タイトル | : Re^7: 蝦夷 |
投稿日 | : 2015/01/22(Thu) 14:59 |
投稿者 | : 大三元 |
神奈備さん
●「エミシ(蝦夷)とは、律令国家が設定した異民俗を意味し。。」
と
●8世紀の初めには、東北地方に住む「まつろわぬ」人々の総称だったと思われます。倭人(日本語をしゃべる人々)に加えて、アイヌ(縄文語をしゃべる人々)が混在していたのでしょう。
は違うことを表していますね。片や「異民族」片や「和人とアイヌの混在」。
私の考え:和人が東北地方の異俗・異語の人の存在を初めて知ったときにその人達を指し示す名詞が必要になる。それを「エミシ」とした。これが原点なんじゃないでしょうか。
もっとも:中央政府がエミシの存在を知ったときには既に民間レベルではかなり和人が東北地方に侵入していた、ってこともあったりして、中央政府としてはまとめてエミシと言ったのだ、とも言えなくもないけど。
後に、エミシの一部はアイヌになり、一部は(混血などを通じて)和人になった、ということは言えると思いますが、エミシのオリジナルな構成要素に和人も混在していた、というパラダイムはどうなのかなぁ。
> アイヌの中に倭人が入ってきて、その人口が多くなり、その地域も自然に日本語が話されるようになり、地名は先住民のアイヌ地名が残ったと思われます。
これはその通りだと思います。
> 高橋克彦氏は、東北の倭人は出雲(亀嵩:砂の器の舞台)から移住したのではないかとの見解を示されています。なにも亀嵩に限定する必要はなく、昔の出雲は全体的にヅーヅー弁だったとは、ドンタクさん曰わく、テレビの普及で標準語化してしまったとのこと。
まぁ千年とか二千年前のことを考えるのに百年程度前の話を根拠にしてもしょうがない、というか、信を置ききれませんね。むしろ「安日彦」伝説でも追いかけるのが面白いかも。
私は琵琶湖の「竹生島」にある「都久夫須麻神社」が今東北で行われているズーズー弁に近いのではないかと思っています。(チクブシマ→ツクブスマ)
> なお、ドンタクさん、大三元さんの掲示板の更新がしばらくなかったので、心配されていました。
恐れ入ります。話し相手が居らず(トホホホ)オトナシクしていました。
> 国譲りなどの際、東北まで行ったのかもしれません。
上記「安日彦」伝説でしょうかね。秋田の物部文書も勉強せねばなりませんね。未着手。