タイトル | : Re^2: 母の木 |
投稿日 | : 2010/11/21(Sun) 09:59 |
投稿者 | : 神奈備 |
万葉集巻一
山部宿禰赤人が伊豫温泉(いよのゆ)に至(ゆ)きてよめる歌一首、また短歌
0322 皇神祖(すめろき)の 神の命(みこと)の 敷き座(ま)す 国のことごと
湯はしも 多(さは)にあれども 島山の 宣しき国と
凝々(こご)しかも 伊豫の高嶺の 射狭庭(いざには)の 岡に立たして
歌思ひ 辞(こと)思はしし み湯の上(へ)の 木群(こむら)を見れば
→ 臣木(おみのき)も 生ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず
遠き代に 神さびゆかむ 行幸処(いでましところ)
『日本書紀』巻三神武天皇即位前紀戊午年
因改號其津曰盾津。今云蓼津訛也。初孔舍衞之戰。有人隱於大樹而得兔難。仍指其樹曰。恩如母。時人因號其地曰母木邑。今云飫悶廼奇訛也。
飫悶廼奇(母木)は、何が訛って母木となったのでしょうか。岩波文庫では母木邑が母木になったのを訛ったと注釈していますが、これを訛というのは強弁でしょうね。
孔舍衞之戰で五瀬命が怪我をしています。その傷を治療したのでしょう。大国主の母が二比売を差し向けた故事にならったとか。母の乳汁。