「白」を「の」「やま」に宛てるわけ
ORIG: 2004/04/11
rev1: 2005/05/15 脱線:邪馬台+言い回し
rev2: 沖縄古語 やしろ 追記

「国懸・日前神社」の語義探索に際して「白」が「の」とか「やま」とか読まれる(と言うより「宛てる」と言うべきか)事例を挙げた。すなわち:
「白前」と書いて「のかがみ」いう草本を指す。(『倭名抄』)
(この用字(白前)は、出雲国風土記大原郡条に出てくる。この語自体はJKには出ていないが「かがみ」には、「鏡」以外に、「ががいも」という蔓草のことを云う、とあり、スクナヒコ登場の場面にも言及されている。「白」を「の」と読んだり、他例(白簽{竹カンムリでなく草冠)、白斂、やまかがみ)では「やま」に宛てられている。
「白」を「の」と読む(宛てる)背景を考えてみる。 遠回りなことになるのだが:
出雲国風土記意宇郡条に ・野城駅に野城大神が坐す 神社リスト(頭注)に ・野城社 (安来市東松井(旧野義村)) ・野代社 (松江市乃白の友田神社、乃木町の野代神社・・などに比定) ・野城社 (野代社か。野城三社の内。) がある。
ここで、野城は「のぎ」、野代は「のしろ」と振り仮名を施している(岩波古典体系『古事記』)

これらは、全て「のしろ」と読むべきではないか、と考える。

「野義村」「乃木町」などは当然「のぎ」としか読めないが、これらは、「野城」を「のぎ」と誤読・誤訓したことに基づく後世の用字だ、と考えることになる。「乃白」という用字が古訓を保っている、と考えることになる。

現在の地名でも「乃白町」と「乃木」地名(上乃木、浜乃木、乃木福富町)が隣接しており「のしろ」と「のぎ」を同源と考えることを助ける。

つまり「のしろ」→「野城(乃白、野代)」→「野城→のぎ」→「乃木、野義」と変遷したものであろう。

このような次第で「のしろ」という語があって、「白」を「の」と読ませる(誤解であろうとなんであろうと)のではないだろうか。

このように昔の宛字(遊び?)を解すると、「白」を「やま」とも無理矢理読ませるのも「やましろ」という地名を考えれば納得の行くことになろう。

「白」が宛字(遊び?)で読まれる例として:

万葉集 11/2410/3 しきたへの 敷白之

が上げられる。「白妙」「白細」などと書いて「しろたへ」と読むのだが、この例では「「敷白」と書いて「しきたへ」と読む、すなわち「白」を「たへ」と読んでいる。

「白」を「たへ」と読むのは「白」がしばしば「妙、細」(たへ)に接合するから、であろう。ここから、「しろ」が「野」や「山」と接合するならば、「白」が「野」や「山」に宛てられる、ということが可能となる。

さて、以上が「白」を「の」に宛てた可能性を述べた。次にこれを応用してみると: 「白木」という神社名、地名があるが、これも:

「のしろ」→「野城、野白」→「白城*、白木」という宛字変遷になっていまいか。「白木」地名(新羅との関連が説かれることが多いが)の周辺に「のしろ」の痕跡が無いか、調べてみようと思う。

今の所:三重県伊勢市南西、宮川沿岸に「白木」、対岸上流に「(大)野木」、富田林市に「山城」と「白木」(関係ないか?)、熊本県玉東町に「白木」と「野田」(野田←野代{のしろ→のだい(ので)→のだ?})、熊本県天草島「白木河内」と「野平」、福岡県「大野城市」に「白木原町」(野城は、のぎ?白木ものぎ)、などが痕跡なのだろうか、とメモしている。これらは現代地名であり、どこまで遡れるかを検証せねばならない、という根本的問題は抱えている。


脱線: 
「邪馬台」は「山代」であろうか、と考えてみることがある。これが成立するためには、どのような条件が必要であろうか。かなり難しい前提が成立する必要がありそうだ。
・その国名は「やましろ」であった
・それを「山代」と書いた(訓読みであるから倭人が書いたのか???)
・「山」を「邪馬」と写し、「代」と同じ中国音である「台」とした
・参考:
文字上古音中古音中世音現代音
d∂gd∂it'ait'ai
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[2005/09/11追記]
上記「やましろ」に関して沖縄古語大辞典に下記がある。
やしろ[山城]:「やまと」の対語で、本土を意味する。オモロ原注に「日本国の事なり」とある。山城の国をさすか。
複合語に「やしろ・くに」「やしろ・ざけ」「やしろ・たび」「やしろ・にんじゅ」がある。

即ち、「やまと」も「や(ま)しろ」も日本国(和国)を広く指し示す語であったようだ。


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