アハ考
阿波・安房・粟・淡路・・・
ORIG: 2004/05/06
アイヌ語 apa の意味:
  • 雨漏りする
  • 戸口、出入り口
  • 親戚:apaha で所属形となり、〜の親戚、
  • po-apa で、子・戸口→子宮(産道が近いか?)
播磨国風土記賀古郡条に「鴨波里」を「粟々(あはは)里」と云うとある。
「あは(阿波、安房、粟)」と「あはは」の関係はアイヌ語 apa と apaha の関係に照応しているように見える。意味は「親戚」と「(誰々の)親戚」である。

阿波と播磨の中間にあるのが淡路、と観ずれば、淡路の原義が apa ru(路)として、親戚の路(親戚と交流する道)があり得る。

apa に子宮(産道)の意味を感ずれば、淡路州を「胞(え)」とした、というイザナギ・イザナミの国生み神話にもつながる解釈となる。(『日本書紀』第8の一書では、オノコロ州を「胞」とする。オノコロは u-nukar で 互いに目を見る→目交い、結婚する。)


『古事記』には「淡道之穂之狭別島」という表記がある。岩波頭注では「穂之狭 は 穂の早 の意か」としている。アイヌ語にこだわれば、穂は po(子)、別(ワケ)は wak (u-ak, 互いの弟→兄弟)。狭 に関しては sa 姉、sapo 姉、などが参考になる。
もう一つ「イイガカリ」をつけておけば、岩波の播磨風土記揖保郡飯盛山条に「讃岐国宇達郡・・」の「宇達」に「うたり」と振り仮名がある。(これの根拠は私には不明。)utar とはアイヌ語で人々のことであり、接尾語として、何々「達」、という複数を表すにも使われる。所属形である utari, utarihi となると、何々の人々、であり、・・同族の人々、・・村人達、などを意味する。apaは親戚に限られるようだが、utari は親戚も含む。

言語の上からは上記のような観察が提供できる。これの歴史への反映としては、阿波から播磨の鴨波里へ鴨一族の移住でもあったのか、という視点が提供できよう。

おまけ:「粟鹿」(あはか)という地名も「あはは」に列なるものであろうか。あるいは、むしろ各地に見られる「あふか」に列なるものであろうか。

肥前風土記に関する私のサイトから抜粋

逢鹿(あふか)の駅(p399):

「遇鹿」とも書いた肥前の地名ですが、出雲の「秋鹿郡(あいか<あひか?)」、常陸の「行方郡相鹿(あふか)里」「久慈郡、助川・・昔、遇鹿」など同じ様な地名があります。倭姫命世紀にも「相鹿瀬」という地名があり、今の三重県多気郡多気町にあります。アイヌ語でも apka は「雄鹿」の意味で、まぁ、なんと云う事はないのですが、話題にまで。

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