「おしてる難波」の語義
ORIG: 2004/02/10

「おしてる難波」という句がある。
『時代別国語大辞典上代編』では、
「おしてる 照りわたる。オシは接頭語。光が空一面に照るさまを強めていったもの。オシテテラスの表現もある。」
「枕詞。難波にかかる。かかり方未詳。」
とある。
そこで「オシ」について琉球語を当たってみた。

『沖縄古語大辞典』によると「おす」の項目に普通の「押す」の意味の他に「月、日の光がさす。」という意味を与えている。

これを参照すれば、日本語「おしてる」の「おし」を敢えて接頭語とすることはなく、もう少し積極的に「光がさす→照る」の意味を与えることが可能だろう。

つまり「おしてる」とは直訳すれば「照り照る」という畳語なのだろう。 日本語側では「おし」が「照る」だということが忘れられかけていた、琉球側では保存していた、ということだろう。

さて「おしてる」は「照り照る」と推定出来るが、何故「照り照る」が「難波」に懸かるのか。

「難波」の語源としては神武紀に「難波碕に到着しようとしたときに、奔放たる潮の甚だ急なのに会った。それで浪速(なみはや)国とした。また浪花(なみはな)とも云う。今、なにわ)難波というのは訛ったのである」と書いてある。

しかし、枕詞は次に来る語を連想などにより導き出すのがその機能だ。だから、どうして「照り照る」が「波の早い」の枕詞になりうるのだろう、と考えていた。「浪速」というのは俗解ではないのかという疑念もでてきた。

琉球語を調べていて分かったのだが、「庭」と書いて「みや」と読んでいるのだ。意味は「神祭りの庭」だ。「真庭」と書いて「まみや」だ。

「宮」と「庭」が同語、同源の語なのか、というと、即断はしかねるが、魅力ある仮説だと思う。その可能性はあると思う。ここでは、少なくとも「には」と「みや」は同義語である、とは言える。

そこで「なには」とは? ということにつながるのだが、
「なには」は「な・には」と解して、「ま・みや」、つまり「真庭」のことではないか、というのが今到達している結論だ。これなら祭りの庭に陽光が燦々としている、という大変相応しい係り言葉、枕詞になっている。

言葉の点からは、この結論で良いと思っていたのだが、難波にある「祭りの庭」って何だ、何処だ、としばらくそれを悩んでいたのだ。

岡田精司著『古代王権の祭祀と神話』という本に「八十島祭り」の原形を推定して居られる箇所がある。原形、とは、八十島祭りを住吉神社が主催するようになる前の形のことだ。同書から引用する。

「そこで復元した結果では、海の彼方から太陽霊をむかえそれと一体となる形をとる族長就任儀礼であり、河内王朝が〈大王〉の地位を占める以前の、一地方族長にすぎぬ時代から行われてきたものである。・・・五世紀代には依然として大王家の私的な族長就任儀礼として、古来のままの形で太陽霊を浜辺で迎える祭りとして行われていたものと推定される。」
つまり、これが難波の祭りであり、浜辺で太陽霊を迎えるのであるから「照り照る真庭」とはまさにこれだろう、というのが私の結論だ。

結論:押してる難波 とは 照り輝く真庭 であろう。


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