歴史・言語方面の話題をどうぞ
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タイトル百済
記事No1798
投稿日: 2008/04/08(Tue) 16:16
投稿者大三元
http://www.dai3gen.net/kudara.htm
に下記を追記しました:

「長谷」(は(つ)せ)と「百済」(はくせい))が同語ではないか、との仮説を持っているが、万葉集2353に「長谷の斎槻が下・・・」というのがある。これは「百済の弓月が下に・・・」を踏まえているのだろうか。

タイトルRe: 百済
記事No1813
投稿日: 2008/07/03(Thu) 20:43
投稿者神奈備
 ご無沙汰しています。百済について受け売りの説を:−
 李寧熙さんの本から。
 『三国史記』に、古代の韓国に「古 こざとへん + 施の右」と呼ばれた地があったそうです。米の産地だそうです。「古陁」これは吏読で、大きい土地を表す古代韓国語の「クタ」を漢字を借りて表記したのが、「古陁」。音読すると「ゴタ」。「古陁」は「居陁耶」とも呼ばれ、「ゴタヤ」「ゴタラ」と読まれていたと云います。百済は日本から見て「豊かな大国」だったそうで、これが語源としています。

 感想としましては、この説はゴタゴタした説のように思えますが・・

タイトルRe^2: 百済
記事No1814
投稿日: 2008/07/03(Thu) 20:56
投稿者大三元
神奈備さん、お久しぶりです。

>  『三国史記』に、古代の韓国に「古 こざとへん + 施の右」と呼ばれた地があったそうです。米の産地だそうです。

私の高句麗語の研究の勉強でもリストの中にでてきます:
S10 古昌郡 本古●耶郡★今安東府領縣三
欽明紀にある「居陀牟羅」(百済王子余昌が占領)のことでしょうね。

> 「古陁」これは吏読で、大きい土地を表す古代韓国語の「クタ」
そういう古代韓国語の実在は根拠があるのかしら。。。

タイトルRe^3: 百済
記事No1815
投稿日: 2008/07/03(Thu) 21:59
投稿者大三元
> 神奈備さん、お久しぶりです。
>
> >  『三国史記』に、古代の韓国に「古 こざとへん + 施の右」と呼ばれた地があったそうです。米の産地だそうです。
>
> 私の高句麗語の研究の勉強でもリストの中にでてきます:
> S10 古昌郡 本古●耶郡★今安東府領縣三
> 欽明紀にある「居陀牟羅」(百済王子余昌が占領)のことでしょうね。

欽明紀15年12月は:
余昌曰、老矣、何怯也。我事大国、有何懼也。遂入新羅国、築久陀牟羅塞
とあり「久陀牟羅」でした。

取り急ぎ訂正まで(「居陀」はどこから拾ったのかな・・・)

>
> > 「古陁」これは吏読で、大きい土地を表す古代韓国語の「クタ」
> そういう古代韓国語の実在は根拠があるのかしら。。。

タイトルRe^4: 百済
記事No1816
投稿日: 2008/07/04(Fri) 08:21
投稿者神奈備
 『李寧熙が解いた古代地名を歩く』仕田原猛著(個人出版)によりますと、「『三国史記』(新羅本紀)に助賁尼帥今十三年秋、大豊作で古&#x9641郡から嘉禾を王に献上した」とのくだりがあるとしています。瀬藤は確認していません。

タイトルRe^5: 百済
記事No1817
投稿日: 2008/07/04(Fri) 10:34
投稿者大三元
神奈備さん

その記事自体は確認しました。

しかし、、、それがどうして「コダ」とは「豊かな大国」の意味なり、となるのですかね。

山形県だったか、が皇室にサクランボを献上した。「やまがた」とは「サクランボ」の意味である、って程度のむちゃくちゃ???

>  『李寧熙が解いた古代地名を歩く』仕田原猛著(個人出版)によりますと、「『三国史記』(新羅本紀)に助賁尼帥今十三年秋、大豊作で古&#x9641郡から嘉禾を王に献上した」とのくだりがあるとしています。瀬藤は確認していません。

タイトルRe^6: 百済
記事No1818
投稿日: 2008/07/04(Fri) 16:47
投稿者神奈備
 『李寧熙が解いた古代地名を歩く』仕田原猛著(個人出版)に傍証として以下のことが書かれています。
 『古代日本の渡来勢力』(宋潤奎)の中に、「『岡山県通史上編230ページ』に、今の和気郡には吉永町と佐伯町の二ヶ所に大多羅と言う地名が残っている。大多羅は一名、百済または居陁羅(こだら)と言う」と記されている。
 ということです。小生の提供できる情報は以上です。
 メールにてご住所を頂ければ『李寧熙が解いた古代地名を歩く』を送りましょう。神奈備猫に10円玉ですから。

タイトルRe^7: 百済
記事No1819
投稿日: 2008/07/06(Sun) 08:05
投稿者大三元
神奈備さん

流れとしては・・・
「大きい土地を表す古代韓国語の「クタ」」だという著者の根拠は何だろう、と追いかけてきたわけですから、岡山の地名由来譚がどう関係しているのか、リクツが全く判りません。

この著者の「・・・万葉集」「枕詞・・・」など読みましたが、訳判らず、ご親切は有り難うございますが、時間が限られ始めている(へへへ)自分としては、この著者を再訪するツモリがありませんのであしからず。