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タイトル邪馬台 は 八島手 ?
記事No1979
投稿日: 2010/11/21(Sun) 16:12
投稿者大三元
はてるま、かけろま、たらま、いけま などの「ま」は「島」の頭略であろう、という考えがある。

そうであるなら「対馬」も素直には「ついま」あたりであろうところ、二重母音を嫌った上代日本語に照らせば「つま」に近かったのだろう。そしてそれは「つ・しま」のことであったのだ、と云えそうだ。

どうように「邪馬台国」の「邪馬」の部分「やま」は「や・しま」と等価であった、と措いてみることができよう。二重母音忌避原則に照らして「台」を「たい」と解くのは外れだろう。「て、で」あたりの一音節を考えておく。すなわち「邪馬台」は「やしまで」ではないか、とするものである;漢字表記としては「八島手」が可能である。

ここで、素戔嗚尊(スサノヲ)と櫛名田比賣(クシナダ)の間の子に「八島士奴美神」(古事記)があり、日本書紀では3通りに書かれる。
1.「清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠」
2.「清之繋名坂軽彦八嶋手命」
3.「清之湯山主三名狭漏彦八嶋野」
二番目に「八嶋手」があり、これが邪馬台国の読みに通じるのである。

古事記でのこの人の名前「八島士奴美神」の「士奴美」に関しては:
日の神を意味する語に「てたこ」「せのみ」があり、「せのみ」は「しのみ」ともなりうる。
http://www.dai3gen.net/yashimajinumi.htm
これは「卑弥呼」の「卑弥」を「日神」と理解するよすがになる。

次世代2.布波能母遅久奴須奴神の配偶者が「日河比賣」とされているのは「卑弥」を「日水」→「日河」と理解したものだろうか。
http://www.dai3gen.net/izumo.htm

日本書紀が伝える1.「清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠」3.「清之湯山主三名狭漏彦八嶋野」に含まれる「三名狭漏」が魏志倭人伝の「弥馬獲支」に相当しそうなことも論じている。
http://www.dai3gen.net/gishi06.htm

魏志倭人伝と古事記・日本書紀の接点探しが面白い。

タイトルRe: 邪馬台 は 八島手 ?
記事No1980
投稿日: 2010/11/22(Mon) 12:04
投稿者琉球松
 「波照間」は、当地八重山では「果てノ島(意味的には鳩間島も同じ)」、とすると、奄美の「加計呂麻」も「(崖?)の島」か何かで、「し」がどっか行ってしまうと考えることは可能ですね。

 "「ま」は「島」の頭略"。。。これは十分にありえると思います。

 また、「洲」はもともと「シマ」のはず?なのに「ス」だけになっていて、この場合は「マ」が脱落したんでしょうかね。

タイトルRe^2: 邪馬台 は 八島手 ?
記事No1981
投稿日: 2010/11/23(Tue) 08:41
投稿者大三元
琉球松さん、おひさしぶりです。

>  「波照間」は、当地八重山では「果てノ島(意味的には鳩間島も同じ)」、とすると、奄美の「加計呂麻」も「(崖?)の島」か何かで、「し」がどっか行ってしまうと考えることは可能ですね。

「しま」から「し」がどっか行ってしま」ったのか、「ま」にどっかから「し」が付加されたのか・・・

(1)>  "「ま」は「島」の頭略"。。。これは十分にありえると思います。
(2)>  また、「洲」はもともと「シマ」のはず?なのに「ス」だけになっていて、この場合は「マ」が脱落したんでしょうかね。

(1)は音の領域の話
(2)は「洲」の訓の話 
同様に議論できるか???

ふむ「まほろま」も「はてるま」などと同じ構造ですねぇ。

タイトルRe^3: 邪馬台 は 八島手 ?
記事No1982
投稿日: 2010/11/23(Tue) 15:03
投稿者琉球松
 「まほろま」。。。なるほど。大三元さん、またまた魚心です(笑)。

 「洲」は蛇足でしたが、「島・間」はほとんど同じ意味で、琉球列島も「〜マ」地名のオンパレードですね。

 これは参考になるかわからないですけども、宮古諸島の「池間島」は、現地では「イキャマ」に近い音で「Y」が温存されている可能性があります。
 とすると「イキヤマ」? 琉球圏では「ヤマ」は国や一定のエリヤも表現しましす。

 それから「対馬(津島?)」ですけど、単純に「ツイマ」ってどうでしょう?「ツシマ・ツヒマ・ツイマ」。。。当時の特派員にはどう聞こえたんでしょうかね。

タイトルRe^4: 邪馬台 は 八島手 ?
記事No1983
投稿日: 2010/11/24(Wed) 14:34
投稿者大三元
>  「まほろま」。。。なるほど。大三元さん、またまた魚心です(笑)。

>  それから「対馬(津島?)」ですけど、単純に「ツイマ」ってどうでしょう?「ツシマ・ツヒマ・ツイマ」。。。当時の特派員にはどう聞こえたんでしょうかね。

魏志倭人伝で今の「対馬(つしま)」と考えられる地は「對馬」と書く本と「對海」とするものがある。「海」は「馬」の間違いかもしれないが下記の如く「海」の上古音も「マ」っぽいので「海」でも構わない。

字 上古音  中古音
對 tu∂d   tu∂i
海 mm∂g   h∂i
馬 mag    ma

「對」は和語のどんな音に対応するのだろうか。「梅」が mu∂i であり対応和語は メ乙 ∴「對」の tu∂i は テ であろうか。
したがって「對海」は「テマ」あたりか;「マ」が「島」の意味であるなら「テシマ」とでもなりえた語か。

前にも書いたとおり上代日本語では二重母音が嫌われていたので「ツイマ」という語は無かったと考える。

タイトルRe^5: 邪馬台 は 八島手 ?
記事No1984
投稿日: 2010/11/25(Thu) 13:34
投稿者Nick
参照先http://hayato.com/
こんにちわ。。
お邪魔します。
単純に里程からいくと、沖縄が有力。。
最近、書店に、薩摩半島説や阿蘇カルデラ説の書籍が並んでいます。

案外、現地に人々の話し言葉に
当て字をした可能性もあるかも。

現に、薩摩弁をそのまま当て字にした文章も
多々見受けられますが、、

タイトルRe^6: 邪馬台 は 八島手 ?
記事No1985
投稿日: 2010/11/25(Thu) 16:47
投稿者大三元
Nickさん、久しぶりですね。

> 案外、現地に人々の話し言葉に
> 当て字をした可能性もあるかも。

倭人のことばを記録するにあたり倭人は文字を持ち合わせていなかったから漢字を援用した・・・ゆえに全てが宛字ですよね。

地名の漢字表記は倭人が既に行っていたモノだろうか、中国人が倭人から聞いて宛てたモノだろうか。今となっては判断が出来ないでしょうねぇ。

タイトルRe^7: 邪馬台 は 八島手 ?
記事No1986
投稿日: 2010/11/26(Fri) 00:00
投稿者琉球松
 邪馬台国沖縄島説、徳之島説、奄美大島説は、残念ながらありえないでしょうね。

 観光キャンペーンには何とか使えるかもしれませんが、「倭人伝」の距離などは、松本清張のいう「五行説」が妥当で、あてにならないんじゃないでしょうか。

 「邪馬・邪馬台・対馬・馬韓」など「馬」が問題なんでしょうか? もともと「島」だったとすると歴史がひっくり返りますね。ワクワクです。

 ところで、倭人伝が言う「山島に依りて國邑をなす」って、この場合の「山・島」は地形ではなく、エリヤの単位と考えることはできないのでしょうか。

タイトルRe^8: 邪馬台 は 八島手 ?
記事No1987
投稿日: 2010/11/26(Fri) 13:19
投稿者大三元
琉球松さん
>「邪馬・邪馬台・対馬・馬韓」など「馬」が問題なんでしょうか? 

私の捉え方では:
「馬」という文字が問題なのではなく
日本の古語で「ま」という音が「しま」という音の略であって、意味としては英語で言えば island のことだった場合がありはしないか、という言い方になろうかと思います。

タイトルRe^9: 邪馬台 は 八島手 ?
記事No1988
投稿日: 2010/11/27(Sat) 11:01
投稿者琉球松
 「シ≒ヒ」が採用できるとすれば、「八島手」は「ヤヒマテ」に転化可能ですね。
 さらに、「大和」は琉球方言で「ヤマトゥ」ですから、古くは「ヤsマティ」だった可能性もありますよ。

 「八島」を "多くの島" とすると「テ」はどう解釈すればいいでしょうか。江戸っ子達の方向感覚「山手」なんかどうでしょう?

タイトルRe^10: 邪馬台 は 八島手 ?
記事No1989
投稿日: 2010/11/27(Sat) 11:58
投稿者大三元
>  「シ≒ヒ」が採用できるとすれば、「八島手」は「ヤヒマテ」に転化可能ですね。

まぁ「しなざかる」「ひなざかる」があるから可能といえば可能なのでしょうがそうしてみるメリットは何でしょう?

>  さらに、「大和」は琉球方言で「ヤマトゥ」ですから、古くは「ヤsマティ」だった可能性もありますよ。

「ヤマ」が「ヤsマ」だったか
「トゥ」と「ティ」が通じたか
この両方の可能性があった、というお話ですね?

>  「八島」を "多くの島" とすると「テ」はどう解釈すればいいでしょうか。江戸っ子達の方向感覚「山手」なんかどうでしょう?

時代別国語大辞典上代編には「て」の項に概略:
 接尾語。(a)場所をあらわす名詞に接して、その場所(地形)・方向・側面であることをあらわす。(中略)【考】(a)は場所の意のタ(接尾語)や所(ト)との関連がかんがえられる・・・

とありまして「八島手」=「山手」がありうると思います。
悩んでいるのは:そうだとすると「八島手」が人名っぽくないかな、ということです。同人の別名「八島篠」「八島野」も合わせ考えてこの部分は職掌なのかなぁ、とも思います。(人名部分は「坂軽彦」)

タイトルRe^11: 邪馬台 は 八島手 ?
記事No1990
投稿日: 2010/11/28(Sun) 16:17
投稿者Nick
参照先http://hayato.com/
標準語では無くて、案外方言では、
朝貢した倭人が九州のどこかだったら、、
多分方言で話しているでしょうから、、

ヤマンッテ とか
似たような語句を見つけられると、、
興味津々ですが。。

沖縄辺りでは見当たりませんか。

タイトルRe^12: 邪馬台 は 八島手 ?
記事No1991
投稿日: 2010/12/01(Wed) 15:58
投稿者大三元
> ヤマンッテ とか

「しろ」という語が「接尾語的に用いられるテ(て【代】)と似た意味の語である (時代別国語大辞典上代編 「しろ」の項)

というのが強烈に気になっております。すなわち「やまて」と「やましろ」であります。

「て」「しろ」いずれも「代」が宛てられることがあります。

「代」と「台」は同じ発音変遷になっています。

∴ 邪馬台、やまて、やましろ、山代 が同義ではないか、と思うのです。この場合の山代が京都の山城であるかどうか、むしろ出雲の山代(意宇郡山代郷)を見た方がよいのか、というのが暫く頭から離れないのです。

 

タイトルRe^13: 邪馬台 は 八島手 ?
記事No1992
投稿日: 2010/12/02(Thu) 11:19
投稿者琉球松
 奄美沖縄諸島の神歌群(王朝成立以前からの伝承で、おもろさうしの原型)では「ヤマト/ヤシロ」は対語になっていますから、同義の可能性はありますね。
 今のところ「奈良桜井/京都山城」と考えますが、出雲や佐賀平野かもしれません。

 「対馬」の件。。。中国広東省出身の同僚は「トゥイマア(アにアクセント)」に近い音とのこと。広東省ですから、魏というより呉音の末かもしれませんが、「シマ」の成分がない?のが残念です。
 ちなみに「一支」は「イッツイ」に近いようですね。

タイトルRe^14: 邪馬台 は 八島手 ?
記事No1993
投稿日: 2010/12/04(Sat) 21:54
投稿者大三元
琉球松さん

>  奄美沖縄諸島の神歌群(王朝成立以前からの伝承で、おもろさうしの原型)では「ヤマト/ヤシロ」は対語になっていますから、同義の可能性はありますね。

ヤマト/ヤシロの対が大いに参考になりますが ヤマシロ というのが「沖縄古語辞典」には出てこないのが辛いところです。「山城」と書いても「ヤシロ」と読むようですしねぇ。「マ」抜けの原理はなんなんだろう・・・・・・

>  「対馬」の件。。。中国広東省出身の同僚は

21世紀の広東語(?)の発音で考を進めるのはチィと危険?
我田引水ながら http://www.dai3gen.net/gishi01.htm でも参照なさって下さるのが宜しいか、と。

タイトルRe^15: 邪馬台 は 八島手 ?
記事No1995
投稿日: 2010/12/06(Mon) 21:07
投稿者琉球松
 「ヤシロ=山城」について、名護博教授は掲示板で以下のように書いています。(一部略)

*** 神歌のほとんどは「大和から下りたる赤椀の世直し/山城から下りたる黒椀の世直し」ですが、久高の2篇だけは「大和から下りたる赤椀の世直し/ソウルから下りたる黒椀の世直し」となっています。
 山城(京都)が朝鮮渡来人達にとっては首都という意味でいわれていたらしいことは、司馬遼太郎の「山城=ソウル」と理解されることから分かります。朝鮮半島から来た人々、なかでも秦(ハタ)氏の一族は山城の地を首都としたと司馬さんは解説していますが、その「首都」という文字に「ソウル」とふりがなを付してあるわけで「山城=首都=ソウル」なのです。このように、他地域に「山城」とあっても「ソウル」と言い換え可能なようなのです。***

タイトルRe^16: 邪馬台 は 八島手 ?
記事No1996
投稿日: 2010/12/07(Tue) 10:39
投稿者大三元
琉球松さん

>  「ヤシロ=山城」について、名護博教授は掲示板で以下のように書いています。(一部略)

引用されたことの吟味も面白そうですが、それによって邪馬台・やまて・やましろの検討がどう発展しうるのか見えません。発散するだけ? 近視+乱視+老眼のせいでしょう。

タイトルRe^17: 邪馬台 は 八島手 ?
記事No1997
投稿日: 2010/12/09(Thu) 13:00
投稿者琉球松
大三元さん、すみません。

 「八島手」はしかし、「ヤシロ」とも関わるのかなと考えてみました。これはむずかしです。

タイトルRe: 邪馬台 は 八島手 ?
記事No1994
投稿日: 2010/12/05(Sun) 08:37
投稿者大三元
奈良市月ヶ瀬に「尾山代」遺跡がある。この地名は「おやみで」と読む。さて、いつ頃から存在してきた地名なのかは不明であるが「山代」を「やみで」と読むところが面白い。「山」が「やみ」に対応し、「代」が「で」と読まれているものと考えられる。
http://www.tsukigasekanko.jp/place/sample4/
邪馬台、山代、やまで、やみで
     ↓
    山城

参考:和都賀野・考
http://www.dai3gen.net/watsukano.htm