「橘・考」
ORIG: 2009/11/28

「たちばな」「からたち」から「たち」が抽出できる。「たち」の花が「たちばな」で、「唐」から来た「たち」が「からたち」であろう。また、上代には用例がないが「すだち」もこれに列するものであろう。

すなわち、ある樹木が「たち」と呼ばれていたものと推定する。

そうすると、垂仁天皇が「田道間守」(たぢまもり)を常世の国に遣わして「時じくの香の木の実」(ときじくのかくのこのみ)すなわち当時「橘」と呼ばれる霊薬を持ち帰らせたという話も、「たち守り」という言葉と密接に関連していることが伺える。従来、「田道間」(「多遅摩」とも書く)を「たちばな」と読むような解もあったが、「田道(多遅)」だけで「たち」という樹、「間守(摩毛理)」を「守り(原義は:目守り)」と解くのが良さそうである。

さて、「たち」を抽出してみたところで、記紀に現れる開闢神「天之常立(とこたち)」「国之常立」「国之狭立(さだち)」などの「立」も「橘」であろうか、と考えてみる。常緑樹である「橘」は「とこしへ(永遠)」のシンボルに成りうる。「常立」(とこたち)は、永遠の橘、であろう。「狭」は「早苗」「小百合」などの「さ」であり、美称・尊称の接頭辞である。従って「狭立」も「(尊い)橘」ほどの意味合いになる。

ここで「ひたち(常陸)」の「たち」も橘であろうか、と思いつく。そこへ神奈備さんからご指摘を頂いた。すなわち:「常陸国風土記」に「常陸は古人云常世之国か」とあり、更に
 行方郡 郡役所の側の人里には橘の樹が生えている。
 香島郡 前に郡役所を置いたところである。多くの橘を植え、その果実はうまい。
とある、ほかの各国風土記には「橘」は出てこないようである、と。

「ひたち」とは「日・橘」であろうか。

一方、イザナギが禊ぎをした場所は:「筑紫の日向の小戸の橘」とも「橘の小戸」とも書かれている(書紀)
ここでも「日向」と「橘」が意識される。「日」と「橘」の間に何らかの親和性(神話性?)が感得され興味を惹く。


「天之狭霧」という名の神もある。「霧」と書いてあるが「桐」と考えると「立」を「橘」と考えることとの整合性が良いようだが、だからどうしたという展開が見えていない。
神奈備さんの「橘について」:資料多数集積あり

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