宇治・瀬田周辺の地名

ORIG: 96/12/03
REV1: 97/07/17 format


出雲の語源検討に際して「八河江比賣」、そして応神妃の「矢河枝比賣」に触れましたが、この後者の「矢河枝比賣」の周辺が気になって、彼女の居た宇治川近辺の地名を調べておりました。(応神記では彼女は「木幡村」に居た、となっている。木幡に就いては山城風土記逸文があり、木幡神社祭神、天忍穂長根命。)

応神天皇の数ある妃の一人である「矢河枝比賣」には1男2女あります。 長男の菟道稚郎子皇子は、「宇治神社」、に祭られています。

1.さて、琵琶湖から南流する瀬田川は中流を宇治川と呼ばれ、遂には淀川に合流して大阪湾に注ぎますが、天瀬ダムのところから支流が南流しています。現在その支流は最初「田原川」とありますが上流は「犬打川」とあります。ここで、「犬」=seta(アイヌ語)を思い起こすと、なんと、犬打川が「瀬田」川と「宇治(打)」川に名前を二分させているように見えます。(或いは逆に、犬打、との命名が、原語 seta+(h)uchi を翻訳・転写したものかも知れない。)

北海道にはウチナイ、ウツナイと云う川名が多くあり、ut/uchi=肋骨、で、支流が数多く肋骨のように配置されている川の意味です。犬打川(正確に云うと今の田原川)も、まぁ、そんな風にも見えます。

2.これだけでは、語呂合わせと取られるかも知れませんが、宇治市の北から南流して宇治川に合流する、もう一つの支流に「志津(しづ)川」があり、この流域に「神女神社」があります。(神女神社のデータは下記)

北海道の「静(しづ)内川」に関して、「アイヌ語地名の研究」(山田秀三著、#2 p167)は、幾つかの解釈を示していますが、その一つに「Si-huchi-nai(大・祖母・沢)アイヌの始祖居りし沢」(永田地名解)が紹介されていて、この解を裏打ちしそうな伝説が、挙げられています。(原文の Shi を、Si に書き換えてあります。)

即ち「なお、このアイヌ始祖伝説は有名なもので、名高い『蝦夷島奇観』にも描かれている。昔一人の女神が漂着した。一匹の犬が現れて洞窟に案内し、(女神が)食を求めては(犬が)供して仕えた。その女神と犬との間に生まれた子供から広がってアイヌになったのだという。(後略)」

「犬(seta)、女神(ウヂ、huchi)」、なんとも奇妙な符合ではないでしょうか。

この地方(京都府の宇治川周辺)の民話なんかに、関連しそうな話でも残っていないものでしょうか? 或いは、変な(?)名前の洞窟、とか。。。

3.こうして眺めてみると宇治市の東、瀬田川流域の袴腰山(大津市)も、かねて不思議な地名だと思っていたものも、どなたかの試訳で、pan-kama-kus、下流の岩盤を渡る、辺りの意味が取れる。これであろうか。。。

荒木山も日本語で理解しても、まぁ理解でき無くもないが、arke=もう一つの、片方の、と理解して、対になって居そうな大峰山に対する「もう一つ」の山、と云う解釈もかなり自然に思える。


名 称:
神女神社(シンニョジンジャ)
鎮座地:
〒611 京都府宇治市志津川竜ケ壷1
御祭神:
イチキシマヒメ
由 緒:
この辺りには平家の落人の子孫と称する人達が住んでいて、これらの人々が祀っていたホコラが幾つかあった。明治に入ってから、これらのホコラを集めて一つの神社を作り、御祭神が女性であるところから、「神女神社」と名付けた。安芸の宮島の厳島神社(御祭神:イチキシマヒメ)に見るように、イチキシマヒメは平家に縁の深い神様である。

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