意富々杼・考
ORIG: 2003/10/10

継体天皇(袁本杼 をほど)の曾祖父にあたる「意富々杼」(おほほど)という人が居る。この名前を考えてみる。

まず「杼」の字であるが、第6代孝安天皇の世代に「蠅伊呂泥・蠅伊呂杼」と書く姉妹がある。「はえいろね・はへいろど」と読む。すなわち、「ね」が兄姉で「ど」が弟妹なのである。

語尾の「ね」、語尾の「ど」が必ず兄弟姉妹を示している、ということではなかろうが、これを応用して見る価値はあろう。

「おほほど」の「ど」が弟を指すものと仮定すれば、兄が居たはずであり、その名は「おほほね」の可能性がある。

神・プレフィックスに掲げたように、「神大根」王という人がいる。日子坐王と息長水依ひめの間の子で八瓜入日子王とも呼ばれる。神大根王は三野(美濃)・本巣の国造でまた、常陸国久慈郡の長幡部連の祖、とされる。

世代的には第11代垂仁天皇の頃の人、ということになる。

意富々杼王は第15代応神天皇の孫にあたり(つまり17代あたり)、6世代も開いている。だから、短兵急に結論めいたことは云わないが、上記のようにことばの点だけから推してみると、おほほど は おほほね の弟、という語義から攻めてみることが出来そうだ、ということは指摘してみたい。


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