常陸風土記・那賀郡条に出てくる「クレフシ」山のこと
orig: 96/11/09
rev1: 97/05/03
rev2: 97/07/12 format

荒ぶる神、語義探索の発端となった常陸風土記に戻ってみました。那賀郡茨城の里に、努賀(ヌカ)ビコと努賀ビメ兄妹、の話があります。大要を下記します。

妹が名前も判らぬ人と室で交わって蛇を生んだ。蛇が育つにつれて手に負えなく なって来たので、追い出す。蛇は怒って兄を殺し、蛇が昇天しようとするところ 妹が瓮(ひらか)を投げつけて阻止する。 蛇は結局「クレフシ山」に行き、瓮は「片岡村」にある

これらの山の比定に就いて、岩波の古典文学大系本では、

クレフシ山:朝房山(あさぼうやま)、内原村の牛伏が遺称地
片岡村  :笠間市大橋(近くの)岡の宿、を遺称地に擬している
としてます。(p79-80) この岩波の比定ですが、

クレフシは(日甫)時臥山、とあり、夕暮れに横臥する、と言う意味のようです。そ れを、現在は「あさぼう」と読むようですが「朝フサ」とも読める朝房山に比定され ているのには、ニヤリとさせられるものがあります。暮臥し、ならぬ、朝臥せ、 みたいなので。。。(^_^)

片岡村に就いては、何故「岡の宿」の地が比定されるのか判りません。唯一、想像出来る理由は、 「岡」の字がある事&此の地が朝房山の近傍(西南約2KM)、だからでしょうか。。。

さて、あちこちの荒ぶる神を眺めてきた目でこの比定地の対抗馬を提示してみたいと思います。

まず、「蛇」と「荒ぶる神」が同意でありそうなことから述べます。 「蛇」が「大神(オカミ)」とされているのは常陸風土記逸文(大神駅家) から成立出来ます。次いで、「荒ぶる神」でもリストしましたように、荒神社と龍王、 龍王神社との結びつき、近さが観察されました。それと、各地で「荒神」と「片岡」 が関連していそうな事もお話しましたので、このクレフシ説話も、荒ぶる神、の範疇 で捉えて良いと思いました。敢えて加えれば、この蛇も2人の内の1人を殺します。

風土記は、クレフシ山が茨城里の北にある、と言うだけで距離は伝えて居ません。朝 房山も確かに、茨城郡家比定地(現・友部町小原)のほぼ真北になります。この南北 線上を地図で当たってみますと、朝房山の更に北11km程の所に「赤沢富士」があります。赤沢富士は桂村内で那珂川の南にあります。これにアタリを付けて周辺を眺めてみますと、

津室山(桂/御前山):
岩波本では比定していない「室」がこれであろうか
片倉山(御前山村) :
片岡か(「倉」と「山(岡)」が通じたかも知れない 事に就いては「荒ぶる神」参照)
大栗 (御前山村) :
岩波比定地付近には「栗」の字の地名が見当たらない。
これらがあり、赤沢富士、をクレフシに比定できるのだろうか、と考えてみますと、 赤=フレ(アイヌ語)、富士はそのままの音、フジ、で「フレフジ」が浮かび上がり ます。

この比定私案では片倉山(片岡比定地)が栃木県との境にあり、郡の記述としては、 岩波の比定よりもスケールが拡大していて、ふさわしいように思えます。但し、 国の境なら原文にそう書いて有っても良さそう、とも思えるのが難ではあります。

ついでですが、風土記には書いて有りませんが、「努賀ヒコ・ヒメ」の「ヌカ」が 「那珂川」「那賀郡」の「ナカ」の語源でも有り得そうに思えました。

尚、那珂町の那珂川沿いに「荒神」がありますが、本件説話との関連は不明です。


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