タイトル | : 「にほ」を考える |
投稿日 | : 2011/08/17(Wed) 15:05 |
投稿者 | : 大三元 |
「にほ」と言う語を考えている途次に
『「にほふ」の語源と万葉集3791番の「丹穂之為」の訓釈について』竹生政資、西晃央(佐賀大学)という論文を見つけた。
http://portal.dl.saga-u.ac.jp/bitstream/123456789/117827/2/takefu_nishi_201008.pdf
この論文では「にほふ」の語源が「荷負(おほ)ふ」であることを提案している。
根拠には「うるほふ(潤う:潤ひ負(おほ)ふ)」「きほふ(競う:気負(おほ)ふ)」などを参照するとともに
「丹覆」を「に・おほふ」と読むことの分析がある。
更に万葉集では「にほ」に「留牛」という漢字を宛てていることから
「荷負う」のイメージ〜連想を指摘している。
大筋では大変興味深い提案だと思うが、2,3指摘しておきたい。
1.「にほふ」の原義が「荷負う」であるとして、
その「荷」とは「目立つ雰囲気(色彩や香など)」で、
「負う」とは「回りに背負っている(漂わせている)」と
解するのだが、どうも釈然としなかった。
ここの「に」は「荷」ではなく「土」である、と考えるのが良くはないか。時代別国語大辞典上代編によると:
「に【土・丹】(1)土(用例を略す)(2)赤色の顔料。赤土。辰砂(硫化水銀)や鉛丹(酸化鉛)を含む赤土が、顔料として使われたため、その顔料としての赤土をいい、また赤色そのものをもいう。(用例を略す)→そほ」
とある。
すなわち「にほふ」は「土(に)負(おほ)ふ」に原点を求めうる、としたい。
蛇足:
(1)古語の「負(お)ふ」は現代の「帯びる」に通じているごとくであって「荷物を背負う」というイメージのみならず、諸種の状態を「帯びている」ことも表しうる。
(2)播磨国風土記に下記があり「土を負う」というモチーフがある。
http://www.dai3gen.net/harima.htm
「はに岡の里:生野、大川内、湯川、粟鹿川内、波自加の村
土質は下の下(耕作に不適)。はに岡、というのは昔、大汝命
(オホナムヂ)と小比古尼命(スクナヒコネ)が相争って言うに
は『「はに(土)」を荷物として遠くへ担いで行くのと、
糞をしないで遠くへ行くのとどっちが勝つか』。
オホナムヂが糞を我慢することになり、
スクナヒコネが「はに」の荷を担いで行くことになった。
そうして数日(歩いて行った)経った。
オホナムヂは「もう我慢出来ない」と糞をした。
スクナヒコネは笑って「実に苦しい」と言って荷物を投げ出した。
それで(ここを)はに岡という。
また、小竹(笹)が糞を弾き上げて衣に付いたので、
ハジカの里、という」