歩きしてるんじゃないんでしょうか。

そんな感じがします。結局、サンプルの採り方、及びサンプル数の
双方 が問題をはらんでいるように思えます。
厳密な分析はまだこれからなのでしょうが、技術的にはもはや
不可能ではないはずです。

5300 年前にアルプスで見つかったアイスマンの子孫である「可能性が強い」
のは、アイルランド系のイギリス人を含む13人の現代人で、彼らはミトコンド リア遺伝子の特定部位塩基配列がアイスマンと同じであったと言われていますが、その後世界中から送られてきた現代人の塩基配列の中に、アイスマンと同じ定 部位塩基配列を持つ「極東人」もいた、と書かれています。

極東人というと、普通は日本人のことですが、まあ、それが事実なら、列島の近く にも親戚がいた、ということになりますね。
もともともとは同じなので、おかしくはありませんが・・・。

[187] Re: 縄文語は弥生時代をも支配した?
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月8日 09時42分
>>「韓 国人の母を祖先に持っていたことになるはずですが」、これはちょっとおかしいんじゃないか、という意味です。

これも誤解されやすい文章で すね・・・。

誤解されやすいデータゆえに、なんと言うべきか(..)

[188] Re: 縄文語は弥生時代をも支配した?
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月8日 11時29分
> 誤解されやすいデータゆえに、なんと言うべきか(..)

原データとしては:アイヌ51例と韓国人64例に関して、アイヌ10例と
韓 国人4例がMtDNAのDループ領域の中の482塩基に就いて同一で
あった、ということですね。

これの意味:
1.サンプ ル数が少ないけど同一なものが見つかったという意味は大きい、
だろう。
2.このアイヌ10例と韓国人4例は、どこまでか、溯れば 同一の母体
から出自している、ことになる
3.どこまで(何年、何万年)溯ればそうなるか、その母体は地理的に
どこにいたのか、は出てこない
4.想像できる可能性としては色々ありそうだが
(1)日本列島が大陸とつながっていたときにその母が大陸にいて、
その娘姉妹の一方が今の韓国に相当する方向に赴き子孫を残し、
他方が今の日本列島にやってきて(北回り?南回り?)子孫を残した
(2)100年ほど前、朝鮮半島から北海道に来た女性がアイヌと
結婚して子孫を残した、その係累がサンプルされた(???)
というようなことをどうやって否定して行くか、でしょうか。
5. 上記は、MtDNAの全塩基数は16559(DNA人類進化学/宝来聡@p67)
その内の482に就いてである。残りの部分が大いに違っているかも
知れない、これはどう考えておくのか。。。
6.再掲になるけ ど、あと、12000年、ということ。
7.母系に就いては重要な事が判明して来そうだけど、戦争かなんかで
男ばっかりが大勢やってきたことはMtDNAの研究からは
出てこない、というハンデも考慮しておかねばなるまい。
(日本神話の降臨でも女性はウズメ一人だけ?)

[189] Re: 縄文語は弥生時代をも支配した?
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年6月8日 15時29分
> 記紀などをみると、上古は明らかに母系であり、したがって、ミトコンドリアDNAも
> 母方が続する種族を100%引き継いでいなければなりませんな。

基本的に記紀は男系と記されていると思いますけど

> とこらが縄文人と現代日本人は頭骨形態小変異などのデータによれば、明らかに
> 別種であり、現代日本人は弥生人の直系子孫という結果が出ています。
> これがどうにも信じがたい・・・。

それはおかしい です。
資料の出所は記憶にないのですが(ニュートンだったかな?)
以前自分が見たデータでは縄文系の遺伝子を引き継いでいるとなってます けど
まあ
ミトコンではなく
形態学的アプローチと遺伝学的アプローチ(血液など)の両方から見た場合です。
但し
地 域性にかなり差があるということのはずです。
ある地域では殆どが弥生系であるが
別の地域では基本的には弥生ではあるが、
あきらか に縄文人の遺伝子を引き継いでいるとなっていたと思います。

> さらに、宝来氏の300人弱のミトコンDNA分析によれば、中国人と本州日本人は
> 無関連、中国人と沖縄人も無関連。アイヌ人と沖縄人も無関連。
> 本州日本人と対韓国人、対アイヌ人の関係では、対アイヌ人との関係は、対韓国人の
> 半分。
> 韓国人と同一のミトコンDNAを持つアイヌ人が10人、逆にアイヌ人と
> 同一のミトコンDNAを持つ韓国人は4人。
> やはりサンプルが少ないのか、しかしある程度の実体は反映している筈です。
> 以上のデータが正しいとすると、ある時期、新来半島人がもたらした疫病により、
> 縄文人は一時ほとんど死に絶えたか?

縄 文人は確か何度が人口激減期があります。
中期と初期の中頃に大幅に減少しますが
極端に減少したのが縄文晩期です。
弥生前期とこの 時期は微妙に重なりますので
この縄文人の人口が大幅に減った時に
弥生人が雪崩れ込んできたということになります。
特に西日本では その状況が顕著です。
生き残った西日本の縄文人は
大量に渡来した弥生人に飲み込まれたという状況のようです。

> しかし、アイヌ人と沖縄人の間に、1万2000年の隔絶があるというのも、
> 信じがたいですね〜。

弥生人の渡来は2千年 前でしょう。
すると
アイヌと

[190] Re: 縄文語は弥生時代をも支配した?
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月8日 15時35分
女性ではウズメだけ、 というのも不自然ですね。
というか、不自然と思いたい(^^ゞ

原住民の女首長を加えて、色を添えたのでしょうか。
ヌード ダンサーを抜擢して、原住民を幻惑させた・・・。

しかし、彼女は天孫族に十分溶け込んでいますね。
それもそのはず、と展開できれ ばいいのですが。

[191] Re: 縄文語は弥生時代をも支配した?
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年6月9日 00時20分
> 女性ではウズメだけ、というのも不自然ですね。
> というか、不自然と思いたい(^^ゞ

> しかし、彼女は天孫族に十分溶け込んでいますね。
> それもそのはず、と展開できればいいのですが。

沖縄・久米島では、根 人・根神の時代(〜15世紀頃まで)は、
根人(血族からなる集団の有力者)4・5人に対して根神(祭祀
を司る神女・主にリーダーの姉妹) 一人を一組の単位として、
ムラを統治していたとみられています。
「おもろさうし」の「くめの二間切りおもろ御さうし」の中に、
  「君や 鬼の君
  目付け しよわちへ
  愛(かな)しやす 見よわめ
  さしふ 五人
  あまの愛しやにす」
と いうおもろがあります。
 「君神女は霊力豊かな優れた神女である。目付けをし給いて、
  敬愛するお方をこそ見守り給うのだ。神の依りつ くさしふの
  五人が、最も敬愛されるお方にこそ、ついて守っているのだ。」
  (岩波文庫「おもろさうし 下」)

久米 島は、琉球王朝時代も、中国との交易ルートの最重要地点だった
そうです。阿多隼人が縄文時代から南島の貝を交易に使っていたこと
からみ て、「五伴緒神」の原型が南島の「根人・根神」の統治にある
のではないか?と思うのですが・・・。

[192] Re: 縄文語は弥生時代をも支配した?
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月9日 11時25分
五伴緒神って、よく考 えてみると、全員、祭祀を行う連中ばかりで、
為政者はいませんね。そこのところが・・・。
ん、政祭一致か。

[193] 面白い話題が続出しているではないですか、笑
投稿者名: きんたろう (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月9日 18時50分
ところで先日の予言通 り宣伝に来ました、自爆v(^o^)

「漢字と万葉仮名」というタイトルで新作をアップしました^^
実は余り意味のないタイトル ^^;;

下記のアドレスです。

http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/manyougana.htm

[194] Re: 縄文語は弥生時代をも支配した?
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年6月10日 00時19分
薩摩半島の上加世田遺 跡には、作りかけの勾玉も出土しているとか。
「玉作り」の人々もいたことになります。
上加世田遺跡と喜界島の遺跡にも共通点がみられ、阿 多隼人と親密な
関係が想像されるというようなことも喜界町誌に記載されています。

また、喜界島と久米島は「おもろ」にも「シマウ タ」や「民話」にも
「ノロ」を共通項として、まるで「姉妹」のように関連があったので
はないかと感じています。(この部分はまだ思いつき の状態ですが)

水田農耕は、灌漑技術や水源確保などの実力を持った人々が支配者層
になり、政治的にも実権を握ると思いますが、畑 作その他であった場合、
「祭政一致」で充分まとまるのではないでしょうか?
琉球王朝が祭政一致だったのも、「水田農耕が普及しなかったか ら」
という気がします。

[195] 民謡
投稿者名: きんたろう (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月10日 21時47分
牛深ハイヤ節のハイヤ はハエ=南風とありますが...??
朝日小学生新聞の記事より、自爆^^;;

[196] Re: 民謡
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年6月10日 22時58分
> 牛深ハイヤ節のハイヤはハエ=南風とありますが...??

鹿児島にも「鹿児島ハンヤ節」があります。「ハエ(南風)じゃ」
という 意味です。
牛深ハイヤ節と奄美の六調「天草」はよく似ているそうです。
「天草」の歌詞は、シマの方言ではないそうなので、牛深ハイヤ節
の 方が元祖とみられているようです。

薩摩半島や天草の人々は風向きと汐の流れを利用して南へいける
時期があるのを知っていて、南島 へ渡航し、牛深周辺の漁師町など
で唄われていた歌に奄美の六調のリズムが加わって、現在の「ハイ
ヤ節」系の歌が唄いつがれているそうで す。
鹿児島ハンヤ節と牛深ハイヤ節は歌詞がほとんど同じです。

[197] ソシシのムナクニ再論・・・とか^^
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月11日 05時41分
完動詞は第一人称を接 尾語であらわすというのであれば、
unは完動詞ゆえ、国をku-un-iと作るのは駄目でしょうか。

ただuniで家という意味が ある、と知里さんは言っていますので、
これを名詞とみてku-uniで「私の家」とはなるまいか^^;
国家と同じ発想なんでしょうか。

ム ナはmu塞がっているna(方向)として、soskeははげ崩れている、
sosoははがす、sosは助けて^^

sinoは十分に 全く/実に大きな(以上、すべて知里「地名」)、これらの材料から、
sos-sino-muna-ku-uniを再構意訳しますと、
はげ 崩した母なる地の、(今は)塞がっている国、もしくは、
はげ崩した実に大きな、(今は)塞がっている国とでもいった意味に
なりえましょう か・・・。

[198] Re: ソシシのムナクニ再論・・・とか^^
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月11日 06時06分
空国を「韓(カラ) 国」としますと、
はげ崩した母なる地の韓国、もしくは、
はげ崩した実に大きな韓国?

これだと、百済か任那あたりのように 思えますが、
そうするとあちらも縄文語を喋っていた?

しかし、崩されたのではなく、崩したということは、
やはり邪馬台国 か?
ん・・・、崩してしまったという悔恨の意が含まれているなら、
半島なのか・・・。

[199] 日向のクシフルの高千穂の峰試論の叩き台の一案
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月11日 06時48分
pur-pur-ke  煙がモコモコふいている/泉がゴボゴボ湧き出ている。

pur-ke モコモコ出た/ゴボゴボ出た。

pur モコ/ゴ ボ。転じて「出る煙」「湧く泉」か?

A.  [日向 の taka-chip の kusi-pur の岳]
  1日向 の 掘 らせた船 の 山向うの煙が出ている山
  2日向 の 掘らせた船 の 川向うの煙が出ている山

B.  [日向 の  kusi-pi の taka-chip の 峰]
  1日向 の 山向うの岩 の 掘らせた船の(ある)山
  2日向 の 川向うの岩  の 掘らせた船の(ある)山

Bのkusi-piをkusi-purとすると、

C. 1日向の山向う(or川向う)の煙 が出ている所(kusi-pur-i)の 掘らせた船の  (ある)山

これだと、日向をpiwkiとすると、小石川の川向うの煙が出てい る所の、掘らせた船の(ある)山。

意訳すると、「掘らせた船のような山」?

[200] Re: 日向のクシフルの高千穂の峰試論の叩き台の一案
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月11日 09時42分
そうか。taを「(舟 を)くりぬく」に取ったのですね。

私は、高千穂、高取、高鳥(鷹鳥)を 高(rik?) chip/chir にまとめられないか
と 作業をしています。「たかとり*」で102件ヒットします。

このアプローチは出雲の「鳥上山」=「船通山」とも一脈通ずるものに
な ります。「鳥」と「舟」は中々仲がよろしいようです!

そして、クジフル、は kus hur から攻めてみてます。
これは クシヒネ、kus pinne (sir) の線から「雄岳」との関連

[201] Re: 日向のクシフルの高千穂の峰試論の叩き台の一案
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月11日 09時54分
(^^ゞのも102件 ヒットしました!(^^)!

怪しげな場所に固まっていますね・・・。

[202] Re: 民謡
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月11日 11時36分
やはり隼人は南人なの か・・・?

[203] Re: 民謡
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月11日 11時46分
> やはり隼人は南人なのか・・・?

新冠の酋長の名前に「ハエクル」というのがあります。
シャクシャインの乱の登場人物。

http://www.bekkoame.ne.jp/ro/gi11496/02/2b-001.html

[204] Re: 民謡
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月11日 12時05分
事故レスで す、(^_^;)

> 新冠の酋長の名前に「ハエクル」というのがあります。
> シャクシャインの乱の登場人物。

「ハ エ」は地名です。今の門別、豊郷の旧称。波恵川と漢字が当てられる川もある。
この「ハエ」は、いらくさ、という植物の名前に因んだもの(更科、永 田)と
言われてしまうと「我々の夢?」がなくなるが・・・

[205] Re: 民謡
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月11日 13時00分
酒宴で松前藩の佐藤権 左衛門の謀略によって暗殺され、と書いてありましたが、
記紀と似たようなことをやっているんですね。

[206] Re: 民謡
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月11日 13時07分
怒涛レスです^^;

そ ういえば、筑紫の別名、白日別って、稗のことではないでしょうか。
retar-piyapaで「稗・稗の種子」、pi(種)の所属形は piye(he)ゆえ、
retar-pi(白日)が稗の古形か・・・?

[207] Re: 民謡
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月11日 15時07分
> 酒宴で松前藩の佐藤権左衛門の謀略によって暗殺され、と書いてありましたが、
> 記紀と似たようなことをやっているんですね。

ネ パールの事件の報道を見たときにも記紀の、手研耳暗殺(第二代皇位争奪)、から始まって、ヤマトタケル、安康天皇暗殺、崇峻天皇暗殺、蘇我入鹿暗殺、など などなどを思い出しました。

[208] Re: 面白い話題が続出しているではないですか、笑
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月11日 20時49分
何かの本で読んだので すが、中国の何とか言う古典(こんな曖昧な書き方では
誰も信用しないだろうなあ)に「漢字は東夷が作った」と書いてあるそうです。
東夷ゆ え、満州あたりでしょうか。日本人にはその発明者の血が流れているかも
知れませんね(^^ゞ

http://www.asahi.com/national/update/0606/013.html

世 界最後(最古じゃなく)の象形文字ってのも、中国にはあるんですねえ。
トンパ文字とか。日本で流行の兆しありと。

[209] Re: 面白い話題が続出しているではないですか、笑
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月11日 21時21分
> 世界最後(最古じゃなく)の象形文字ってのも、中国にはあるんですねえ。
> トンパ文字とか。日本で流行の兆しありと。

TV でやってましたねぇ、トンバ文字。。。
中公新書112「生きている象形文字、モソ族の文化」西田龍雄著(昭和41年9月24日発行)\230[古 いなぁ、まだ買えるのだろうか。]からモソ語を抜書きしたのを眺め直そうとおもってます。

tho-mba ってのが トンバ で「巫師」とあります。ひゃぁ、単音節語の多い事! 子音が豊富ですねぇ。
例:khw =足、犬: ndzw 住む: thu 地: tsi 雲:tsi-so 霧:thu 出る/到着する。。。

[210] Re: 隼人
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年6月11日 22時32分
> やはり隼人は南人なのか・・・?

南島には現在でも「言霊」が生きている、と、奄美・沖縄関係の本
には書かれているようです。
隼 人に「呪力」があったのかわかりませんが、「言霊」とか「呪力」
というのは、それを信じる者には、良くも悪くも、無意識のうちに
何らかの 影響を与えてしまいますね。

「隼人」とは「鳥隼」であり、「南人」であり、「隼(船の美称)の人」
でもあった。(まだまだあるか も・・・)
答えは一つではないのかもしれません。

奄美では明治の頃まで、女性は12・3歳になると右手、結婚すると左手
も、 手の甲から指先にかけて入墨をしていたそうです。
明治9年5月15日入墨禁止令発布。処罰覚悟で入墨をする人が明治30
年代頃までいたそ うです。
入墨は単に装飾的な意味合いだけでなく、呪術の要素も備えており、成人
した女性という印に加え、施さずに亡くなった場合は、霊が あの世へ行け
ず、途中でさまようといわれていたほど大事なものだったそうです。

[211] Re: ソシシのムナクニ再論・・・とか^^
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年6月11日 22時49分
> 空国を「韓(カラ)国」としますと、
> はげ崩した母なる地の韓国、

姫城の山は、シラスの崖がむき出しになっています。
イ メージ的には合います。
周辺に「岩戸」や「巫女塚」もあったり。修験道の霊山でも
あったそうなので、聖地っぽい感じもするのです が・・・。

近くの城山(隼人新城)には登山道の途中に横穴がたくさん
あり、隼人の墓だったそうです。

[212] Re: 隼人
投稿者名: きんたろう (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月11日 23時05分
この地方の南風とは 「しけ」と同意味で使われているのでしょうか??
しけのために漁が出来ないので踊っていた??自爆^^;;

[213] Re: 隼人
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月11日 23時08分
婚約指輪の代わりに、 指輪状の刺青を指にすれば、取ったり外したり
しなくていいので、便利でしょうね。
そうか、ネクタイもワイシャツにプリントすればいいん だ。
これはヒットするかも(^^ゞ

[214] あと8日じゃないですか!
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月12日 14時31分
ああ、時がたつのは速 い。とうがたつのが速いのも当たり前だあ(^^ゞ

[215] Re: あと8日じゃないですか!
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月12日 14時35分
> ああ、時がたつのは速い。とうがたつのが速いのも当たり前だあ(^^ゞ

後半はともかくぅ、(^_^;)、全く、もう来週の話ですね。
予 約分は20日か21日にサインして送り出します。
本屋に並ぶのは月末近くになるとか、、、この業界のことが良く
判らないのですが、そうい うことでした。

[216] Re: あと8日じゃないですか!
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月12日 14時53分
聞くところによります と、本が出来てから、東販、日販などの取次ぎに
引渡し、彼らが全国に配布するそうです。
まず首都圏に最初に出回り、北海道や沖縄は最後の ようで・・・、
皮肉というべきか^^;

[217] Re: あと8日じゃないですか!
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年6月12日 23時33分
> 聞くところによりますと、本が出来てから、東販、日販などの取次ぎに
> 引渡し、彼らが全国に配布するそうです。
> まず首都圏に最初に出回り、北海道や沖縄は最後のようで・・・、
> 皮肉というべきか^^;

ということは、鹿児島も最後の 方に近いのですね〜。
気長に待ってますぅ。楽しみ。

[218] Re: 隼人
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年6月12日 23時54分
> この地方の南風とは「しけ」と同意味で使われているのでしょうか??
> しけのために漁が出来ないので踊っていた??自爆^^;;

南 から吹く風で、「しけ」とは限らないと思います。
古代、南島へ向かった船は貝や珊瑚を持ち帰り、阿多の地で貝輪や珊瑚の
かんざし等、加工 して北九州へ持ち込んでいました。
ハンヤ節の歌詞に、「南へ航海に出てから半年が過ぎた。あとの半年は寝て
暮らす。」という内容の部分が あります。

黒潮の流れが弱くなるのが秋と早春。秋に南へ渡り、半年後の春〜初夏に
南の風とともに宝(貝や珊瑚は古代は宝物でした から)を乗せて帰ってくる。
ハンヤ・ハイヤは「ハエ(南風)」であるとともに、「ハエ(繁栄)」でも
ある。めでたい席には「ハンヤ節」を 踊るようです。

宝の価値も時代とともに変化します。いまでは「大漁を祝う唄」のようです。

[219] 日方
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月13日 00時30分
櫛御方、奇日方、など の「日方」を考えていた時のメモ:
アイヌ語 pikata

田村すず子・沙流方言:真正面沖から(南西方面から)来るしけかぜ (「しかた」)
萱野茂(二風谷?):南、南風:南西風 (pikata rera 南風)
中川裕・千歳方言:風の名称;どちらから吹く風 かはっきりしない。

土地によって面白いですね。

なお、広辞苑「ひかた」日方:西南風、また東南風という。
万葉集 7巻に「あまぎらい ひかた 吹くらし」とあるという。

どっちかからどっちかへの借用語っぽいか、縄文起源の語彙か???

[220] 神の枕詞
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月13日 14時27分
「たまぢはふ」神とい うのは、ramaci-hawe-e魂の音の神とすると、
ramaciはやはり「タマシヒ」でいいのかとも思えたりしていますが・・・。
「た まじ」じゃなくて「たまち」というところも魅力的に思えるのですが、
こどもだましか^^;

raを多少強く発音すると、「da」と 聞こえるとあるので、やはりそうかな、と。

[221] 取り下げ(^^ゞ もうちょっとマシなことを思案中。
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月13日 14時37分
(*^^)v

[222] Re: 日方
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年6月13日 23時25分
> 櫛御方、奇日方、などの「日方」を考えていた時のメモ:
> アイヌ語 pikata

> どっちかからどっちかへの借用語っぽいか、縄文起源の語彙か???

「南風(ハエ)」は、正確には「南西風」だと思うので、「日方」 「pikata」
との関連って、興味深いですね。
「精神医学的にみた邪馬台国論(松下兼知著)」に「HB抗原サブタイプ」
の分布 図が紹介されています。(WTO、国立がん研究所調査S50.11
.25読売)
少し古いデータですが、WTOの協力を得て、世界各国から 約2万人のHB
抗原保有者の血液を取り寄せ、分析をしたそうです。
その結果、4つのタイプに分類でき、北方型、南方型、ニューギニア型、
ア フリカ型に分かれています。
台湾地域での調査では、江南の出身者は南方型、江北出身者は北方型に。

日本では約1万検体を対象に分 析。北方型と南方型が混在。沖縄・奄美では
南方型がおよそ90%を占める。鹿児島県大隅地区は南方系が66.7%。
福岡、佐賀、長崎、熊 本、対馬地区は、阿蘇山脈を境にいずれも90%以上が
北方系を占める。
北方系は岐阜あたりまで80%以上を占めるが、関東から北上するに つれて、
南方系の割合が増加している。秋田では北方系が45%まで減少。北海道は
北方系が68%。これは移住が関係しているのでしょう か。

 これらの資料から、ウイルス学者らは「初め南方系が日本列島に展開し、
 その後北方系が半島経由で入り込んだ」と推論して いる。

と、書かれていました。「縄文起源の語彙」の可能性も???

[223] 新嘗祭の新嘗の原義試論の叩き台の・・・
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月13日 23時46分
ニヒナメという言葉 は、さまざまに訛っています。
ということは、かなり古い言葉のように思えます。

ニヒナエ (雄略紀)
ニフナミ (万 14-3460)
ニハナイ (神代紀)
ニハナヘ
ニハナヒ

神嘗というのもありますが、これも

カム ナメ
カムニヘ
カムナヘ

相嘗というのもありますが、これも

アヒナメ
アヒニヘ
アイムベ

と、 まあ、これらが「嘗」のさまざまな変化だとすると、
音韻変化のtextにもなりうるような・・・。

試論ですが、ニヒ、ニハ、ニフ はnumi(実)ではあるまいか^^;
nuweは「沢山」、想像力を働かせてこれを「豊作」とします。

numi-nuweで実が 沢山収穫できたということで、実の豊作。
カムはkam(肉)とすると、kam-nuweで豊猟。
アヒをa-piとすると、沢山の実です が、沢山の実がなるものは穀物?
したがって、api-nuweで穀物の豊作か。

万14-3386に「早稲をニエすとも」とありま すが、これは早稲が豊作
になったので、神祭りを家でしていても、の意味ではなかろうか?

まあ、これは考えすぎかもしれませんが、 ちょっと嘗めてみました(^^*)v

[224] Re: 日方
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月13日 23時49分
> 「南風(ハエ)」は、正確には「南西風」だと思うので、「日方」「pikata」

この手のこと(東西南北)は、余り正確を求めないで大き く捉えておいた方が
よいかも知れないな、と思ってます。

HBVサブタイプですが、面白い数字が出ていますね。しかし、
「現 在、日本人の0.9%、約110万人がHBVキャリアであると推測されているが、1970年代初期には、
2.7%がキャリアであると推測されていた。」 そうです。出典:
http://www.lapjp.org/lap1/nlback/nl13/nl13std.html

全 人口の1%しか持ってないものの分類から、どの程度の事がいえるの
だろうか。。。

>  これらの資料から、ウイルス学者らは「初め南方系が日本列島に展開し、
>  その後北方系が半島経由で入り込んだ」と推論している。

こ の研究「だけ」からじゃぁ無理じゃないのかなぁ。。。???

[225] Re: 日方
投稿者名: きんたろう (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月14日 10時06分
でもこのような大胆な 仮説v(^o^)はとても面白いと感じてしまいます。

私も基本的には同様に考えています。
はっきり言えば私自身が南方系だと思い こんでいるせいかも??自爆^^;;

[226] Re: 日方
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月14日 10時20分
日本は酸性土壌なの で、人骨が残ることは稀ですね。
上古の列島人口が仮に10万人だとすると、彼ら1人当たりの
資料的価値は現代人の人口を1億2千万人とす ると、
1200倍程度でしょうか。

とすると、少なくとも全国から1000個の骨が出て、ウイルス
などを検出できれば、現 代人120万人を調べたのと
ほぼ同様な結果になるように思えます。
ま、極めて大雑把ですが・・・。

ということは、現代人 1万人を調べても、上古の人骨十数個を
調べたにも及ばない可能性があるかも。

[227] Re: 日方
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月14日 13時16分
> ということは、現代人1万人を調べても、上古の人骨十数個を
> 調べたにも及ばない可能性があるかも。

ううん、、、ちょっ と別の話じゃないでしょうか。
HBVの話はキャリア自体が日本では人口の1%程度しかいない。
その中に南方系(も北方系もその他も)あ る。つまり、
全人口の0.5%とかの規模の人は南方系のHBVを持ってる、って
話なんじゃないでしょうか。

[228] Re: 新嘗祭の新嘗の原義試論の叩き台の・・・
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月14日 13時20分
> ニヒナメという言葉は、さまざまに訛っています。

再読、三読していて、ナメ、と「隠び」は関係してこないのかな、と。
思い付きだ けですが・・・

なお、a-pi に関してですが、どうも a が「多い」の意味で使われるのは
煮汁に限定されてるようですが(萱 野辞書の用例は煮汁に関することのみ。
田村辞書は(煮汁の)と一種限定をかけている)。。。

[229] Re: 日方
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月14日 13時26分
頭が乗りが悪いとき は、いつもこんな感じです^^;  光らない・・・。

庭に蛍がいるんですが、この雨じゃ、飛びませんね。
光ってはいます が・・・。

[230] Re: 日方
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月14日 13時49分
> 庭に蛍がいるんですが、この雨じゃ、飛びませんね。
> 光ってはいますが・・・。

ほう、ほたるですか、ってシャレじゃな くって・・・
ほたる<火垂る、だという語源説があるようだけど、アイヌ語のほたるは
nin-nin-kep-po 。田村辞書では「(減ることを表す語根)・重複・(自動詞形成)・もの・(指小辞)」と解析している。
どこかで「減り減りするもの→消え消えする もの」というのを読んだ記憶があるが、いま、見つからない。
十勝方言では tom tom kikir というそうで、これだと「光り光りする虫」と、正反対の捉えかたになってるのが面白い。

余談になるが、氷もアイヌ語では「溶けるもの」 ru-p と言い、現象の捉えかたが日本語と反対だ。
ビールも、もう半分飲んじゃったと言うのか、まだ半分ある、というのか。ま、冷たいうちに飲 んだ方が良いのでしょう、(^_^)

[231] Re: 新嘗祭の新嘗の原義試論の叩き台の・・・
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月14日 13時50分
aは煮汁が多いんです よね^^;
煮詰まっていないまま、上古は限定されていなかった可能性に
期待をかけました。

大嘗もioで「魚」と考えたの ですが、そんな言葉は辞書にないので、
さすがにあきらめました^^;
i-oそれ・漕ぐ(^^ゞ

chepが萱野解でci- e-pわれら・食べ物としますと、
われらの食べ物は魚ではなくてもいいはずですので、
やはり「流れる」に関係あるのか、あるいは、関係な いとしたら、
昔はもっとそれなりのマシな単語があったのでは、と思いたくなります。

しかし、穀類、木の実、肉、魚で勢ぞろいする のが・・・、
役マンと思ってみたら大チョンボ。←昔はこればっかり。
当たるとデカイんですが(*^^)v

この間、魚の方 言を見ていましたところ、「あ」から「を」まで、
50音全部揃っているのでビックリしました。

[232] Re: 日方
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月14日 14時20分
ほたるは沖縄ではジン ジン虫、鳩間でジンジンバヤーとありました。
ニンニンと臭い仲のような・・・。

バヤーもhaeでしょうから、mus?
あ れ、ハエが先かmusが先か・・・。

[233] Re: 新嘗祭の新嘗の原義試論の叩き台の・・・
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月14日 14時21分
> 煮詰まっていないまま、上古は限定されていなかった可能性に
> 期待をかけました。

はい、確かに単語の意味範囲は揺れます から、なんとも言えないのですが
なんとも言えないからなんでもあり、でも困るので困ってます(^_^;;)

> 大嘗もioで「魚」と考えたのですが、そんな言葉は辞書にないので、
> さすがにあきらめました^^;

大嘗とioがどうつ ながるのか判りませんがiwo<iwak*(AN)は結構
良さそうじゃないんでしょうか。(ivak* だったかな?)

> chepが萱野解でci-e-pわれら・食べ物としますと、
> われらの食べ物は魚ではなくてもいいはずですので、

これ ら、文章になってる「単語(?)」って、ちょっとコワイです。
きっとタブーがあって、本来の語彙が使われなくなってしまったの
ではない か、と危惧されるのです。草の下に居るもの、夏(その名を)
言わないもの(共に「蛇」のこと)なんかは、和語との対応研究には
使えないと 思います。

> 昔はもっとそれなりのマシな単語があったのでは、と思いたくなります。

上記のように、その思いに共 感は致します。基礎語彙で考えて
2000年では64%しか残存しない、というのを目安にしても、失われた
語彙が34%ほどもある、と割り 切るしかないのではないかと思います。

> この間、魚の方言を見ていましたところ、「あ」から「を」まで、
> 50音全部揃っているのでビックリしました。

動植物の名前も面白いですね*しかし、たい、こい、あいなめ、など
二重母音のものな んかは比較的新しいんでしょうねぇ。。。?
どれが古いコトバでどれが新しいのか、、、区別する方法論、が
欲しいですね。

[234] Re: 新嘗祭の新嘗の原義試論の叩き台の・・・
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月14日 15時03分
大嘗は、「オホナメ」 ゆえ、io当たりかと思ったのですが、iwakなら
「イハナメ」で・・・。ますいわくありげな(^^ゞ

ん・・・、まあ、いきなり こういう上級コースに飛び込んじゃ駄目でしょうね^^;

しかし、この作業仮説は無理っぽいですね。
収穫・収獲物の豊作を祝ったこ とは、当時も事実でしょうが、
オホナメ、カンナメ、ニヒナメ、アヒナメという言葉だけすべて借りて、
中身の意味は変えてしまった、という のも、ちょっと引っかかります。

数年、熟成させておきましょう(*^^)

[235] Re: 日方
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年6月14日 22時51分
> >  これらの資料から、ウイルス学者らは「初め南方系が日本列島に展開し、
> >  その後北方系が半島経由で入り込んだ」と推論している。
>
> この研究「だけ」からじゃぁ無理じゃないのかなぁ。。。???

中国・半島がほとんど北方系だったこともあって、縄文〜弥生の時代背景が
予 備知識として入っているのでしょうね。この研究「だけ」ではもちろん、
無理でしょう。
でも、どれか一つの方法だけで解明できるわけでもな いし、あらゆる分野から
見つめてみると、何か見えてくるかもしれませんね。

[237] Re: 日方
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月14日 23時11分
> 中国・半島がほとんど北方系だったこともあって、縄文〜弥生の時代背景が
> 予備知識として入っているのでしょうね。

予備 知識って気をつけないと先入観と同義になることがあるしね。。。

> この研究「だけ」ではもちろん、無理でしょう。

遠 慮して「だけ」と強調してみせたのですが、本意をザクっと言って
しまえば、HBVを持ってる人、1%の中の4タイプの分布傾向で
残りの HBVを持たない人の傾向を測る、ってのは統計として、また
論理的に、どれほどの意味になるのかなぁ(無意味じゃないの?)
ということで す。勿論、例えば南方系のHBVサブタイプを持ってる
人が南方系の遺伝特性を持っているであろうことには大きな異論は
ありませんが・・・ 0.5%前後の人のことを、どうこう考えたい
ほどに解像度が煮詰まってない、と思うのです。

統計理論、または、論理的に何か勘違 いでもしてるようなら
是非御教示願いたいところです。

[238] 宇治、氏、内、fuchi??
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月15日 10時15分
各地で、家の神を氏神 とか内神とか言っておりますが、
どうもアペ・フチ・カムイを連想してしまいます。

ヒト、氏、宇治にかかる枕詞が同じなのも気にか かっています。
pitoは人であり神であるので、そうすると宇治というのは
fuchiに何らか関係あるのか、ないのか、興味深いところで す。

[239] Re: 宇治、氏、内、huchi??
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月15日 10時18分
huchiでした。

https://dai3gen.net/ainunam2.htm関 連ですね。
瀬田と宇治、huchi。

[240] Re: 宇治、氏、内、huchi??
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月15日 10時23分
> 瀬田と宇治、huchi。

https://dai3gen.net/uji_chi.htm を御覧頂いたようですね。
ひと、 宇治、の枕詞、って何ですか?

[241] Re: 宇治、氏、内、huchi??
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月15日 10時36分
書き忘れました。

ち はやぶる・神
ちはやぶる・人
ちはやぶる・宇治
ちはやひと・宇治

[242] Re: 宇治、氏、内、huchi??
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月15日 10時50分
> ちはやぶる・神

ありがとうございました。
https://dai3gen.net/hayahi.htm
で、 x速日、乳速日、春日千乳早山香媛(記:春日千千速眞若比賣)
などがつながって「チハヤフル」に連環して来ないものか、その
あたりを徘徊 しております。(^_^;)

[243] Re: 宇治、氏、内、huchi??
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月15日 18時29分
un-us(そこに・ 生える)がnus→mus→musiで、「生える」と訳してハエとなった、
などという考証ができるといいですね。unが"to be" usで、 「生えてあるもの」
という意味にならないかどうか・・・。

虫は、西洋でも自然発生するものと考えられていたくらいですから^^;

以 上、独り言でした。ちょっとばかり、ムシムシし出してきましたね。

[244] Re: 宇治、氏、内、huchi??
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月15日 18時35分
そういえば、蛆が湧 くってのも・・・、う〜ん、宇治茶が飲めなくなるか(^^ゞ

[245] Re: 宇治、氏、内、huchi??
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月15日 18時39分
ひさびさに。

ち はやぶる と あらぶる とは関係はないのでしょうか?
「ちはや」と「あら」に相対、相関するものは??
ただの強弱というのも考えられな いか?

ちはやぶるかみ と あらぶるかみ 
新旧ではないか?と以前妄想していました。

まだまだ未熟者(;_;) ですね。

[246] Re: 宇治、氏、内、huchi??
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月15日 21時41分
ペギラさん、同盟を結 びますか(*^^)v

chi-hawean-puniわれらが・声を出し・あげる(こと上げする)?? 驚きの??
産声を出して くれたhuchi??

ああ、接続が分からない・・・。

知里さんの推論を是とするとnupuriはnu-puni-iゆ え、puniがpuriとなって
chi-hawean-puri。

kamuy-nupuriはkan-nabiだとしつこく思う (^^ゞにとっては、
chi-hawean-piともなりうる。

・・・などと考えても、基礎が出来ていないので、なんともハヤ。

[247] Re: 日方
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年6月16日 01時04分
> > 中国・半島がほとんど北方系だったこともあって、縄文〜弥生の時代背景が
> > 予備知識として入っているのでしょうね。
>
> 予備知識って気をつけないと先入観と同義になることがあるしね。。。

そのとおりですね。気をつけよう。

> 遠慮して「だけ」と強調してみせたのですが、本意をザクっと言って
> しまえば、HBVを持ってる人、1%の中の4タイプの分布傾向で

昭 和50年に報告されたもので、当時は約200万人とのことです。
HPの「1970年代は2.7%」とされている部分にあたるのか
わかりま せんが・・・。
母子感染を防ぐために、1980年代から妊産婦検診の際に血液検査を
行うようになり、保有者であった場合は母乳育児を行わ ないように指導
を徹底していったようです。南九州ではATLの保有者も集中している
ので、かなり力を入れているようです。

そ の前の1960年代の日本は、「母乳育児」ではなく「粉ミルク」が
主流だったそうですね。流行だったのか、病院側が「粉ミルクのほうが
よ く育つ」といったのかわかりませんが、仮に、HBV保有者がもっと
多かったとしても、母子感染を考えた場合、もうこの時点でかなりの数
が 減らされていた可能性もあります。
どちらにしても、これではダメということでしょうか・・・。

[248] Re: 日方
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月16日 11時24分
> どちらにしても、これではダメということでしょうか・・・。

全員が持っている或る特性(例えばABO血液型)の全日本分布を
推定 するために全人口の1%の人の分布を調べる、というのは
一つの統計的な意味があると思います。(例えば、1%のサンプル
の中でのA型の割 合が40%だった、だとすると、全人口では
40%±?%である確率が97%ある、、、みたいな)

ところが、全人口の1%の人しか 持ってない特性(ここのHBV)
に就いてその1%の内の何%かに就いての分布を調べるということは
その1%全体の分布を推定する事は出来 ても、全人口の99%に
就いては何の情報も提供しないのではないでしょうか。

というのが私の疑問・質問なんです。

[249] 「あをによし奈良」は何とこれか(*^^)v
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月17日 08時02分
阿那而恵志〔アナニヱ シ〕

an〔実に・まったく〕nuwe〔豊かに〕si〔よく育った〕

甲類円唇性後舌母音「を」は「wo」ではなく、「o」 であると
する説にしたがえば、「ao-niyo-si」であり、
原音は「an-nuwe-si」であった、と言えましょうか。

さ すれば「立派で豊かな都である奈良」となり得ますが、
そうすると、奈良は縄文語の喋られていた時期より存在していた?

[250] Re: 「あをによし奈良」は何とこれか(*^^)v
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月17日 09時18分
「ナラ」は九州から北 関東までに分布しているので
決して固有名詞で今の奈良市に限らない、
意味は「平らな土地」というあたりらしい、
と考えれば縄文に 溯っても悪くないか、とは思います。



二つの単語 の音韻、音価を引き寄せるのもさることながら
用例(関東の奈良で、a_n_y/w_s_ みたいな語彙で表現されたものが
ないか)とか、 THE奈良に於いて、アヲニヨシ、に近い他の表現が
ないか、とか、、、なんか、いいがかり、がないもんでしょうか。。。

[251] Re: 「あをによし奈良」は何とこれか(*^^)v
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月17日 10時03分
万巻五-797(泣く な・・・憶えやすいですね)に

「悔しかも かく知らませば あをによし 国内(くぬち)ことごと 見せましものを」

この 国は岩波新体系によれば「筑紫」です。
伊藤 博氏は、この国内は「奈良内」であって、
国は故郷の意味で、奈良を指す、としております。

妻 が筑紫という異郷で死んだことを嘆き、こんなことなら奈良を見物させておけばよかった、という意味と解釈しています。

澤潟注釈は、「奈 良」を国と詠んだ例はない、とし、これは「おをによし」ではなく
「あなによし」の誤りではないか、としています。
その推理の元となったの は「槻乃落葉別記」に「このあをによし」は
「西村重波が云うには『あなにやし』と同じだといっている」・・・ありゃ、
先覚者ありしや ^^;

アナ、アヤ、アヲ通音の例として、神代紀に「アヤカシコネの尊」を
アヲカシキネの尊」とも云っているから、としています。
な るほど。

ただ彼は、アナを古語拾遺に「アナとは事のいと切なるをいう」を引き、
アナは「嘆き」の意味で、ニは助詞、ヤシは「言」 の意味だとしています。
よかった^^;

で、澤潟は「西村のは特殊例で従いがたし」と退けています。

[252] Re: 「あをによし奈良」は何とこれか(*^^)v
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月17日 10時09分
> 澤潟注釈は、「奈良」を国と詠んだ例はない、とし、これは「おをによし」ではなく
> 「あなによし」の誤りではないか、としています。
> その推理の元となったのは「槻乃落葉別記」に「このあをによし」は
> 「西村重波が云うには『あなにやし』と同じだといっている」・・・ありゃ、
> 先覚者ありしや^^;

ほう。。。だいぶイイ ガカリがつけられそうになってきましたね。(^_^)

> アナは「嘆き」の意味で、ニは助詞、ヤシは「言」の意味だとしています。
> よかった^^;

「ヤシ」なんて語彙があるんですかぁ。。。

[253] Re: 「あをによし奈良」は何とこれか(*^^)v
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月17日 10時13分
補遺:西村いわく

ア ナ、アヤは応神紀に「アナハトリ」というのを、
雄略紀に「アヤハトリ」というゆえ、アナ、アヤ、アヲは
通音だと。

[254] Re: 「あをによし奈良」は何とこれか(*^^)v
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月17日 10時46分
イザナギ・イザナミの 邂逅の段、
古事記は「阿那迩夜志愛袁登古袁」を書く所を
書紀では「嘉哉遇可美少男焉」とか「美哉、善少男」としてるので
「阿那迩 夜志」で「嘉」とか「美」とかの概念なのは良いでしょうね。

ちょっと頭の整理をさせて頂きます。。。
「阿那迩夜志」と同語群とし て良いだろう「阿那而恵志」も、同じ観念。
ここまではいいですよね。あと
(1)アヲニヨシと同じか、ということと
(2)縄文語解 読が出来るか、ということですね。

(1)アヲニヨシの意味も「嘉」とか「美」で良さそうですね。
音の通用も他例が出せそうだ、と いう見通しがある。。。

(2)が残る。
an〔実に・まったく〕nuwe〔豊かに〕si〔よく育った〕
という案に就いて
(a)an に〔実に・まったく〕という意味があるのでしょうか。
語順は良いのでしょうか
(b)nuweは狩猟、猟、交易の収穫が多い、 ということのようですが
人間に使えるのだろうか。。。
(c)si が語尾、文尾に来るのは見たことがないのですが。
と いうことから、かな〜り、難しそう。。。(^^;)


> 補遺:西村いわく
>
> アナ、アヤは応神紀に「アナハトリ」というのを、
> 雄略紀に「アヤハトリ」というゆえ、アナ、アヤ、アヲは
> 通音だと。

[255] Re: 「あをによし奈良」は何とこれか(*^^)v
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月17日 11時18分
>anに〔実 に・まったく〕という意味があるのでしょうか。

評判の悪いバチェラー辞典ですが、こういう場合は
いとおしく^^;

an=quite、 entirely

contracted from ara

で、萱野「ar 全く」ゆえ、arとan通音というのはどうで しょうか。

>語順は良いのでしょうか

一番苦手な分野です^^;

>nuweは狩猟、猟、交易 の収穫が多い、ということのようですが
人間に使えるのだろうか。。。

イサナキ、イサナミが豊穣神とすればどうでしょうか。
邪 那美=isa(実った)numi(実)とか。

残欠「豊宇気大神が当国の伊佐奈子(イサナゴ)嶽に降臨した」

伊佐奈子は元 々は「イサナシ」と呼ばれていたのではないか??
「ナ」と「ヌ」は通音として「イサヌシ」としますと、isa〔実りの〕usi〔場所〕

>si が語尾、文尾に来るのは見たことがないのですが。

si、ci通音と見て、(実)が熟する(田村辞書)となりえますでしょうか。

[256] Re: 「あをによし奈良」は何とこれか(*^^)v
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月17日 11時23分
トヨウケはtoy- ukはtoy〔土地(から)〕uk〔受け取る〕?

[257] Re: 「あをによし奈良」は何とこれか(*^^)v
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月17日 11時28分
> トヨウケはtoy-ukはtoy〔土地(から)〕uk〔受け取る〕?

えぇ、toy or uk の方がいいかな、とは思ってるんですが。

[258] Re: 「あをによし奈良」は何とこれか(*^^)v
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月17日 11時36分
> で、萱野「ar 全く」ゆえ、arとan通音というのはどうでしょうか。

通音というよりは ar nuwe のような場合には an nuwe と音便
(知里さんは「音韻転化」と言うけど音韻変化と紛らわしい)します。
バチラー辞書のよらなくとも、ar nuwe の音便、で an nuwe は十分
説明出来るでしょう。

[259] Re: 「あをによし奈良」は何とこれか(*==)v
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月17日 11時42分
音便でしたか^^;

[260] Re: 「あをによし奈良」は何とこれか(*^^)v
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月17日 14時34分
> 残欠「豊宇気大神が当国の伊佐奈子(イサナゴ)嶽に降臨した」
>
> 伊佐奈子は元々は「イサナシ」と呼ばれていたのではないか??

「子」を「シ」と読ませる例(新しそうですが)を一つ:

『嵐 山の南面にあり、古くはこの一体を松尾(村)と称し、荒子山(あらし)とも別雷山ともいう。』
http://member.nifty.ne.jp/stan/k_mto01.htm

[261] Re: 「あをによし」「あさもよし紀伊」
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月18日 14時15分
紀伊の枕詞に泣かされ ております。

あさもよし 紀伊人羨(きいひととも)しも 真土山・・・

この枕詞の意味は「紀伊の枕詞。麻裳で著名な、の 意。」である、と伊藤氏は述べています。
麻裳とは「腰の部分につける麻布で仕立てた粗末な衣服。」のことです。
としますと、「あさもよ し」は「粗末な衣服で著名な」ということになりますが、
何となく違和感があります。

「粗末な衣服で名が高かった」でも意味は通じ ますが、紀伊人がことさらそういう
粗末な衣服で有名だったとは思えません。

そのうち、

若の浦に 潮満ち来れば  潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る(巻6-919 山部赤人)

に出くわしました。この「潟を無み」は、『「片男波」という名で地名と なった。
高い波、低い波のうち、高い波をいう』と辞書にはありますが、万葉学者は
「干潟が無くなったので」と解釈しているようです。

万 葉の歌が地名に果たして取り入れられたのか、これもちょっと違和感があるのですが、

*a samo yosi
ka tawo  nami

母音だけは類似、st、mw、smが通音可か、とも思えますが、ここでar-sar-us(猿)を思い出しました。

ar(片= 一方の)を潟(カタ)と翻訳。
sar(尾)を「を」と翻訳。尾は「ヲ」ゆえ。
us(ついている)を「失(う)し=無み」と音写。無みは 「ないゆえ」

とすると、ar-sar-usが「カタヲナミ」となり、さらには「アサモヨシ」となったか・・・、と、まったく無防備な試案 を^^;

でも猿の紀伊というのは、紀伊は猿が多いのであたっているような。
しかし、こういうのは、裏づけが取れそうに無いので、 困ります(--*)r

[262] Re: 「あをによし」「あさもよし紀伊」
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月18日 17時02分
> 紀伊の枕詞に泣かされております。

いつだったか神奈備の瀬藤さんともお話したことがありますが、
要するに「縄文語」での解読は出 来ませんでした。

アサメヨク、ってのもありますね、という所で尻切れ状態です。

> でも猿の紀伊というのは、紀伊は猿が多いのであたっているような。
> しかし、こういうのは、裏づけが取れそうに無いので、困ります(--*)r

猿はキイキイなくから、、、
霰ってものがキシキシ降っ たり、トホトホ降るなら、これもいいかもね?

[263] Re: 「あをによし」「あさもよし紀伊」
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月18日 17時09分
品陀真若王のワカは和 歌山のワカでしょうか・・・、と話題をそらす^^;
ワカをマワカともいう、と吉田地名辞典に書いてありましたが。

大帯日子淤斯呂 和気             
          ‖                 
          ‖−−−五百木入日子          比古伊佐勢理毘古=大吉備津日子
          ‖     ‖     |
八坂入 日子−−−八坂入日賣   ‖−−−−+−品陀真若王−+−倭飛羽矢若屋比賣
                ‖    | (仁徳天皇の外祖父)
       師木津日子−−志理都紀斗賣 + 
                |
                      +−若日子建吉備津日子

[264] Re: 「あをによし」「あさもよし紀伊」
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月18日 17時45分
ありゃ、ずれちゃっ た。

といいますのは、品陀真若王の母方の祖父タケイナダスクネを
真福寺本は「尾連之祖」としています。
兼永本以降は、こ れを誤写として「尾張連之祖」と改変しているのですが、
しかし、改変は正しいのかどうか?
「wo」連だとすれば、sar→・・・★サ ル?? キーキー連となりそうな(^^ゞ

[265] Re: 「あをによし」「あさもよし紀伊」
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月18日 18時48分
> ありゃ、ずれちゃった。

ええ。。通信で系図を書くのって難しいですね。
自分の所でちゃんとみえてもよそではだめだったりして。
な んか好い方法教えてくださいませんか>各位

[266] Re: 「あをによし」「あさもよし紀伊」
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年6月18日 22時58分
> でも猿の紀伊というのは、紀伊は猿が多いのであたっているような。

「猿」の文字を見るとついつい「猿田彦」をイメージしてしまいます。

[267] カウントダウン
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月19日 11時43分
あと二日(*^^♪

[268] Re: カウントダウン
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月19日 11時52分
> あと二日(*^^♪

君知るや、この鼓動の高まりを、、、単なる高血圧か(^^;)

[269] Re: カウントダウン
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月19日 12時13分
(爆)

出 版性高血圧

[治療法]***ひたすら我慢(*^^)v

[270] 読了!
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月21日 17時49分
さっそく読ませていた だきました。インターネットで読むのとまた一味違った感じで、初めて読むような感じがしました。
とても興味深いことばかりで、人生が楽しくなりま した (^^*)v

[271] Re: 読了!
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月21日 17時53分
お、流石、地の利を得 て、、、お早いことですね。
人生の楽しみになる、とは予期しなかったレスポンスでした(^_^)
おいおい、読者BBSの方もよろしくお願 いします。

[272] Re: 読了!
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月22日 14時48分
嵐の前の静けさ?  (^^ゞ

[273] Re: 読了!
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月22日 14時51分
> 嵐の前の静けさ? (^^ゞ

予約頂いたものの発送に手間掛かってるんかな???
名古屋では昨日は来なかった、とのこと

[274] Re: 読了!
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月22日 15時10分
発想の転換が必要です ね(^^ゞ

この本、国文の1回生の教科書として使うと、ゆっくりと流れが変わるでしょうね。

大物主は大more主なら、 三輪の神にピッタリだなあ。114ページを読んで、
フと思いました。

                          

[275] Re: 読了!
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月22日 15時21分
> 発想の転換が必要ですね(^^ゞ

はい。縄文とは。アイヌ語とは。。。先入観を一旦削除してみる、って
のはディスクのフォーマッ ティングのように怖いものがありますが、
その後は楽になります、なんちゃって。。。

> この本、国文の1回生の教科書として使うと、ゆっくりと流れが変わるでしょうね。

使ってくださる先生を探さなくっちゃぁね、(^_^;)

> 大物主は大more主なら、三輪の神にピッタリだなあ。114ページを読んで、
> フと思いました。

は はぁ。みもろ、とも言いますもんね。その「もろ」と関連付ける?
re-katak, re-shir, re-moshir, re-more-shir あたりの連結への
言い掛かりでしょうか。

                   

[277] ついに!!
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月23日 19時03分
やっと本、到着しまし た。
夕方指定のため、勇者ロトさんに遅れること数時間。

後世、縄文語のバイブルとなるかもしれないこの本。
手垢がついて ぼろぼろになるまで、
読み込むぞ!!!(爆)

[278] Re: ついに!!
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月23日 19時35分
> やっと本、到着しました。

お待たせしました、(^_^)、ごゆっくりどうぞ。

> 手垢がついてぼろぼろになるまで、

私の「萱野茂のアイヌ語辞典」もかなり真っ黒に・・・

[279] Re: ついに!!
投稿者名: kei
投稿日時: 2001年6月24日 00時02分
私のところは明日あた りでしょうか。
楽しみです。

時に、このcside.netは如何ですか?
確か早稲田でしたっけ。。
100mb じゃきゅう〜じゃないですか。。

[280] Re: ついに!!
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月24日 00時26分
> 私のところは明日あたりでしょうか。
> 楽しみです。

お待たせしております。予約くださった方からの「着いたよ」の
お 知らせは西は近畿地方、東は北関東までは、頂いておりますので
明日にでもクロネコさん(だと思いますが)がお訪ねするのでは
ないか、と思 います。

書店に並ぶのは来週、の感じです。

> 時に、このcside.netは如何ですか?
> 確か早稲田でしたっけ。。
> 100mbじゃきゅう〜じゃないですか。。

csideの話では100Mbpsを100人限定 にしている、と言っていました。
まぁ、映像のストリームをやるわけじゃなし、いいんじゃないかと。。

[281] Re: ついに!!
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月24日 00時29分
> お知らせは西は近畿地方、東は北関東までは、頂いておりますので

西は山口県、東は北関東、、、、に訂正します。

[282] Re: ついに!!
投稿者名: nick (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月24日 10時12分
今、とどきました。
直 筆のサインが。。。(~_~)
今日は、地元「正八幡:鹿児島神宮」のお田植え祭です。
そろそろでかけます。
帰宅してゆっくり拝読 致します。
先ずはお礼まで。

追記:地元には、「韓国語」がそのまま「薩摩言葉」として
残っているものがあります。
ちょっ と興味をそそるので暇を見て調べてみようと。

[283] Re: ついに!!
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月24日 10時21分
nick さん
> 今、とどきました。

よかった(^_^)。早速のお知らせ有難う御座います。
やはり関門トンネルで半日差が出てしまうのでしょう か。

> 追記:地元には、「韓国語」がそのまま「薩摩言葉」として
> 残っているものがあります。
> ちょっと興味をそそるので暇を見て調べてみようと。

現状ではっきりと「韓国語」からの借用語だ、と分かってるのは、ある意味で
楽 でいいですね。これが段々と日本語化してしまって、てっきり日本語だと思
ってしまうのに、何年位かかるのか。昔と今では、それにかかる期間も違い そ
う。
といっても、今の方が早い(さっさと日本語だと思われてしまう)のか遅いの
か(借用語だという認識が長く続くのか)。。。

[284] 音韻法則が成り立たない予感
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月24日 16時04分
襟裳岬のことを考えて いたのですが、enrum=岬、であることに就いて
異論はないようです。この近くの郡名、幌泉(ホロイズミ)も
poro enrum(大岬)である、とすると(永田方正)、要するに

enrum が エリモ になったり イズミ(イヅミ)になったり
す るのが実状。

エリモの方が原語に近そうだけど、イヅミの方は原語の音に
似た日本語を宛てているわけだ。

こういう 状況を見ると、アイヌ語と日本語の「借用」関係を
「立証」しようとしても「音韻法則」からは無理なんかな、という
予感がする。他の手法が 要る・・・・

[285] Re: 音韻法則が成り立たない予感
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月24日 18時00分
ネズミ(erumu. 萱野p162)問題ですね(^^ゞ

nの脱落、r→d、u→iが生じうるか・・・。

[286] Re: 音韻法則が成り立たない予感
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月24日 18時25分
> ネズミ(erumu.萱野p162)問題ですね(^^ゞ

まぁ、ネズミの件もねぇ、アイヌは中々言葉遊び(洒落?)が好きな
ような ので。。。でも萱野さんに、襟裳岬では「波の具合によっては
たくさんのネズミが沖へ向かって走っているように見えるのには
驚いた」と言わ れるとなぁ。。。山形県南限(新潟の北限?)の海岸
にも鼠ケ関ってのがあり、ここの小岬のことなのだろうか。川名にも
なってる。「俗解」 と言いたいところですねぇ。。。

> nの脱落、r→d、u→iが生じうるか・・・。

片山龍峯さんの「日本語とア イヌ語」にはr→dはあるし、
u→i もあるんです。その限りにおいて enrum→イヅミ も
いいんですが、同時に enrum→エリ モ とも日本語化する。

同著によると、母音に関しても、u は u にもoにも iにもなる。
oは oにも aにも uにもなる。eは eにも iにも uにもなる。

これら現象を、例えば、u は、どういう時には uのままだが
どういうときには oになる、また、どういう時にはiになる、という
規則の抽出をするのが次の段階だと思うのです。これは既に非常に
困難な作業だと思うけ ど、それをやることの意味がないのかなぁ、
ということを考えてるんです。

[287] ご著書、本日受領しました。
投稿者名: 福島雅彦 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月24日 22時54分
 直筆のサインを戴き 有り難う御座います。
本文の拝読は此れからですが…。
日本語の起源論で単一言語が対象ではない、下りは同感です。
以前、私は、朝 鮮語の中に九州弁と語幹を同じくする語彙を多数発見した時、
朝鮮語が語源かと思う事がありました。
今は、華南語(福建語・広東語・其の 他)が、古代倭語のベースに在って、
九州弁と朝鮮語に臍の緒を留めている、と思うに至りました。
 倭語の死語、語源不明語を朝鮮語に生 残っている語彙で解き明かして行く積もりです。

[288] Re: ついに!!
投稿者名: きんたろう (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月24日 22時59分
> やっと本、到着しました。
> 夕方指定のため、勇者ロトさんに遅れること数時間。

私の所にも届きましたv(^o^)
生 憎と不在だったために丸一日も遅れてしまいました、泣

と言っても昨晩はかなり酔っぱらっていたのですが...笑

[289] Re: ご著書、本日受領しました。
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月24日 23時03分
早速のお知らせありが とうございます。
一部、手違いで送料を請求してしまったケースがあるようですが
福島さんの所では失礼がなかったでしょうか。出版社も恐縮 して
ご返金させていただくと申しております。

> 倭語の死語、語源不明語を朝鮮語に生残っている語彙で解き
>  明かして行く積もりです。

奈良朝日本語からご研究になられているような要素を差し引きして
行くと縄文語が残る、みたいな算術的 な期待をしたいところです。
ご研究のご発展をお祈りします。

[290] Re: ついに!!
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月24日 23時06分
> 私の所にも届きましたv(^o^)
> 生憎と不在だったために丸一日も遅れてしまいました、泣

よくあるケースのよう で。。。

> と言っても昨晩はかなり酔っぱらっていたのですが...笑

あ、これまた、よくあるケースでし た・・・

そろそろ読者用BBSへ移っていただけるとうれしいのですが

[291] お本受領。
投稿者名: 安立@札幌
投稿日時: 2001年6月25日 20時16分
gen 様、お本楽しく読み始めています。
読みながら、あらためてgen さんの努力に感動しています。
横書きのまま、というのも宜しいです ねぇ。

(発送料の関係でミスがあったようですが、別に返却の手間は要らないのですがねぇ。)

[292] Re: お本受領。
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月25日 20時50分
お知らせ有難う御座い ます。
なんか、予約の発送全部を発送料請求しちゃったみたいですね。
それなりにカバーをして貰うようになってますので、ひとつ
御 容赦のほどを御願いします。

ご感想などを「読者用BBS」で頂戴できればありがたいです。
あちらでも、お待ちしてます。

[293] 結局買いました
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年6月26日 17時44分
何とか予算に都合がつ いたので
本を買いました。
これから
ゆるりと読ませて頂きます。

では

[294] Re: 結局買いました
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月26日 17時59分
お、あきんどさん、
あ りがとうございました。
ごゆるりとお楽しみ(?)くださいませ。

家人によると地元の本屋には見当たらなかった由。
既に売 り切れ続出か! まっさかぁ。。。

[295] 「リサゴ岳」
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年6月27日 23時09分
舟ヘンに鳥と書いて 「リサゴ」と読む山が、大隅半島の垂水市にあります。
桜島の東に居世神社、そのまた東に位置していて、「リサゴ岳」山麓から
東〜東南に串 良川が流れています。
垂水出身の知人(そのまた知人にも)にたずねても、何故そう読むのか、
漢字の意味もわからないということでした。
「リ サゴ」という言葉はアイヌ語では解釈できるでしょうか?

先日書店に2・3店行きましたが、まだのようでした。
やっぱり鹿児島は最 後なのね〜。
休日しか出られないので、今度の休みには大三元さんの本にお会いできる
のを心待ちにしております。

[296] Re: 「リサゴ岳」
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月27日 23時20分
> 舟ヘンに鳥と書いて「リサゴ」と読む山が、大隅半島の垂水市にあります。

その位置と思われるところの{舟島}には「ヒシャゴ」と振ってあ りますがぁ。
ひさご、瓢?

[297] Re: お本受領。
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年6月28日 06時52分
信じられないミスで す・・・。

[298] Re: 「リサゴ岳」
投稿者名: 瑠璃
投稿日時: 2001年6月28日 22時49分
> > 舟ヘンに鳥と書いて「リサゴ」と読む山が、大隅半島の垂水市にあります。
>
> その位置と思われるところの{舟島}には「ヒシャゴ」と振ってありますがぁ。
> ひさご、瓢?

「ひさご」だとなんとなく隼 人と関係がありそうで・・・。
知人は、そのまた知人に「みさご?(鳥の名前らしい)」と聞いたら
「りんごのり、の、りさご」と言われたそ うです。
どれが本当なの〜???

[299] 神婚説話
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月30日 11時52分
自分のHPでまとめて みたのですが、
キーワードのひとつになる「厠」が、
なんとも異様です。

神婚以外でもよく厠は出現していますが、
い つも変だな?と感じています。

アイヌ語でなにかヒントないでしょうか?

[301] Re: 神婚説話
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月30日 15時42分
> アイヌ語でなにかヒントないでしょうか?

便所、関係の語彙を集めておきました。↓
https://dai3gen.net/benjo.htm

[302] Re: 神婚説話
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月30日 17時08分
ありがとうございま す。m(_ _)m

同じような神さまの
竃の神は、奥津日子、奥津比売で大年の系譜にでてきますが、
厠の神は、記紀のなか にあるのでしょうか?

出産関連で便所の神が、よく出てきますが、
このあたりの民俗学的な習慣というようなものが、
よくわ かりません。
どうして、厠なのか?

井の神、竃の神、戸口の神、、、、

鵜の羽のウガヤさんの出産とは、また違う形 態なのでしょうか?

でも婚と厠は、同じ場面ということは、
この婚と厠が同じような発音のものかもしれないと思ってみたのですが。

ど うも無理があるようですね。

[303] 朝日夕刊
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月30日 17時11分
そうそう、結局朝日の 夕刊は手に入らなかったのですが、
どんな内容だったのでしょうか??

よろしければ、教えてください。m(_ _)m

[304] Re: 神婚説話
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月30日 17時40分
> 厠の神は、記紀のなかにあるのでしょうか?

私の知ってる限り出てきませんねぇ。

> 出産関連で便所の神が、よく出てきますが、
> このあたりの民俗学的な習慣というようなものが、
> よくわかりません。
> どうして、厠なのか?

知里真志保著「分類アイヌ語辞典・人間編」には、エナ(後産)に関して:
「あと産は古い便所に捨てる」
「あ と産は・・・まだ陽の出ぬうちに家の陰のほうの陽のあたらぬ、誰もそこへ行って小便したり踏みつけたりする恐れのないような場所に埋めてしまう」
「古 い便所の前に穴を掘って埋めた」などと便所とのコダワリがあるようです。
第二例は第一例第三例とは正反対の習俗のように見えますね。

和 人サイドの風俗は、、、どなたかぁ。。。

[305] Re: 神婚説話
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月30日 17時46分
> でも婚と厠は、同じ場面ということは、
> この婚と厠が同じような発音のものかもしれないと思ってみたのですが。

辞書をひ ねくりまわして見ましたが見つかりません。
川屋で用を足していたら、矢が流れてきて懐妊した、ってことで
いいんしょ?

[306] Re: 朝日夕刊
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月30日 18時03分
> そうそう、結局朝日の夕刊は手に入らなかったのですが、
> どんな内容だったのでしょうか??

全文転載したいため、著作権 使用許可を朝日に申請中ですので
しばしお待ちください。うん、と言うのだろうか???

[307] Re: 神婚説話
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年6月30日 18時43分
木下忠氏の「古代の出 産習俗」より

産後の胎盤ーエナの埋め方

戸口に埋める習俗
  縄文時代以来の習俗。
  南関東・長野を中 心に東北・中部―東日本に分布
  例外地域 出雲地方
産室の床下・縁の下に埋める風習
  弥生時代の風習に根をもつ。
   血忌みの民俗。お産や月経の穢れを恐れる習俗と繋がり。
  近畿・中国・九州地方―西日本に分布
  例外地域 北関東・南奥羽地方

便 所は出てきませんね。(笑)
アイヌ文化の方が、古代日本にやっぱり近いのか!

[308] あちらで連続カキコゆえ(^^
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年7月1日 10時14分
「kar 火打ち石」ゆえ、燃やす石でいいわけでしたです。

[309] プレゼント企画第五弾!
投稿者名: 勇者ロト (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月4日 02時22分
みなさん、お久しぶり です!!

下記アドレスで、「和菓子が当たる!パレ杵屋第五弾プレゼント企画」を実施中です!

7月20まで応募をお待ちし ております。ぜひ応募してくださいね!

古代史専用掲示板も作りました。うちのトップページの一番下にあります!
今度からこっちも つかってくださいね!

こちらの掲示板と同じネオシティーです。

[310] Re: プレゼント企画第五弾!
投稿者名: 大三元
投稿日時: 2001年7月4日 09時32分
> 古代史専用掲示板も作りました。うちのトップページの一番下にあります!
> 今度からこっちもつかってくださいね!

早速う ちからのリンクは張り替えました。
あ、古代史から・・・プロレスまで、、、ですかぁ

> こちらの掲示板と同じネオシティーです。

よかった。今までのヤツはどうも投稿がうまく行かなくって。。。

[311] バとマ
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月5日 17時46分
タンバ
ハリマ
サ ツマ
タジマ
イナバ

バとマは同じような意味なんでしょうか?

[312] Re: バとマ
投稿者名: 大三元
投稿日時: 2001年7月5日 18時04分
> バとマは同じような意味なんでしょうか?

一音一意と考える方も居られますが私はそれには懐疑的です。
ですから「同じような意味」 とは思いません。
しかし、発音としては、ご自分でゆっくり発音して御覧になると
分かりますが「バ、パ、マ」(より正確にはb、p、m)は
上 下の唇を一旦閉じて破裂されるように開きますね。
という訳で相互に近い音ですから、通用したり、誤認したり
転化したりしやすいんですね。

ま た、tとsはともにtsに遡るという考えもあります。
確かに、イタサ/イササ、とか、国のトコタチ/ソコタチ
という例がありますね。(本 に書いておいた・・・)

[313] Re: バとマ
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月5日 18時48分
> また、tとsはともにtsに遡るという考えもあります。
> 確かに、イタサ/イササ、とか、国のトコタチ/ソコタチ
> という例がありますね。(本に書いておいた・・・)

ふむふむ「返事をする」というやつですね。
でもこの「バとマ」なんか、
み んな海岸や海辺だと言っても、
「ふ〜ん そうなのか」 なんて思ってしまいます。(笑)
まだ志摩もあります。ヾ(- -;)

そ れにまつわるエピソードが必要なんだ!!
かなり時間差攻撃で気がつく私でした。(^◇^;)
何度言われてもすぐ忘れてしまいます。

熱 さに弱〜い冷凍怪獣でした。。。。

[314] Re: バとマ
投稿者名: 大三元
投稿日時: 2001年7月5日 18時53分
> でもこの「バとマ」なんか、
> みんな海岸や海辺だと言っても、
> 「ふ〜ん そうなのか」 なんて思ってしまいます。(笑)

タンバ ハリマ サツマ タジマ イナバ だって
みんな 山もあるっしょ?

[315] Re: バとマ
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月5日 19時05分
>
> タンバ ハリマ サツマ タジマ イナバ だって
> みんな山もあるっしょ?

確かに!!
あるあ る。。。ウン 納得!!(笑)

[316] ヒジ
投稿者名: きんたろう (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月5日 23時17分
とは湿地の意味がある と聞きました。
例によって小学生新聞からのネタです、笑

でも広辞苑にも出ていないのですが...??^^;;

[317] Re: ヒジ
投稿者名: 大三元
投稿日時: 2001年7月5日 23時57分
> でも広辞苑にも出ていないのですが...??^^;;

水の混ざった泥、で出てますね。湿地とは書いてないけど。
丹後風土記逸文 (奈具社)とか丹後風土記残欠(田造郷)に
出てくる ヒヂノマナイ が有名かも。

[318] 比古布都押信命
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月9日 16時28分
建内宿禰の親ですが、

彦 太忍信命という書き方になると、
「太」「忍」、、なんと大三元さんの世界じゃありませんか!

彦太忍信命には二人しか子供が、出て いませんが、
実は子沢山だったりして。
でもこの子孫が、のち一大勢力になっていることを指しているのか?

が単純に布都= 物部になってしまうのか?

[319] Re: 比古布都押信命
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月9日 18時47分
> 「太」「忍」、、なんと大三元さんの世界じゃありませんか!

これ、これ、からかいなさんな(^^;)

> 彦太忍信命には二人しか子供が、出ていませんが、
> 実は子沢山だったりして。

忍、押、を アイヌ語の uos 次々と、と解いたのは、次々と
生まれてきたものに対して、で、次々と生んだ方では、ない
(とりあえず、、、ね)。だから、彦太忍信命に兄 弟姉妹が
多かったか、って話が取り敢えずポイントでしょう。父親を
同じとするものなら、一応5人ですね。母親から見ると、
この人 は一人っ子ですね。

今まで積極的な例としては、忍/押 の後に
kor (持つ) kur(男)(kor の誤伝か) ka のようにk音があるものと
po (子)を上げました。「信」は「マコト」としか読んでいないようなので
イイガカリがつきませ ん、(^^;) しかし、マコト、なんて語の語感って
もっと新しいような気もしますが。。。んなこと言っててもしょうがないけど。

と ころで葛城高千那毘売(ウマシウチの宿禰の母)が建内宿禰の母だと
面白いんですがねぇ。何故、って「タカチ」ですから。(ナビメ、を
分け るのが不自然ですか? この姫さんの兄さんは「意富那毘」だから
「那毘女」もありかもよ。)


> でもこの子孫が、のち一大勢力になっていることを指しているのか?
>
> が単純に布都=物部になってしまうのか?

[320] Re: 比古布都押信命
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年7月10日 23時57分
> ところで葛城高千那毘売(ウマシウチの宿禰の母)が建内宿禰の母だと
> 面白いんですがねぇ。何故、って「タカチ」ですから。(ナビメ、を
> 分けるのが不自然ですか? この姫さんの兄さんは「意富那毘」だから
> 「那毘女」もありかもよ。)

ということは
建 内宿禰は尾張氏の出自となってしまいますね
まあ
それはそれで面白いんですが
母の出自が紀氏であるということは
十分面白い と思うのですが

[321] Re: 比古布都押信命
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月11日 00時09分
> 建内宿禰は尾張氏の出自となってしまいますね

はい、名前の整合とか連続性「だけ」に注目したハナシですので
余り深く考えないで下 さい。もし他の点で尾張出自説が通りの良い
ことでも出てきたときのイイガカリとしてバッファの片隅にでも
入るようでしたら入れておいて頂 けば・・・(^^;)

[322] Re: 比古布都押信命
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月11日 13時31分
ところで、この意富那 毘さんって誰ですか?
尾張の系譜には見えないんですが?

この葛城高千那毘売ってのも誰?
旧事紀に
タケモロクマの 妹 オオアマヒメの亦の名で
葛木高名姫がありますが、
時代が孝元と崇神で、違います。

そしてこの孝元記の記述と旧事紀の 系譜と微妙に違います。
孝元の子のスクナヒコタケイゴコロなんて
饒速日七世孫 タケイココロオオネみたい?

[323] Re: 比古布都押信命
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月11日 13時35分
> ところで、この意富那毘さんって誰ですか?
> 尾張の系譜には見えないんですが?
>
> この葛城高千那毘売ってのも誰?

いずれも孝元記に出てきます。
いま、いそがしいのでそんだけで失礼

[324] Re: 比古布都押信命
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月11日 13時45分
海部の系譜にありまし た。
十世 弟彦が オオナビになってます。
ということは日女命が高千那毘売という解釈かな?

そうなると崇神の時代と思わ れる大海姫の
2代後ぐらいに孝元が出現してします。
これって逆ですよね。

[325] Re: 比古布都押信命
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年7月11日 14時22分
> ところで、この意富那毘さんって誰ですか?
> 尾張の系譜には見えないんですが?

居ますよ
弟彦命です。

> この葛城高千那毘売ってのも誰?
> 旧事紀に
> タケモロクマの妹 オオアマヒメの亦の名で
> 葛木高名姫がありますが、
> 時代が孝元と崇神で、違います。

城高千那毘売は
先代旧事本紀には載っていませんが
海 部氏系譜には9世孫として記されています。
但し
年代は一致しません。
葛城高千那毘売の祖父である建諸隅命の妹が
大海姫命 ですからね
但し
海部氏系譜では
大海姫命は、倭得玉彦命の妹とされています。
つまり
葛城高千那毘売の叔母が大海姫 命です。
また
建諸隅命は、崇神紀に出てきますから
多分
崇神と同時期の人物なんでしょう。
すると
一見世代 逆転が起こっているような気がしますが
崇神の孫の景行の時代に竹内宿禰は出てきます。
このように
崇神朝を中心に見ると
系 譜的に齟齬はありません。
だとすると
孝元と崇神朝は別系という可能性が出てくるんです。

[326] Re: 比古布都押信命
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月11日 14時59分
> 但し
> 海部氏系譜では
> 大海姫命は、倭得玉彦命の妹とされています。

ありゃ?私の見てる系譜は建諸隅の妹になってます??

> だとすると
> 孝元と崇神朝は別系という可能性が出てくるんです。

古代南北朝ですね。

神武、綏靖、安 寧、懿徳、孝昭、考安、孝霊、孝元、開化
               崇神、垂仁、景行、成務

こんな感じかな?

[327] Re: 比古布都押信命
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年7月11日 15時35分
> ありゃ?私の見てる系譜は建諸隅の妹になってます??

それって
海部氏系譜ですか?
変ですね
先代旧事本紀の間違い ではないですか
こちらの方は
建諸隅の妹ですよ

> 古代南北朝ですね。
>
> 神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、考安、孝霊、孝元、開化
>                崇神、垂仁、景行、成務
>

お〜
孝 昭・崇神同一人物説に近い系譜ですね
個人的には
孝安と崇神を繋げたいです。

[328] Re: 比古布都押信命
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月11日 18時50分
> それって
> 海部氏系譜ですか?

今までそうだと信じていましたが(爆)
最終が海部直稲雄になっています。

また別件ですが、 建諸隅と宇摩志麻治系の矢田部造の遠祖の武諸隅は、
別人なんでしょうか?

尾張系の建諸隅は孝昭の時で、妹が崇神の皇妃とは???
宇 摩志麻治系の武諸隅は、崇神の時代です。

尾張系の建諸隅は孝昭の時で、2代あとが意富那毘の孝元で
男系は合ってる。

す ると大海姫が、整合していないんだ!!

[329] はじめまして。
投稿者名: みれにあむ
投稿日時: 2001年7月13日 19時23分
 はじめまして,初め て書き込みします.
 このサイトには,アイヌ文化を調べているところでたどり着きました.
興味深いコラムがたくさんあり,楽しませても らっています.
 アイヌ文化に興味を持ったのは,国語教科書に載っていた知里幸恵のア
イヌ神謡集が大きかったと思います.それがなくて も,我が家では小さい
頃からコロボックルのお話なんかを親から聞いていたためアイヌ文化とい
うものに対して興味はあったのですが,シロカ ニペランランピシュカンで
始まるアイヌ語の韻の気持ちよさから、アイヌユカルへの興味は次第に増
大していきました.ですから,私の初めて 触れて,今でも興味のあるのは
知里幸恵さんのアイヌ語なのです.ここを訪れる方々には自明のことなの
かもしれませんが,彼女のアイヌ語 は,どのあたりの方言と考えればいい
のでしょうか.よろしくご教授お願いします.
 ところで,アイヌ語の参考文献でも紹介している金成マ ツ著 アイヌ叙
事詩ユーカラ集ですが、絶版になっておりました.そこで,絶版図書の復
刊を支援するサイト、復刊ドットコムに登録してみま したので,よろしけ
れば覗いてみてください.
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=4796
  投票数が、一定数に達すると、出版社と掛け合うという形で復刊を支援
しています.登録が必要ですが,二重投稿を防ぐためのものです.詳しく
は, 復刊ドットコムの中で説明していると思います.
 このアイヌ叙事詩ユーカラ集の紹介文ですが,一部言語館にある記事を
参考にしました.事 後承諾になってしまいましたが,どうかご容赦願いま
す.適当な紹介をしているかもしれません.ご指摘があれば,掲示板も設
けてあるので, どうぞご教授願います.

 どうにも,専門的な議論をされているこの掲示板に,このような書き込
みは似つかわしくないかもしれませ んが、もし、この掲示板の趣旨と異な
る書き込みだと思われましたら,削除するようによろしくお願いします.

[330] Re: はじめまして。
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月13日 19時47分
>  はじめまして,初めて書き込みします.

いらっしゃいませぇ! ここは「ウィーー飲み過ぎちゃった」から、ややこしい話まで勝手にやって ますので、お気兼ねなく。

>  アイヌ文化に興味を持ったのは,国語教科書に載っていた知里幸恵のア
> イヌ神謡集が大きかったと思います.

へぇ、国語教科書に載ってる(ものもある)んですかぁ。知らなかったです。
いいことですね。 そういう意味では「日本語教科書」じゃなくって「国語教科書」にアイヌ語の話が出ているのは素晴らしいと思いました。

> 始まるアイヌ語の韻の気持ちよさから、アイヌユカルへの興味は次第に増
> 大していきました.

日本語だって、頭韻、踏韻は 気にしているでしょうが、アイヌ語の韻、リズムは一味違いますね。

> 知里幸恵さんのアイヌ語なのです.ここを訪れる方々には自明のことなの
> かもしれませんが,彼女のアイヌ語は,どのあたりの方言と考えればいい
> のでしょうか.よろしくご教授お願いします.

『ア イヌ神謡集』知里幸恵編訳(岩波文庫32-080-1)のあとがきにある金田一京助さんの文によると「知里幸恵さんは石狩の近文」に住んでいる(た)、 「故郷は胆振の室蘭線に温泉で著名な登別で」、などとあります。

>  ところで,アイヌ語の参考文献でも紹介している金成マツ著 アイヌ叙
> 事詩ユーカラ集ですが、絶版になっておりました.そこで,絶版図書の復
> 刊を支援するサイト、復刊ドットコムに登録してみましたので,よろしけ
> れば覗いてみてください.
> http://www.fukkan.com/vote.php3?no=4796

大 事な行動を取られましたことに敬意を表します*私は最近、インターネット検索と通じてやっと全8巻揃いをみつけて入手したばかりです。これで図書館のわず らわしさから開放されて何時でも参照することができます。

>  このアイヌ叙事詩ユーカラ集の紹介文ですが,一部言語館にある記事を
> 参考にしました.事後承諾になってしまいましたが,どうかご容赦願いま
> す.

そうですね。事前が良かったですね。結果的 には歪のない引用だし、目的も純正と拝察します(^_^)から、結構です。

[331] 復刊リクエスト
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月15日 12時35分
みれにあむさん、

http://www.fukkan.com/vote.php3?no=4796
へ 行って掲示板へ投稿してきました。
(新規投稿するとサーバから中味が書いてない、と云われるので何回も投稿してしまい失礼してます。適宜削除御願 いしますね。)

ここを御覧のアイヌ語ファンの方も是非復刊リクエストされては如何でしょうか?

[332] Re: 比古布都押信命
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年7月15日 15時12分
> 今までそうだと信じていましたが(爆)
> 最終が海部直稲雄になっています。

多分
それは
修正系譜じゃない でしょうか
海部氏系譜には
異伝や伝えが多く記されいます。
いちおう
基軸とする系譜はあるのですが
異伝系譜も多く 併記されていまして
大変
混乱していて繋がりがよくわかりません。

> また別件ですが、建諸隅と宇摩志麻治系の矢田部造の遠祖の武諸隅は、
> 別人なんでしょうか?

先代旧事本紀の系譜を読むと
2 人ともいますね
これを見る限り別人ですね
でも
同一人物のような気がするんですけどね

> 尾張系の建諸隅は孝昭の時で、妹が崇神の皇妃とは???
> 宇摩志麻治系の武諸隅は、崇神の時代です。
> 尾張系の建諸隅は孝昭の時で、2代あとが意富那毘の孝元で
> 男系は合ってる。
> すると大海姫が、整合していないんだ!!

個 別で見れば整合してるんですよね
というより
狭い世代間ごとでは整合する。
しかし
全体で見ると
広い世代間にすると 整合しなくなるんですよね

[333] Re: 比古布都押信命
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月15日 16時50分
> > 今までそうだと信じていましたが(爆)
> > 最終が海部直稲雄になっています。

> 多分
> それは
> 修正系譜じゃないでしょうか

私の持っているのもペギラさんのものと同様
(大海姫命は建諸隅命{和多津 見命}の妹、最後は海部直稲雄)
これは、金久与市著『古代海部氏の系図』(学生社)の巻末に
あるもので、その出典は籠神社に伝わる「丹波 国造本記」の由です。

ここらは(も!)何回見ても頭が混乱して終わりになってしまう
とこです。

[334] Re: 比古布都押信命
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年7月15日 18時17分
海部氏系譜 海部氏勘注系譜はあまりに量があるので
一部しかコピーしてないんです。
とりあえず
海部直等氏之本紀よると
彦火明命、その子として天香語山命と穂屋姫命、可美眞手命の3児
天香語山命の子として天村雲命、熊野高倉下の2児
また、天村雲命の亦名が五十楯天香語山命となっています。
天村雲命の子として
天忍人命、天忍男命、日女命、倭宿禰命、葛城出石姫命の5児
これが彦火明命の孫の世代です。
ちなみに、倭宿禰命の亦名が天御蔭命となっています。
次に
四世の孫
天忍人命の子として、天登目命。
天忍男命の子として、武額赤命
倭宿禰命の子として、笠水彦命
五世の孫
天登目命の子として、建登米命
武額赤命の子として、竹筒草命
笠水彦命の子として、笠津彦命
六世の孫
建登米命の子として、建田小利命と葛木高田姫命
笠津彦命の子として、建田勢命
七世の孫
建田勢命の子として、建諸隅命となっています。
これが問題の人物なんですが
建諸隅命の亦名を見ると、彦由牟隅命、彦国忍人命、倭得魂命、常根津彦命、
天御蔭命の弟和多津見命、大海彦と面白い名前が並んでいます。
一応、異伝として、大海姫命を妹とすると記されていますが
あくまで、正伝は、日本得魂命と大倭姫命を子としています。
また、建諸隅命の弟として、和多津美命などが居たという伝えがあるそうです。
どうも、建諸隅命は、弟達や子である倭得魂命と記録が混在しているようです。
多分
これが混乱の理由のようです。
続いて
八世の孫
建諸隅命の子として、日本得魂命、大海姫命、大倭姫命の3児
そして、面白いことに
大日諸の娘を娶って、生まれたのが、この3人なんです。
そして
日本得魂命の亦名に葛木彦、饒速日尊、御眞津彦命とあります。
これは、妄想爆発です。

[335] Re: 復刊リクエスト
投稿者名: みれにあむ
投稿日時: 2001年7月16日 12時11分
>>  アイヌ文化に興味を持ったのは,国語教科書に載っていた知里幸恵のア
>> イヌ神謡集が大きかったと思います.

> へぇ、国語教科書に載ってる(ものもある)んですかぁ。知らなかったです。

 これは,同じ国語教科書か,あるいは同じ頃の別の機会にか に,金田一京助
が北海道のアイヌの家を訪れたときの話が載ってあったために,より印象が強
かったのだと思います.「どうしよう,出してあ げる食べ物がないよ.」とア
イヌ語で話していたところ,金田一京助はアイヌ語がわかったので,居たたま
れなくなり「私の分の食べ物は持っ てきているから,かまいませんよ。」と答
えたところ,アイヌ語だからわからないだろうと思っていたところだったので,
びっくりして笑い出 してしまった.というような話だったと思います.
 これは,おそらく金田一京助の随想『北の人』だとおもいます.(今,手に
入れようとし ているところです.)


>大事な行動を取られましたことに敬意を表します。私は最近、インターネット
>検索と 通じてやっと全8巻揃いをみつけて入手したばかりです。

 私も,何年か前の青空市で売り出されていたという情報を最近知ったのです
が、 その値段が4万5千円.これは新刊で買ったほうが安くつきそうだと思って
しまいました.まあ,青空市なので「おっちゃん,これ何ぼよ」「4万5千 円や」
「あかん,高いわ.まけてくれんか」「しゃーないなぁ,じゃ,3万でどうや」って
会話が繰り返されているのでしょうけど.

> そうですね。事前が良かったですね。結果的には歪のない引用だし、目的も純
>正と拝察します(^_^)から、結構です。

> ここを御覧のアイヌ語ファンの方も是非復刊リクエストされては如何でしょうか?

ありがとうございます.


http://www.fukkan.com/vote.php3?no=4796

[336] Re: 復刊リクエスト
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月16日 18時11分
みれにあむ さん こ んにちは

> れなくなり「私の分の食べ物は持ってきているから,かまいませんよ。」と答
> えたところ,アイヌ語だからわからないだろうと思っていたところだったので,

金成まつ筆録・金田一京助訳注『アイヌ叙事詩 ユーカラ集  I』の解題(金田一の筆になる)によると
「ムム、私の食べ物のことなら、ご心配下さるな。私はアイヌ部落へ厄介になる時は、ソレ、そこにあるその ジャガいもでいいんです・・・」と答えたようですね。
翌朝、目を覚ましてみると金田一は蚊帳の中で寝たが女性三人は炉辺で蚊遣りを焚きながら座り 明かしたのであった、と、佐野源左衛門の鉢の木になぞらえて描写しています。

神田の古書店では8冊で10万円、というのがありましたが売 り切れていて、幸いもうちょっと安く手にいれました。。。ふぅ。

[337] 「かせた」は痩せた土地??
投稿者名: きんたろう (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月16日 20時59分
この単語もアイヌ語か ら推測する事は出来るのでしょうか??

さらに「さた」とはが「岬」という意味があるらしいのですが...??
これも果たしてそう なのでしょうか??

うーん、マンダム^^;;(難しいという気持ちを表してみました、^^)

[338] Re: 「かせた」は痩せた土地??
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月16日 22時00分
> この単語もアイヌ語から推測する事は出来るのでしょうか??

私にはできません。sat-tek:やせる・やせている

> さらに「さた」とはが「岬」という意味があるらしいのですが...??
> これも果たしてそうなのでしょうか??

sa ta : 囲炉裏に近いところ・川に近い方

岬 に使われるのに sapa があります。基本的な意味は「頭」のようですが
岬 の 意味もあります。
景行記の「佐波」とか、沖縄の残波岬とか、これか!?と考えてみたい
候補です。

[339] Re: 「かせた」は痩せた土地??
投稿者名: きんたろう (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月16日 22時58分
> > この単語もアイヌ語から推測する事は出来るのでしょうか??
>
> 私にはできません。sat-tek:やせる・やせている
>
> > さらに「さた」とはが「岬」という意味があるらしいのですが...??
> > これも果たしてそうなのでしょうか??
>
> sa ta : 囲炉裏に近いところ・川に近い方
>
> 岬 に使われるのに sapa があります。基本的な意味は「頭」のようですが
> 岬 の意味もあります。
> 景行記の「佐波」とか、沖縄の残波岬とか、これか!?と考えてみたい
> 候補です。

有り難うございますv(^o^)
ま たまたマンダム^^

ところで沖縄の「グスク」はどうなのでしょうか??

[340] Re: 「かせた」は痩せた土地??
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月17日 13時13分
> ところで沖縄の「グスク」はどうなのでしょうか??

どうなの、って? アイヌ語起源か、って質問?
ちゃうでしょ。
参考:
http://museum.mm.pref.okinawa.jp/history/story/epoch2/toitu_3.html

[340] Re: 「かせた」は痩せた土地??
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月17日 13時13分
> ところで沖縄の「グスク」はどうなのでしょうか??

どうなの、って? アイヌ語起源か、って質問?
ちゃうでしょ。
参考:
http://museum.mm.pref.okinawa.jp/history/story/epoch2/toitu_3.html

[341] #340まではログりました
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月21日 15時01分
いやはや、サーバダウ ンでご心配かけました。HDDがいかれたらしいですが、幸いログは確保できていたようで、不幸中の幸いでした。
#340までは手元のHDDに収め ておきました。一時はTRASHに入っている投稿レポートのメールから再構築することになるのか、と色々作戦を考えていましたが、無用になり、ほっとして ます。

[342] 暑中お見舞い^^
投稿者名: kituno_i (ホームページ)
投稿日時: 2001年8月3日 21時42分
暑い日が続いています ね。^^
出版の前後のお疲れは、出ていませんか?

疲れたときは、クラシックを聴いてお昼寝をすると体も心もリラックスするような 気がします。
とてもポピュラ−な曲ですが、グノ−の「アベ・マリア」やバッハの「G線上のマリア」はとても心が落ち着きます(前もこの曲名は書き ましたね^^;)。
子供達もぐっすりお昼寝してくれます。^^

疲れたときほど、私は音楽をよく聞いています。
疲れて家事 をしたくないと思っても、好きな音楽を聴きながらだと、いつの間にか家事をこなすことができます。
音楽って不思議ですよね。

古代 の人たちも音楽で様々な効果を得ていたようですね。
神功皇后も琴の音を聞いて、神懸かり的になったようですし、同じリズムの太鼓の音は催眠効果さ えあるような気がします。

橿原考古学研究所博物館に「人々を集め、銅鐸を鳴らしている様子を形取った人形」が展示されています。
音 楽は人々を統制するためにも使われていたのかもしれません。
日頃、ばらばらに暮らしている人たちも、音楽が奏でられると一斉に踊り出します。
音 のする方に集まってきます。

[343] Re: 暑中お見舞い^^
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年8月3日 21時59分
> 暑い日が続いていますね。^^

まったくです。お勤めの方々は大変でしょう。

> 出版の前後のお疲れは、出ていませんか?

それ自体はなんともありませんが、今日あたりは冷房病っぽい感じです。

> 疲れたときは、クラシックを聴いてお昼寝をすると体も心もリラックスするような気がします。
> とてもポピュラ−な曲ですが、グノ−の「アベ・マリア」やバッハの「G線上のマリア」はとても心が落ち着きます(前もこの曲名は書きましたね^^;)。
> 子供達もぐっすりお昼寝してくれます。^^

綺麗なゆっくりした曲ですね。しかし、これだけ朝から暑さで疲れると
音楽無しでお昼 寝OKです、(^^)

> 疲れたときほど、私は音楽をよく聞いています。

そういやぁ、殆ど聞いてません なぁ。。。なんとなく音楽聴くのも
暑苦しい気分の今日この頃です。涼しい音楽の条件、って何かあるかなぁ。

[344] 天降川の川筋直し
投稿者名: nick (ホームページ)
投稿日時: 2001年8月5日 15時39分
天降川の川筋直し @800

江戸初期の大工事(1662〜1666)

国分市隼人町の郷土史研究者の皆さんによって
調査研究された成 果を書籍としてまとめられました。

当事の地名や支流の呼び名、工法の推察、工事に従事した体制や人数
現在の価値に換算した工事金 額等。。

興味深い内容です。

[345] Re: 天降川の川筋直し
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年8月5日 16時01分
nickさん、お久し ぶりです。お元気ですか。

色んな遺跡(大仏とか、出雲大社でしたっけ)の工事費見積もりを
(覚えてないけど)見聞きする度に凄い 経済力だったんだなぁ、と
びっくりします。

ここんところの天気からは天降川なら、ほんと雨乞いしていですね。

[346] カグツチ・天香山命・高倉下・武位起
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年8月7日 09時14分
古代史における「越」 を調べています。タイトルのように、カグツチと天香山命
が同一か、親子ほどにも近いのではないか、というアイデアです。こうすると、何が見えてく るのか、楽しみです。

https://dai3gen.net/takakura.htm

[347] Re: カグツチ・天香山命・高倉下・武位起
投稿者名: (^^ゞ
投稿日時: 2001年8月7日 11時52分
「カグ」は黒焦げの (燃え)殻とか、灼熱した(石)炭、国境、限り、田んぼの畦などの意味がありそうですが、結びつくといいですね。

[348] Re: カグツチ・天香山命・高倉下・武位起
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年8月7日 16時36分
> 「カグ」は黒焦げの(燃え)殻とか、灼熱した(石)炭、国境、限り、
> 田んぼの畦などの意味がありそうですが、結びつくといいですね。

ど も。古事記ではカグツチの本名が「火之夜芸速男神」、
異名が「火之{火玄}毘古神」と「火之迦具土神」とありますので
やはり火、焼く(夜 芸)、輝く、あたりの意味範囲なのかなぁと
思ってます。呪縛、かな?

金山彦とのつながりを見ると製鉄関係も視野に入れてみない と。

もしかして、産屋に火をつけて出産した女性とはイザナミだった???

[349] 一般談話室の移転
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年8月7日 18時06分
お聞き及びの方も居ら れますが、今まで使っていたネオシティの掲示板が8/25頃に閉鎖になることになったそうです。
それで、下記のURLで新掲示板を開設しましたの で、お試しください。

https://dai3gen.net/bbs/wforum.cgi

掲示板開発&提供:ネオシティ (ツリー 掲示板レンタルサービス)