神武紀・尾のある人
orig: 98/03/12
rev1: 2001/05/04 un & us
rev2: 2006/12/20 「加」は「井」?

神武天皇は吉野巡行中に「井光」と「磐排別」に出会う。両者とも「尾のある人」だと書いてある。。
sar尾、葦原、湿地
sar-un-kur葦原に・属する/居る・人
sar-us-kur 尻尾の・ある・人
のような、混乱とか意識的な誤訳でしょうか。[なお、北海道の沙流地方に居る人のことを sar-un-kur といいます。un と us は音も近いし意味合いも近い。知里真志保は un が単数形、us が複数形、としてる(アイヌ語入門P215-)ほどだ。2001/05/04]

一つの傍証として、奈良県吉野郡川上町に「喜佐谷」という地名があります。(これの古さが不明なのが弱いのですが)アイヌ語の kisar も「葦原」を意味します。(他に「耳」の意味もありますが)

「井光」に関して岩波古典文学大系の日本書紀の補注(p579)には次のような記述があります。

「吉野首部:・・・姓氏録、大和神別に『吉野連、加弥比加尼之後也、諡神武天皇行幸吉野、到神瀬、遣人汲水、使者還曰、有光井女。天皇召問之、汝誰人、答曰、妾是自天降来白雲別神之女也、名曰、豊御富、天皇即名水光姫、今吉野連所祭水光神是也。』とある。」
白雲別神、をはじめ、聞いた事のない神様が出てきます。「加弥」(カミ? カヤ?)、「比加尼」(ヒカニ?、ヒカジ?)、「水光姫」(ミヒカ姫)、豊御富(トヨミトミ?、トヨミホ?)なんてのも、私には初見です。

その後、丹後風土記残欠に類似の名前が幾つか見付かりましたので、比較を試みております。(98/09)→丹後と吉野の関係?

紀記での神武天皇の条では「井光」「井氷鹿」が吉野首部の祖、となってます。今まで、何となく男性だと思っていたのですが、「祖」ともあるし、姓氏録から見ても女性だったようです。

さて、この女性は自分の名前を「豊御富」と名乗ったのに、天皇は「水光姫」と名づけたというのには、何か因果関係がないでしょうか。

「富」の部分に関しては、アイヌ語 mike と tom には「光る」の意味があり、tom-i で光るもの・光る場所ほどの意味になります。「御(み)」は mikeを「水」と写し、「富」を意訳して「光」と写し、「水光」としたのか、との推理をしております。

なお、「加弥」の「弥」ですが、これは「彌」の略体字でしょうから、紀記・万葉の用例では「ミ(甲類)」と読むのが普通でしょうが、現代では「ヤ」と読みますね。いつ頃から「ヤ」に変わったのでしょうか。姓氏録の書かれた時代では、どうだったのでしょう、など知りたいものです。(なお、「神」の読みでは、カミの「ミ」には「微・未」等の乙類が使われてますので、「加弥」を「カミ(甲類)」と読んだとしても「神」の意味ではなさそうです。「上」とか「髪」にはなり得ますが不明です。)

或いは「加弥・比加尼」と区切っては不可で、「加・弥比加尼」で(「加」は不明)ミヒカニとかミヒカヂと区切って「水光」(ミヒカリ?)の訛りと考えるべきでしょうか。

2006/12/20追記:上に『「加」は不明』としたが、沖縄古語辞典に「かは=井戸、泉」などとある。これを参照すると「加弥比加尼」の語義は「井・水・光・に(ぢ)」「井・水・光り」と復元できようか。


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