ウツシコメ
出雲国造同祖遷狛一奴命の「遷狛」とは?
orig: 97/10/01
rev1: 98/01/02 siko link

第8代孝元天皇(おほやまとねこひこくにくる)の妃に就いて、古事記には内色許売命(穂積の祖、内色許男命の妹)、日本書紀には欝色謎命、先代旧事本紀にも欝色謎命、とあります。何れも「ウツシコメ」のみこと、と読みます。彼女の周辺には色々調べたいことがありますが、今回は「国造本紀」に出てくる(私の整理番号では86)二方国造、美尼命、とその祖父(母?)と記載される「出雲国造同祖遷狛一奴命」との関連に就いて調べてみたいと思います。

「シコ」の付いた名前に就いてまとめてみたものを挙げましたので、「シコ・醜・色」をご参照下さい。

まず、なんでか、ってとこからですが、この「遷狛一奴命」という不思議な名前(ウツシコマヒトヌ、でしょう)を考えていたら、語呂合わせで「ウツシコヲ、ウツシコメ」兄妹の名前と似ていることに気が付きました。語呂合わせ、って良くバカにしますが、それをヒントに調べてみることが出来るので、大事なことです。(^_^)

さて、先代旧事本紀でこの兄妹の周辺をあたってみます。ウツシコヲは、ニギハヤヒを0世、ウマシマヂを一世、と数えて、五世になります。父母が読み切れないのですが、彼らとその兄弟姉妹の記述を下記に整理しておきます。

【欝色雄命】第8代孝元天皇期に大臣となり大神を斎する。活目長砂彦の妹芹田真稚姫を妻とし一児を生む。武建大尼命。(活目長砂彦、生駒の長髄彦、、ウーーム)
【妹欝謎命】第8代考元天皇后となり、三皇子を生む。即ち、大彦命、第9代開化天皇(わかやまとねこひこおほひひ)、倭迹迹姫。
【弟大綜杵命】第8代考元天皇の時、大禰、第9代開化天皇の時、大臣。高屋阿波良姫を妻として伊香色雄命と伊香色謎命をもうける。伊香色謎命は考元皇妃となり、彦太忍信命を生む。伊香色謎命は後に、開化皇后となり、第10代崇神天皇を生む。
【弟大峯大尼命】開化天皇の時、大尼となる。
上記を参照しながら、「遷狛一奴」を「ウツシコ・マヒト・ノ(ヌ?)」と分ち読みすると、「ウツシコ・メ」「ウツシコ・ヲ」兄妹に比定できそうで、また、国造本紀では孫とされている「美尼布命」を「ミネ」の音から、彼らの弟にあたる「大峯大尼命」または、その子孫に想定することが可能のように思われます。

「美尼布」の「布」字の使用例を調べておきます。(#は国造リストの整理番号です。) 「比奈羅布(#43)」「伏布(#139)」「大布日意彌(#34)」「上毛布直(#141)」

この最後の「上毛布」を「上毛野」のことと考えてよければ、これまで私は「布」字を「フ」とばかり読んできたのですが、「ヌ」と読む可能性も視野に入れねばならなさそうです。即ち、「美尼布命」は「ミネのみこと」と読み得ます。

また、「出雲」との関連ですが、この4兄弟姉妹の祖父に「出雲色大臣」があり、つじつまが合いそうです。


「遷狛一奴命」を「ウツシコ・メ」「ウツシコ・ヲ」に比定したので、後半も考えてみたいのですが、「ウツシコ・マヒト・の・みこと」、なんて「真人」を抽出できなくもないけど、これはどうでしょう? 出雲周辺、先代旧事本紀のニギハヤヒ子孫に見られない肩書きなので、躊躇されます。

「真人」=天武期(西暦684)に制定された八色の姓のトップ。また、聖徳太子の冠位12階のトップ、大徳冠、は「まひときみ」と読まれたという(世界大百科辞典)。さすれば、「間人」も「はしひと」と読むが「まひと」とも読める。しかし、これ以上、即ち欽明朝よりも溯れそうになく、確信に至りません。


むしろ「ウツシコ・マヒトツノ命」と読むのがよいかもしれません。そうです、後半は「目一つの」かも知れません。天一目神との関連を追いかけてみようと思ってます。[2001/05/12]
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