内木綿・考
うつ・ゆふ と まさき

orig: 2003/12/12
rev1: 2003/12/14 加筆

「内木綿」は「うつゆふ」と読む。神武紀に国褒めの表現として「内木綿真国」として出てくる。これは「うつゆふの・まさき・くに」と読む。
うつゆふ
岩波の『日本書紀』の頭注では、「うつゆふ」は「狭(さ)」と「こもる」に懸かるとされるも「かかり方未詳」とある。
『時代別国語大辞典上代編』(JK)によっても「こもる」と「真国」に懸かるとしているが「未詳」とある。
以下JKより:
ゆふ(木綿)
こうぞ(楮)などの皮をはぎ、その繊維を蒸して水に浸し、さらして、細かに裂いて糸としたもの。白く美しく、幣帛として神に奉る。
ゆふしで
木綿(ゆふ)を垂れ下げること。また幣帛として垂れ下げた木綿。シデは垂ツ(しづ)の名詞形。・・・榊の枝などにかけたらすが、これによって神霊のよる所であることを表す。
ゆふだたみ
木綿を折り畳んだものかと思われるが、どういう風にしたか、確かな形は判らない。手向けとして神に捧げたものである。:「手向け」や「た」に掛かる枕詞。
ゆふづつみ
ゆふだたみ と同じものというが未詳。木綿は白いところから「白月山」に掛かる。

面白いと思うのは:ゆふ と あさ:木綿と麻でもあるし:夕と朝でもある。

なお、木綿(もめん)、わた、は後代に渡来したもので上代には日本にはなかった、とされる。


先ず「うつ」に関して考えてみる。JKを見てみると:
「うつ」には「顕、空・虚、全、打、棄」などが意味することが書かれている。
「うづ」には「渦」の他、「珍しい」とか「高貴な」という意味の言葉がある。
「うづ」と読んでいる語に宛てている漢字を見てみると「于図」「宇頭」「宇豆」などがあり、第二音節は清濁いずれもありうる。すくなくとも一例「宇都」と書いているものがある(祝詞大殿祭に「宇都御子皇御孫之命」とある)。「都」は清音である。(濁音に読む積極的な例は未発見)。「内木綿」の場合、上記の「うつ」「うづ」の意味のなかで「高貴な」がふさわしいか、と思う。

次に「ゆふ」が「こもる」の枕詞としてどのように関連しているのか調べてみる。
「ゆふ」が植物なら、「こも(薦)」という植物もある。「こも」の性格を見てみると、若芽を食用にする他、「茎や葉は編んで席」(むしろ・筵)を作った。そのような敷物も「こも」と云う。そこで、「ゆふ」(楮などの糸、布)が「こも」(むしろ)を連想させる枕詞として機能するのであろう。連想の流れ:「木綿」→「薦」→「こもる(隠る)」・・無いこともなさそう、という程度か。


つぎに「ゆふ」が「まさき」の枕詞としてどのように関連しているのか調べてみる。その為には「まさき」の意味を調べねばならない。
JKには「まさき」という項目はないが、「まさき」で始まる語は二つ掲げてあり、最初は「まさきく」である。
「まさきく:真福:副詞:しあわせで、ご無事で。「ま」は接頭語」とある。上記、神武紀の「内木綿真国」の「真」も真幸の意味だ、とする説もあるそうだ。

JKの次の項目は「まさきのかづら・・・葛の一種。・・・上代、神事に用いた。つるまさき、ていかかずらの類。マサキ・マサキヅラとも(云う)」などとある。
神代記に「天の真拆(まさき)を蘰(かつら)に作って」とあるのが参考になる。
(私考:ここの「キ」は甲類であるから、「木」の意味ではなく、さく(裂く、割く、拆く)という動詞の連用形語尾である。従って神代紀にある「天香山の真坂樹を鬘(カツラ)と為す」という場合の「真坂樹」の「キ」(乙類)とは別語だ、ということになる。別語ではあるが、実は同じ樹木を意味する、と考えるならば「甲乙の混乱が観察される」例、ということになる。)

「うつゆふ」が「まさき」に掛かる場合の「マサキ」は「さく(裂く、割く、拆く)という動詞の連用形」ではなかろうか。つまり、「まさきのかづら」も「ゆふ(こうぞ)」もスカっと裂くことができる、のであろう。

ここの連想作用も、「こも」と同様に植物つながりに基づいているようだ。そして、「内木綿真国」とは実質的には「真幸(まさき)の国」とでも云うのに枕詞を宛てたものであり、その枕詞としての、読み手に与える連想効果は「木綿→まさき→真幸」という流れであり、句を造作、構成した順序は、
 1. 真幸 の意味で まさき という音の語を思う
 2. まさき という音から 木綿(ゆふ)を連想する、だから枕詞に使える
 3. 木綿(ゆふ) は 高貴(うつ)だ(本当か? 麻よりも高級?)、そして
 4. うつ・木綿(ゆふ)の・まさき(真幸)、という一連が出来る流れであろう。


別途、アイヌ語を援用して「内木綿」を解いたことがあるがここでは、和語の範疇で従来不詳とされてきたこの枕詞が上記のように、良く裂ける、ということと、植物繋がりで成立しそうなことを提示した。

神武紀の表現は「内木綿真国」に続いて「猶如、蜻蛉之臀 」(なお、あきづの・となめ・のごとし)とあり、アイヌ語解ではこの二句がある程度一貫して解けるが、和語の範疇での上記解では「真幸の国」と「あきづのとなめ」に不連続感が強い。


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