タイトル | : Re^6: 蝦夷 |
投稿日 | : 2015/01/22(Thu) 13:52 |
投稿者 | : 神奈備 <info@kamnavi.jp> |
参照先 | : http://kamnavi.jp/log/ugahituji.htm |
ありがとうございます。蝦夷観にはだいぶ差がありますね。
岩波新書『平安京遷都』川尻秋生著 によりますと、エミシ(蝦夷)とは、律令国家が設定した異民俗を意味し。。」とあります。
8世紀の初めには、東北地方に住む「まつろわぬ」人々の総称だったと思われます。倭人(日本語をしゃべる人々)に加えて、アイヌ(縄文語をしゃべる人々)が混在していたのでしょう。アイヌは狩猟採取の民で、倭人はそれに加えて農耕をしていたので、単位面積あたりの人口は倭人のほうが多かったといえると思います。
アイヌの中に倭人が入ってきて、その人口が多くなり、その地域も自然に日本語が話されるようになり、地名は先住民のアイヌ地名が残ったと思われます。
高橋克彦氏は、東北の倭人は出雲(亀嵩:砂の器の舞台)から移住したのではないかとの見解を示されています。なにも亀嵩に限定する必要はなく、昔の出雲は全体的にヅーヅー弁だったとは、ドンタクさん曰わく、テレビの普及で標準語化してしまったとのこと。なお、ドンタクさん、大三元さんの掲示板の更新がしばらくなかったので、心配されていました。
国譲りなどの際、東北まで行ったのかもしれません。
ご指導ありがとうございました。