シャチについて
ワニとはシャチ:北方神話との符合
因幡の白兎
因幡と気多、地名考へ
ORIG: 2005/08/29
萩原眞子(おぎはら・しんこ)著『北方諸民族の世界観』(草風館)というのを読んでいる。
第一部「創世神話」
第二部「虎、熊、シャチ:『主』の観念と世界観をめぐって」
第三部「アイヌの口承文芸」
という構成で、それぞれに興味ある資料・指摘があるが、ここでは第二部から「II シャチをめぐる伝承」(p263-264)から引用する。

「シャチ伝承」のモチーフ
a. シャチは本来人間である(下略)
b. シャチの背鰭は刀もしくは剣である:陸に置き忘れられたこの刀や剣がしばしば人間とシャチ、陸と海とのかかわりや対立を生む。
c. シャチは海の「主」である(下略)
d. シャチの狩り(下略)
e. シャチが上陸して人間の姿で熊狩りをし、その獲物を持って海へ帰る(下略)
f. 水死者はシャチの仲間になる(下略)
g. 人間とシャチとの婚姻:無人島に取り残された男が海人の女と夫婦になるが、彼女の本性はシャチである。
(引用終わり、尚、以下7項目あるも省略)


上記モチーフの内、c.(「主」)に関しては因幡の白ウサギなどで観察したように日本にもその観念があったことをアイヌ語(海の神、沖の神、という)を通じて論述した。

e.(「上陸して人間の姿・・」)に関してはワニが川を遡り姫を慕う、という日本の伝承のモチーフとの関連がありそうである。肥前風土記では「二三日住み(とどまり)海へ還る」とある。参考:ヨドの周辺(慕うワニの伝承)

g.(婚姻)に関しては、山幸が海神の娘と結ばれる、彼女はワニであった、という等価な伝承が日本にもある。(ワニとはシャチの類である、とする拙論を支持する)

ここでは、b.と f.から、神武紀の稲飯命(イナヒ・の・みこと)に関する記述が想起されることを指摘したい。即ち
(稲飯命は)剣を抜いて海に入って鋤持(サヒモチ)の神(ワニ=シャチのこと)となる」とあることである。この伝承は「水死してシャチになる」というf.のモチーフと、b.の「刀剣を陸に置き忘れる」というモチーフが「剣を抜いて」と変化して合体したものと見ることができる。

[追記:2010/03/20: 更に、事代主についても、国譲りに際して海に身を投じ、後に「八尋鰐」となって登場することも同じモチーフを背景に見ることができよう。]

「シャチに関する伝承はアムール・サハリン地域からさらにオホーツク海北方の沿岸地域、そして、アメリカ北西岸のインディアンにまで広く分布している。」(同書p263)ということは、この伝承モチーフは万年単位の古さを継承している、との考えに大きく傾斜させる。[2005/09/12追記]北米北西岸の伝承とはどのようなものか。ネット検索で見つけた一例にリンクし、また拙訳を置く。



補足メモ:
語群:シャチ、サチ、サヒモチ


シャチのモチーフの中に「シャチの舟」と呼ばれるものがあり、それによると:
「シャチの本当の『主』は小さなシャチで、それは人間である。その後からくる大きなシャチは彼らの舟である」、というものがある。(同上書p260)

神代紀の最後の方に、山幸を送迎するのに「一尋鰐」と「八尋鰐」が出てくる。必ずしも、大が舟である(舟として優れている)わけではないが、何れも「舟」の機能を果たし、大小の分別がなされている。


同上書p301の注記に:
「海上他界での時間と現世での時間の尺度には格段の差がある。『十日くらい』が、実は『三年』にも値して、ここには『浦島太郎』に共通のモチーフが認められる」

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