タイトル | : Re^5: 蝦夷 |
投稿日 | : 2015/01/21(Wed) 19:35 |
投稿者 | : 大三元 |
神奈備さん
私の捉え方とは正反対みたいですね(^^)
私はWikiの「えみし」にあるような捉え方をしております。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9D%A6%E5%A4%B7
#東北北部には後にアイヌと呼ばれる人々が多分希薄な密度で居住していて、
何かに比較して相対的に「希薄」と考えて居られますか、それとも絶対値的に「希薄」? 参考:
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39815
(東)北進・移住してきた人達を「蝦夷」とする、という仮説は初めて見たような気がします。「蝦夷」=「後のアイヌ」とするのは、そんな単純じゃないよ、とも言われるような気がしますが、私はこちらの方向。
やはり全土に縄文人が居た、というのを初期状態(t=0:例えばニニギ光臨時点)にして、ニニギ一派が進駐、侵攻して来て、縄文人が山奥とか南北に分断された、というモデルが判りやすいです。
縄文人とは後にアイヌになった人達が多分大勢、他の(インドネシアとかポリネシアとか)人達は消えた(倭人に吸収された):こんなイメージを持ってます。
> 東北北部には後にアイヌと呼ばれる人々が多分希薄な密度で居住していて、そのへ畿内王権に従わない人々(蝦夷)が多く移住して来て、共存することになった。それはアイヌ語地名が残っていることでシメされています。アイヌは狩猟採取を主にし、蝦夷は農耕も行っていたと思われます。人口は蝦夷が多く、彼らは蝦夷の言葉(ヤマト言葉)で十分生活出来、一部の人が交易などの必要からアイヌ語も習得したのたのでしょう。